「 akihiko@aoplanning 」一覧

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城は室町時代には「古河御陣」とも呼ばれ、古河公方の本拠となった時期には古河御所(こがごしょ)とも呼ばれた。江戸時代は譜代中の譜代大名が治め、幕府の要職を歴任し、大老・老中を輩出している。明治以降、珍しく城は徹底的に破壊されている。「古河城本丸跡」は大きな目印としては標柱が立っているだけである・・・。

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死

真田信繁とその一行は、九度山村での幽閉生活に慣れてしまっていた。それ故、兄・信之にも助命嘆願を断っている。その代わりってわけではないが、資金援助を申し出ている。実際は九度山も苦しかったようだが、信之の上田も苦しかったようである。そして関ヶ原の戦いから14年、信繁の元に大坂より使者が・・・。

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

埼玉県行田市の臨済宗円覚寺派・高源寺。忍城の戦い後、成田家家老・正木丹波守利英は武士の身分をすてた。豊臣方・成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に「高源寺」を建立。守天和尚を招き開山。映画「のぼうの城」でも取り上げられエンディングで紹介されている・・・。

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

埼玉県鴻巣市本町の勝願寺。宗派は浄土宗。浄土宗の関東十八檀林の1つ。徳川家康から「三つ葉葵」の使用を許されている。二世住職・円誉不残上人は後陽成天皇から、僧としては最高位の「紫衣」を与えられた。真田家・仙石家・丹後田辺城主・牧野家の墓所がある寺院としても有名。

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。旧・吹上町(現・鴻巣市)が町内に残る一部を保存して「石田堤史跡公園」として整備。

「真田丸」第38話「昌幸」感想。三成を継ぐ清正、さらば安房守

「真田丸」第38話「昌幸」感想。三成を継ぐ清正、さらば安房守

安房守と左衛門佐の九度山幽閉生活が始まった。この生活がいつまで続くかわからない。伊豆守が奔走するが、家康が許さない。世の情勢は、完全に豊臣から徳川に移った。豊臣秀頼は立派な若武者に成長した。しかし立派であるがゆえに家康は・・・。そして安房守の命が尽きようとしている・・・。

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所

関東に在住する管理人が栃木県佐野市の「大庵寺」に行ってみた。大庵寺を、もう一つの「犬伏の別れ」の地とする説がある。小山評定により会津征伐を取りやめ西上する事が取り決められた徳川秀忠が転進した際、大庵寺を宿所として利用したと伝えられている。新町薬師堂からは、すぐ近くです。