「 2016年09月 」一覧

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

埼玉県行田市の臨済宗円覚寺派・高源寺。忍城の戦い後、成田家家老・正木丹波守利英は武士の身分をすてた。豊臣方・成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に「高源寺」を建立。守天和尚を招き開山。映画「のぼうの城」でも取り上げられエンディングで紹介されている・・・。

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

埼玉県鴻巣市本町の勝願寺。宗派は浄土宗。浄土宗の関東十八檀林の1つ。徳川家康から「三つ葉葵」の使用を許されている。二世住職・円誉不残上人は後陽成天皇から、僧としては最高位の「紫衣」を与えられた。真田家・仙石家・丹後田辺城主・牧野家の墓所がある寺院としても有名。

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。旧・吹上町(現・鴻巣市)が町内に残る一部を保存して「石田堤史跡公園」として整備。

「真田丸」第38話「昌幸」感想。三成を継ぐ清正、さらば安房守

「真田丸」第38話「昌幸」感想。三成を継ぐ清正、さらば安房守

安房守と左衛門佐の九度山幽閉生活が始まった。この生活がいつまで続くかわからない。伊豆守が奔走するが、家康が許さない。世の情勢は、完全に豊臣から徳川に移った。豊臣秀頼は立派な若武者に成長した。しかし立派であるがゆえに家康は・・・。そして安房守の命が尽きようとしている・・・。

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所

関東に在住する管理人が栃木県佐野市の「大庵寺」に行ってみた。大庵寺を、もう一つの「犬伏の別れ」の地とする説がある。小山評定により会津征伐を取りやめ西上する事が取り決められた徳川秀忠が転進した際、大庵寺を宿所として利用したと伝えられている。新町薬師堂からは、すぐ近くです。

【真田丸】福島正則と加藤清正の表情は冴えない。何を意味する?

【真田丸】福島正則と加藤清正の表情は冴えない。何を意味する?

第37話「信之」で福島正則(深水元基)の表情は冴えなかった。今までは、血気盛んな表情をしていた。管理人はどうしたんだろうと思った。そしてもう一人の加藤清正(新井浩文)。この男は石田三成(山本耕史)と袂を分けて以来、終始表情が冴えない。秀吉の子飼いの代表格の二人について書きたいと思う・・・。

真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる

真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる

真田幸昌よりも「真田大助」のほうが広く知られている印象がある。名前「幸昌」は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたといわれる。生年については諸説あるが、生涯といえるほど長くなく若くして亡くなっている。真田大助は最期が若年であったことから、なにか物悲しくてなりません・・・。