「 2016年05月 」一覧

【EURO2016(欧州選手権)】ベルギー代表がメンバー発表

【EURO2016(欧州選手権)】ベルギー代表がメンバー発表

ベルギー代表はFIFAランクは2位であり、EURO2016(欧州選手権)の出場国では最上位である。だが優勝候補にあげる声は意外に少ない。UEFAチャンピオンズリーグで負傷したキャプテンであるヴァンサン・コンパニはメンバー外となった。主力級が揃ったメンバー構成となり、FIFAランク最上位の意地を見せてほしいものである。

「真田丸」第21話「戦端」感想。豊臣秀吉が沼田領問題に着手

「真田丸」第21話「戦端」感想。豊臣秀吉が沼田領問題に着手

関白・豊臣秀吉は天下統一を焦っていた。捨(鶴松)のためか、自分の年齢のためか、次に見えている唐攻めなのかはわからない。秀吉の周囲の人間は、おのずと運命を翻弄される。家康は沼田領問題を喉に刺さった小骨と表現している。真田家・北条家・徳川家、そして豊臣家。それぞれの思惑を秘め、沼田領問題が少しづつ動きだす・・・。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も

天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。

豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?

豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?

1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。

名胡桃城事件。豊臣秀吉の沼田領裁定~小田原征伐のキッカケとなる

名胡桃城事件。豊臣秀吉の沼田領裁定~小田原征伐のキッカケとなる

天正17年(1589年)、豊臣秀吉の沼田領裁定により、真田家と北条家が争ってきた沼田領問題は解決したかに見えた。しかし名胡桃城奪取事件は起きた。名胡桃城奪取事件が本当に起きたかどうかは別にして、結果的に小田原征伐は決行された。秀吉の沼田領裁定から名胡桃城奪取事件、そして小田原征伐に至るまでを記事投稿する。

「真田丸」第20話「前兆」感想。豊臣家の母・北政所と石田三成

「真田丸」第20話「前兆」感想。豊臣家の母・北政所と石田三成

秀吉は民を恐れた。自分が民であったこともあるが、民の恐ろしさを知っているのである。その昔自身は、その民にさえも虐げられた。コンプレックスからか聚楽第落首事件では異常な裁きをする。我々が勘違いしているだけで、秀吉にとっては普通の裁きかもしれない。北政所が言うように秀吉は最初から何も変わってないのかもしれない・・・。

大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純

大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純

大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

【EURO2016(欧州選手権)】ドイツ代表が登録メンバー発表

【EURO2016(欧州選手権)】ドイツ代表が登録メンバー発表

ドイツ代表は世界王者としてEURO2016(欧州選手権)に挑む。発表された27名はあくまで候補メンバーであり、ミニキャンプやテストマッチを経て本登録の23人に絞り込まれる。本登録23名を発表。FIFAランクは5位だが、世界王者であることから管理人は優勝候補にあげている。魅力的なサッカーを見せてくれるであろう。

聚楽第落首事件。聚楽第落書き事件、豊臣政権への批判~金配り

聚楽第落首事件。聚楽第落書き事件、豊臣政権への批判~金配り

1589年(天正17年)2月25日、いわゆる聚楽第落首事件は起きた。歴史を冷静に見れる現代人の我々からすると、豊臣政権の崩壊の始まりというか前兆みたいな事件だ。秀吉の処罰の仕方が尋常でない。狂ってるとも言える。時の権力者は批判されるが、よく思ってない人が大勢いた証拠なのか。どう考えてもこの辺から秀吉おかしいよね。

「真田丸」第19話「恋路」感想。茶々が側室、秀吉政権崩壊の一歩

「真田丸」第19話「恋路」感想。茶々が側室、秀吉政権崩壊の一歩

真田家では源三郎信幸と本多平八郎忠勝の娘・稲との縁組の話が持ち上がった。この話は徳川家からの申し出である。真田家にとっても悪い話ではないが、源三郎信幸には「正室・こう」がいる・・・。大坂の源次郎信繁は自分のことで精一杯である。茶々との関係が城内で噂されていた。そんな中、茶々が秀吉の側室になることが決まった。