「 歴史 」一覧

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?

秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑

宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑

備前宰相と呼ばれた宇喜多秀家。父は梟雄と称された宇喜多直家。母・円融院は秀吉の側室的存在であったとの説があります。秀吉の寵愛を受けて猶子となった。秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗る。正室は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫。宇喜多騒動なども解説。

片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔

片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔

片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。

宇都宮仕置。秀吉が源頼朝に倣い関東・奥州の諸大名に行った戦後措置

宇都宮仕置。秀吉が源頼朝に倣い関東・奥州の諸大名に行った戦後措置

1590年(天正18年)7月13日、関白・豊臣秀吉は相模国・後北条氏を降伏させた。これにより天下一統を成し遂げる。秀吉は源頼朝に倣い宇都宮という土地を選び、宇都宮城で関東・奥州の諸大名に戦後措置を行っている。宇都宮仕置と呼ばれる。ここで秀吉は、その後の奥州仕置の方針についても決定している。

徳川家康暗殺疑惑事件。家康と正信の謀略と言われ、前田家を封じる

徳川家康暗殺疑惑事件。家康と正信の謀略と言われ、前田家を封じる

豊臣秀吉の死後、徳川家康は天下への野望を隠さなかった。1599年(慶長4年)には石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件が起きている。今回は徳川家康暗殺疑惑事件を取り上げる。2つの事件に共通しているのは、徳川家康の存在が大きくなったことだ。徳川家康暗殺疑惑事件は家康と本多正信の謀略とも言われている。

北条氏政。早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む

北条氏政。早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む

北条氏政。大河ドラマ「真田丸」では徳川家康演じる内野聖陽が「早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む」と評している。父は名将と評された北条氏康。そして氏政は隠居の身であったが、小田原北条氏を滅亡させた事実上の当主としてのレッテルがついてまわる。後北条氏4代当主・北条氏政とは・・・。

北条氏直。後北条氏5代当主、父は北条氏政、義父は徳川家康

北条氏直。後北条氏5代当主、父は北条氏政、義父は徳川家康

後北条氏5代当主である北条氏直。どうしても最後の当主のイメージがある。父・氏政が存命であったこともあるが、何かイメージが悪かった。小田原開城後、父・氏政は切腹になったが、氏直は赦免されている。徳川家康の婿であったことも大きいが、氏直は北条家再興のこれからという時に死んでしまった・・・。

板部岡江雪斎。北条三代の外交僧、北条滅亡後は秀吉・家康に仕える

板部岡江雪斎。北条三代の外交僧、北条滅亡後は秀吉・家康に仕える

北条三代(氏康・氏政・氏直)に仕えた外交僧・軍師である板部岡江雪斎。後北条家滅亡後は豊臣秀吉・徳川家康に仕えている。千利休の高弟・山上宗二と交流があり、和歌・茶の湯にも造形が深かったと言われる。愛刀の江雪左文字は国宝であり、執権・北条氏(北条時行)の子孫とされる。

小山評定。家康包囲網を打破し、関ヶ原の戦い勝利の流れを作る

小山評定。家康包囲網を打破し、関ヶ原の戦い勝利の流れを作る

徳川家康は会津征伐のため下野小山に到着。鳥居元忠の使者から石田三成が挙兵し伏見城攻撃を開始した知らせを受ける。1600年(慶長5年)7月25日、会津征伐に従軍した諸大名を招集し軍議を開催。「小山評定」である。西軍・東軍の選別がなされ、東軍が一致団結した大きなイベントであることは間違いない。その流れで関ヶ原の戦いに至る。

大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?

大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?

大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。