「 akihiko@aoplanning 」一覧

「真田太平記」第3話「幸村初陣」感想。往年のドラマを視聴。

「真田太平記」第3話「幸村初陣」感想。往年のドラマを視聴。

沼田城を奪取した真田家であるが、天正壬午の乱の和議で沼田割譲が条件になる。真田昌幸は、沼田を割譲せず、徳川、北条を渡り歩く。1583年(天正11年)1月、上杉家が信濃に侵攻。真田幸村の初陣であった。昌幸は、上田城の築城を開始。1583年(天正11年)秋、上杉家が信濃に侵攻。真田源三郎信幸にも昌幸からの出陣命令が・・・。

出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者

出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者

「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。

室賀正武。真田昌幸の暗殺は未遂になり、逆に殺害されてしまう。

室賀正武。真田昌幸の暗殺は未遂になり、逆に殺害されてしまう。

「真田丸」では俳優・西村雅彦が演じてます。ドラマでは面白い存在ではあるが・・・。室賀正武について調べてみました。清和源氏村上氏流なんですね。それじゃ真田家の傘下はプライドが許さなかったのか、真田昌幸個人が嫌いだったのか・・・。最期は、昌幸を謀殺しようとしますが、逆に殺害されてしまいます。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。

沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿

真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿

「真田丸」では松という名で女優・木村佳乃が演じてます。正式には、真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿である。子に小山田之知がいる。武田家滅亡後、真田家が織田信長に臣従した際、安土に真田昌幸は娘を人質として送っている。それが村松殿であった可能性がある。「真田丸」と同じですね。

大河ドラマ「真田丸」第六話「迷走」レビュー

大河ドラマ「真田丸」第六話「迷走」レビュー

信繁の姉・松たちは安土城から脱出したが、明智軍に追われ松は、琵琶湖から身投げしてしまう。真田の荘へ帰ってきても信繁は、自分を責める。北条、徳川、上杉が武田旧領を狙う中、昌幸は滝川一益に母・とりを人質に差し出す。が、岩櫃城、沼田城を奪取し、真田家の独立を目指す昌幸は「大博打の始まりじゃー!」と叫ぶのであった・・・。

「真田太平記」第2話「天魔の夏」感想。往年のドラマを視聴。

「真田太平記」第2話「天魔の夏」感想。往年のドラマを視聴。

「真田太平記」第2話「天魔の夏」では武田滅亡から沼田城奪取までを真田家を中心に描いている。織田信長より滝川一益は上野一国、信濃の佐久、小県を与えられ、真田家は、滝川一益の与力武将の立場になる。真田昌幸は、一益より小県を今までどおり任せれることになる。信長が本能寺の変で倒れたことにより、沼田城を奪取する真田家だが・・・。

「真田太平記」第1話「若武者たち」感想。往年のドラマを視聴。

「真田太平記」第1話「若武者たち」感想。往年のドラマを視聴。

「真田丸」の影響のせいか、久しぶりに「真田太平記」を視聴してみる。「真田丸」と「真田太平記」を比べてもしょうがないが、比較しながら書きたいと思う。第1話では織田信長による武田討伐から武田滅亡までを描いている。ドラマの最後では、真田昌幸が信長につくことを決意する。真田家にとっての激動の天正十年のはじまりである・・・。

滝川一益、神流川の戦いで敗走、清須会議に出席できず。そして晩年

滝川一益、神流川の戦いで敗走、清須会議に出席できず。そして晩年

滝川一益、「真田丸」では段田安則が演じてます。管理人の勝手なイメージは、甲賀出身で忍者の匂いもして、鉄砲の名手というひどく荒いイメージでした。本能寺の変後は、羽柴秀吉と柴田勝家にばかりで滝川一益に気がまわりませんでしたw甲賀出身で忍者のイメージは、漫画「花の慶次」の影響です。きっとw織田四天王、織田五大将でもあります。

真田家から見る沼田領問題。天正壬午の乱から小田原征伐まで。

真田家から見る沼田領問題。天正壬午の乱から小田原征伐まで。

真田家から見ると沼田領は、重要な領土であった。沼田領問題は、天正壬午の乱から小田原征伐に至るまで、なかなか解決しなかった。真田昌幸が変幻自在に主君をかえながら、なんとか沼田領を死守する。豊臣秀吉の裁定により北条家の領土になるが、北条氏滅亡後は、真田信幸(信之)が城主になることで、ふたたび沼田領は真田家に戻るのである。。