「 歴史 」一覧

島左近(清興)。三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕える

島左近(清興)。三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕える

島左近(清興)といえば、三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕えたことで有名である。俸禄・2万石は破格の待遇だ。三成が佐和山19万石になる前に仕えている説が有力。関ヶ原の戦いで討ち死にしたと伝わるが、遺体は見つかっていない。そしてのちも生きたとの伝承もある・・・。

細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶

細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶

細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。

長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる

長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる

管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。

豊臣秀保(羽柴秀保)。義父・豊臣秀長から通称は大和中納言

豊臣秀保(羽柴秀保)。義父・豊臣秀長から通称は大和中納言

豊臣秀保(羽柴秀保)。兄は関白・豊臣秀次。母は豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀。正室・おきくは豊臣秀長の娘なので従姉妹になり、秀長は叔父であり養父になる。一時期は関白候補とする資料も残されている。死因については病死となっているが、資料によっては溺死とも書かれている。

明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫

明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫

明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。