「 歴史 」一覧

真田信繁(幸村)、上杉景勝の人質~豊臣秀吉の人質へ

真田信繁(幸村)、上杉景勝の人質~豊臣秀吉の人質へ

真田信繁(幸村)の上杉景勝の人質から秀吉の人質になるまでをまとめてみました。徳川家との決別により真田家は信繁(幸村)を人質として上杉家に臣従する。第一次上田合戦を経て、信繁(幸村)は上杉家から秀吉の人質となり、真田家は天下人・秀吉に臣従します。人質と言っても上杉家・豊臣家での信繁(幸村)の待遇は良かったようです。

石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?

石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?

真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。

恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」

恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」

「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。

羽柴秀吉、関白相論に介入して関白宣下。武家関白制をめざす

羽柴秀吉、関白相論に介入して関白宣下。武家関白制をめざす

羽柴(豊臣)秀吉は武家関白制を目指します。征夷大将軍就任を断った説もありますが定かではありません。秀吉の登場により朝廷は混乱。五摂家による関白の持ち回りの崩壊、気前よく官位を与えたことにより官位が不足。秀頼誕生により秀次事件。秀吉死後、関白不在、大臣は徳川家康だけでした。秀吉が秀頼のために空位にしていたのです・・・。

羽柴秀吉VS徳川家康。小牧・長久手の戦い、連動して全国規模に

羽柴秀吉VS徳川家康。小牧・長久手の戦い、連動して全国規模に

小牧・長久手の戦いは羽柴秀吉が不利でしたが織田信雄との和議がすべてではないようでしょうか。負けなかった徳川家康の強さも知れ渡ります。秀吉は家康を臣従されるのには苦労します。妹を家康の正室に、母の大政所を人質に出します。秀吉は小牧・長久手の戦いを契機に朝廷にも接近します。やがて関白までになり天下統一を果たします。

羽柴秀吉が織田家臣筆頭を確立した賤ヶ岳の戦い。賤ヶ岳の七本槍

羽柴秀吉が織田家臣筆頭を確立した賤ヶ岳の戦い。賤ヶ岳の七本槍

清州会議以降、羽柴秀吉と柴田勝家の対立は、日を追うごとに激しさを増していた。賤ヶ岳の戦いで両雄が激突。羽柴秀吉が大勝利し、織田信孝・柴田勝家を自害に追い込み、滝川一益を降伏されている。秀吉は織田家臣筆頭の地位を確立。表面上は三法師を奉じて、実質的に織田家中を牛耳る。これ以降、秀吉は天下人への階段を駆け上がるのである!

清州会議。羽柴秀吉と柴田勝家の命運を分けた織田家宿老会議

清州会議。羽柴秀吉と柴田勝家の命運を分けた織田家宿老会議

清州会議によって羽柴秀吉と柴田勝家の立場は逆転した。逆臣・惟任(明智)日向守光秀を秀吉が討ったことが大きいのだろう。筆頭家老・勝家の影響力は低下し、秀吉が重臣筆頭の地位を確立して、織田家の勢力図は大きく変化した。勝家は秀吉によって滅ぼされ、天下取りへの道を駆け上がった。織田家の後継者決定、領地再分配を目的とした会議。

第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に

第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に

第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。

森長可と高坂昌元(春日信達)の因縁。一族まで及ぶ深き恨み

森長可と高坂昌元(春日信達)の因縁。一族まで及ぶ深き恨み

武田家滅亡、本能寺の変での織田信長の横死により森長可と高坂昌元(春日信達)の歯車は狂った。それが運命かのように・・・。昌元は人質として差し出した嫡男・庄助を長可に殺害され、最期は真田・北条に内通したとして上杉景勝により謀殺。長可は小牧・長久手の戦いで戦死。因縁は二人の死後、慶長年間に結末を迎える・・・。