小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,アイキャッチ画像
この記事の所要時間: 53(文字数:3,030文字)

関東に在住する管理人が「小山城」に行ってみた。小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡・鷲城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

祇園城と呼ばれた「小山城」について記事投稿してみたいと思います。

それではいってみよう!

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小山城を訪ねて

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像01

小山城に行ったのは、まさに偶然だった。

申し訳ないが「史跡・小山評定跡」に行ったら、「小山城址公園」があったので行ってみた。すみません・・・。

小山城址公園は小山市役所から道路を挟んだ場所に位置する。

小山城の概要

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像02

小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった城。別名は祇園城(ぎおんじょう)

城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡・鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。

小山城の歴史

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像03

1148年(久安4年)、伝承によると、小山城は「小山政光」によって築かれた。

※小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した「太田氏」の出自。政光が下野国小山に移住して「小山氏」を名乗った。

小山氏は鎌倉時代に下野国守護を務めた。小山城は中久喜城・鷲城とならび、小山氏の主要な居城であった。

当初は鷲城の支城であった。南北朝時代に小山泰朝が小山城を居城として以来、小山氏代々の本城となった。

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像04

1380年(康暦2年)~1383年(永徳2年)、「小山義政の乱」。小山氏は鎌倉府により追討され断絶。

のち同族の結城家から養子を迎えて再興。

小山方の拠点として文献資料に記された鷲城・岩壺城・新々城・祇園城・宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。

1576年(天正4年)、小山秀綱が後北条氏に降伏。後北条氏により改修され、北関東攻略の拠点となる。

  • 1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封。
  • 1619年(元和5年)、本多正純が宇都宮へ移封。小山城は廃城。

本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。

小山政光・寒川尼像

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像05

台座に写ってるのは、変なものではありません。管理人自身です。今度行く機会があったら、画像差し替えます(笑)。

ちょうど小山市役所の裏手、思川ほとりに「小山政光・寒川尼像」がある。

(追記2016.10.02)ということで画像差し替えます。以前行った時より、像が鳥のフンなどで汚れてしまっています。悲しいですね・・・。

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像10

寒川尼は「さむかわのあま・さむかわに」と読む。

寒川尼(さむかわに)は源頼朝の乳母(めのと)を務め、小山政光の正室(後妻)。

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小山政光は「日光男体山」を指している。

小山城址公園

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小山城のあった場所は、現在、「小山城址公園」となっている。

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建物と呼ばれるものは何も残ってない。

史跡指定

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史跡指定名称「小山氏城跡」として。

  • 1991年(平成3年)3月12日、小山城跡は「祇園城跡」として鷲城跡とともに国の史跡に指定。
  • 1994年(平成6年)、両城跡の未指定部分を追加するとともに、あらたに中久喜城跡を追加指定。史跡指定名称「小山氏城跡」。

1991年(平成3年)時点では、祇園城跡の南久保曲輪の土塁の一部、また、鷲城跡の本丸の一部が未指定であった。

鷲城跡。小山義政の乱においては本城、本丸には鷲神社。小山市外城
関東に在住する管理人が「鷲城」に行ってみた。鷲城(わしじょう)は下野国小山荘(現在の栃木県小山市外城)にあった城。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった「小山義政の乱」において本城としての役割を果たす。城跡は中久喜城跡、祇園城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。

小山御殿

小山城。別名は祇園城、小山氏の居城。本多正純も入封,画像09

小山城址公園から道路を挟んだ場所に、「小山御殿広場」という小山御殿跡地がある。

史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所、小山御殿跡,画像04

小山市役所の隣になる。

小山御殿には、あとで触れます。参考にしてください。

小山城の所在地および交通アクセス

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小山城址公園の所在地。

所在地、交通アクセス等は、

  • 住所:栃木県小山市城山町1丁目1
  • TEL:0285-23-1111
  • アクセス:小山駅から徒歩で8分

史跡・小山評定跡

史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所、小山御殿跡,画像02

小山市役所には「史跡・小山評定跡」がある。

小山城址公園に行った際には、「史跡・小山評定跡」にも行くことをオススメします。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。「小山御殿」にも触れています。

史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所、小山御殿跡
関東に在住する管理人が「史跡・小山評定跡」に行ってみた。慌ただしく大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」放送日の前日に訪れた。事前に調査しないで行ったので、隣の敷地に「小山御殿広場」があるのを知らなかった。徳川家にとっては、縁起の良い場所になり、歴史的にも重要な場所である。小山評定にも触れています。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

小山城 (下野国) – Wikipedia

関連記事

関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。

2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

後北条家に関する記事

徳川家に関する記事

まとめ

小山城(祇園城)について書きました。

管理人は「小山氏」ついて詳しくなかったので勉強になりました。

こうなると鷲城跡・中久喜城跡にも行ってみたくなります・・・。

訪問した際には、記事投稿したいと思います。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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