五代友厚と「開拓使官有物払下げ事件」、そして明治十四年の政変へ

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この記事の所要時間: 451(文字数:2,910文字)

開拓使官有物払下げ事件は連続テレビ小説「あさが来た」でも触れられてます。北海道開拓使長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷薩摩の政商五代友厚らの関西貿易商会に安値、無利子で払下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、払下げ中止となったスキャンダル事件に発展。のちに明治十四年の政変のきっかけとなる。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

連続テレビ小説「あさが来た」でも触れられていた「開拓使官有物払下げ事件」について調べてみました。それはやがて「明治十四年の政変」を引き起こします。

ディーン・フジオカ演じる五代友厚の登場ももうすぐ終了と発表されました。この記事がみなさまの役に立ちますように。。それではいってみよう!

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開拓使官有物払下げ事件

払下げが決定に至るまで

最初に薩摩出身の黒田清隆は、ロシアに対抗する国力を充実させるため北海道の開拓に力を入れるべきだという建議を行う。これに従い、1871年(明治4年)8月19日に10年間1000万両をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定。

当初、開拓使は潤沢な予算を用いて様々な開拓事業を推進した。しかしすべての計画を完遂するには無理があり、潤沢と思われた予算も不足であった。

よって基礎的事業を早々に切り上げ、産業育成に重点をおいた。そういう理由からなのか、開拓使十年計画の満期が近くなった1881年(明治14年)に開拓使の廃止方針が固まる。

しかし黒田清隆は、開拓使の事業を継承、その事業を私利で動かない官吏出身者をあてるべきと主張。事業が赤字であったことから非常な安値をつける。

う~~ん黒田清隆は、自分の提案した建議、実際の事業も失敗したのにまだ意見を主張してますねー(笑)。

払い下げの内容は、船舶、倉庫、農園、炭鉱、ビール、砂糖工場などで、約1400万円の費用を投じたものを39万円(無利息30年払)というものであった。

最初は開拓使大書記官であった安田定則らの作った北海社が工場経営などの事業に当たっていたが、資本がないため関西貿易商会(薩摩出身者五代友厚らが経営)が払下げを引受けることになった。

五代友厚、黒田清隆が薩摩出身者が問題なのである。

払下げへの批判、事件の収拾

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政府内でも批判の声は起こり、特に払い下げの規則を作った前大蔵卿の大隈重信が反対した。1881年(明治14年)7月に「払い下げ計画」が新聞により露呈されてしまう。

ここで秘密を漏らしたとして疑われるのが大隈重信である。世間では、三菱と大隈が結びついて「薩摩に対抗」と見られた。さらに「払い下げ中止」を目的とし、大隈重信が仕掛けたという説まで広まる。

なんと黒田清隆はこの間に、強引に明治天皇の裁許を得て「払い下げ」を決定してしまう。あー黒田清隆、強引すぎるだろー(笑)。

批判の声は益々高まってしまう。コレを沈めるためか明治天皇は地方行幸に赴く。大隈重信もこれに同行していた。

明治十四年の政変

明治天皇が地方行幸している間、伊藤博文らは収拾策の方針を決定。明治天皇が10月11日に帰京すると裁許を仰ぎ、翌12日、大隈の追放、国会開設の詔勅、払下げ中止などを発表した。

伊藤博文らが行ったことは、一種のクーデターである。コレを明治十四年の政変という。いちおう払い下げ事件は収拾する。

その後、伊藤博文は初代内閣総理大臣に就任。黒田清隆も開拓長官を辞めていったん内閣顧問の閑職に退くが、伊藤博文の後、二代目の内閣総理大臣に就任。

明治十四年の政変で得するのは、伊藤博文らの「長州閥」。黒田清隆も復帰するので、やっぱ「薩長閥」はつよーい(笑)。

歴史は繰り返す

「開拓使官有物払下げ事件」は、いちおう解決、収拾するが、いかんせん追求が中途半端だった(笑)。

よって歴史はすぐに繰り返されてしまい、「北海道庁官有物払下げ事件」なんて事件が起きてしまいます。ここでは、あえて北海道庁官有物払下げ事件は説明しません。

これが開拓使官有物払下げ事件から明治十四年の政変への流れです。

連続テレビ小説「あさが来た」での開拓使官有物払下げ事件、明治十四年の政変

ディーン・フジオカ演じる五代友厚が「払い下げ」で新聞紙上で叩かれ、スキャンダル事件として描かれてます。

どうやら大隈重信役は、高橋英樹として発表があったところを見ると、すこし明治十四年の政変にも触れるのか?(笑)。

そして五代友厚の登場シーンももうすぐ終了らしい。。がディーン・フジオカかっこ良すぎるせいか、問い合わせが殺到してるらしい。。さて国営放送であるNHKはどう対処するのか?(笑)。

関係ないが、ディーン・フジオカが他の番組に出演していても我が家では「五代さん」といっている(笑)。ひょっとして、このような現象が全国各家庭で起きているのか?(笑)。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

開拓使官有物払下げ事件 – Wikipedia

関連記事

関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。

「あさが来たの五代友厚とは?大阪会議の斡旋者だった」はこちら

あさが来たの五代友厚とは?大阪会議の斡旋者だった
連続テレビ小説「あさが来た」での「五代さん」こと五代友厚を調べました。幕末から明治中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。明治14年の「開拓使官有物払い下げ事件」に関わり、批判を浴びたことしか記憶にありませんでした。明治2年に下野して実業家に転身。大阪会議の斡旋者であり、大阪の発展に大きく貢献しています。

まとめ

ディーン・フジオカ演じる五代友厚が「五代様」現象を引き起こしてるらしい!すごいです!!

まあ管理人も、それによって「開拓使官有物払下げ事件」「明治十四年の政変」の記事を書いてみることにしました。

連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚の最期がどのように描かれるのか、視聴してみたいと思います!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます。。。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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