「 akihiko@aoplanning 」一覧

「真田丸」第41話「入城」感想。別れの雁金踊りと大坂城入城

「真田丸」第41話「入城」感想。別れの雁金踊りと大坂城入城

幸村たちは「雁金踊り」の最中に九度山村を脱出。村長・長兵衛の助けもあり無事に脱出成功。演じている人が同じなので、「真田太平記」の佐平次が幸村を逃してくれたとしか思えない!大坂城に入った幸村は二度の上田合戦は自分の手柄とハッタリをかます。これには草葉の陰で安房守も喜んでいるに違いない。「頼もしくなったなと・・・」

鷲城跡。小山義政の乱においては本城、本丸には鷲神社。小山市外城

鷲城跡。小山義政の乱においては本城、本丸には鷲神社。小山市外城

関東に在住する管理人が「鷲城」に行ってみた。鷲城(わしじょう)は下野国小山荘(現在の栃木県小山市外城)にあった城。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった「小山義政の乱」において本城としての役割を果たす。城跡は中久喜城跡、祇園城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。

古河公方館。古河御所・鴻巣御所とも呼ばれ、大半は古河総合公園

古河公方館。古河御所・鴻巣御所とも呼ばれ、大半は古河総合公園

古河公方館は鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれ、「古河御所」と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。北西1kmあたりに「古河城本丸跡」が位置するだけに、古河城とあわせて一つの広大な城域を形成していた等の見方も示されている。最後の古河公方・足利義氏の娘である氏姫の居館となった。

「真田丸」第40話「幸村」感想。方広寺鐘銘事件と「真田幸村」誕生

「真田丸」第40話「幸村」感想。方広寺鐘銘事件と「真田幸村」誕生

明石掃部頭全登の来訪は風雲急を告げた。そして片桐且元。且元は振り返りながら語り始める。方広寺鐘銘事件がキッカケのようだ。豊臣家と徳川家は一触即発。戦いは始まろうとしていた。信繁は決意する。ここから真田左衛門佐幸村の物語が始まる。今まで全てが前フリだったかのように・・・。

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城は室町時代には「古河御陣」とも呼ばれ、古河公方の本拠となった時期には古河御所(こがごしょ)とも呼ばれた。江戸時代は譜代中の譜代大名が治め、幕府の要職を歴任し、大老・老中を輩出している。明治以降、珍しく城は徹底的に破壊されている。「古河城本丸跡」は大きな目印としては標柱が立っているだけである・・・。

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死

真田信繁とその一行は、九度山村での幽閉生活に慣れてしまっていた。それ故、兄・信之にも助命嘆願を断っている。その代わりってわけではないが、資金援助を申し出ている。実際は九度山も苦しかったようだが、信之の上田も苦しかったようである。そして関ヶ原の戦いから14年、信繁の元に大坂より使者が・・・。