称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟

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結城家の家祖・結城朝光公の墓所がある称名寺。そして慈眼院結城家御廟を訪ねた。慈眼院結城家御廟は曹洞宗・松月院のすぐ近く。結城城跡である城跡公園に始まり、結城家ゆかりの地を訪れました。特に見てみたかったのは称名寺二条門と結城朝光公の墓です。それから結城家といえば「結城埋蔵金伝説」がある・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

茨城県結城市の「称名寺」「慈眼院結城家御廟」について記事投稿してみたいと思います。

それではいってみよう!

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称名寺を訪ねて

称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟,画像01

結城市の結城城跡とされる城跡公園一帯を見学し、同市内の「称名寺」へ。

目的は結城家の家祖・結城朝光公の墓参りと親鸞聖人の銅像と二条門の見学をするためだ。

城跡公園からは車で数分の距離です。

称名寺の概要

称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟,画像02

画像は親鸞聖人の銅像。

称名寺(しょうみょうじ)の創建は1216年(建保4年)。

結城家初代・結城朝光は親鸞聖人に帰依した。親鸞の高弟・真仏(真壁城主・平春時)を招き開山したのが始まりと伝えられています。

当初は下野国薬師寺新居郷に位置し、1225年(嘉禄元年)、結城西ノ宮に場所を移した。

朝光は出家。称名寺の名前の由来は、朝光の法名「称名寺殿日阿弥陀仏」によるもの。

以来、結城家の菩提寺として寺運が隆盛し境内には

  • 初代・朝光(称名寺殿日阿弥陀仏)
  • 2代・朝広(妙蔵院殿信阿弥陀仏)
  • 3代・広綱(新福寺殿教阿弥陀仏)
  • 4代・時広(法蔵寺殿證阿弥陀仏)

まで当寺に葬られ、元禄年間(1683年~1704年)に現在地に移った。

称名寺境内には

  • 朝光のものと伝わる墓碑(多層塔)
  • 母・寒河尼の墓
  • 大将塚(伝:源頼朝の遺髪を納めた供養塔)

などが建立され本堂には木造結城朝光像が安置されている。

  • 開山:真仏(親鸞聖人の高弟)
  • 中興開基:結城朝光
  • 山号:新居山
  • 宗派:浄土真宗(一向宗)
  • 本尊:阿弥陀如来

結城朝光の墓

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結城家家祖・結城朝光公の墓。石造多宝塔・4代分の供養塔。すべて結城市指定史跡。

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画像は結城朝光公の墓。

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画像は結城朝光公の墓。供養塔とともに撮影。

称名寺の文化財

称名寺の文化財は以下の通り。

  • 称名寺御霊門:慶長年間。切妻(きりづま)、桟瓦葺(さんかわらふき)、薬医門。結城市指定有形文化財。
  • 称名寺二条門:寛永3年。切妻(きりづま)、本瓦葺(ほんかわらふき)、高麗門。結城市指定有形文化財。
  • 紙本著色結城朝光肖像画:室町末期~江戸初期。結城市指定有形文化財。
  • 木造結城朝光像:結城市指定有形文化財。

  • 往生要集(恵心僧都):鎌倉時代。茨城県指定重要文化財。
  • 結城朝光の墓:石造多宝塔、4代分の供養塔。結城市指定史跡。
  • 玉日姫の墓:江戸時代。宝篋印塔。結城市指定史跡。

称名寺・結城朝光・親鸞聖人、そして親鸞の妻との説がある関白・九条兼実の娘である玉日姫・・・。

結城城跡である城跡公園近くには「玉日姫の墓」がある。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

玉日姫の墓。親鸞の妻、関白・九条兼実の娘。恵信尼とは?茨城県結城市
玉日姫については、いろいろな説があるようです。関白・九条兼実の娘(七女)で浄土真宗の開祖・親鸞の妻といわれる人物。親鸞の妻は恵信尼(えんしんに)とされるが、玉日姫と恵信尼が同一人物であるという説もある。親鸞とともに京都へは帰らず、結城で没したとされる。

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画像は称名寺の山門である「二条門」。

京都の二条家より釋信覚法師を迎えたとき、二条家より譲り受けたとされる。

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二条門を後方から撮影した一枚。

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画像は「御霊屋門」。

称名寺の所在地および交通アクセス

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称名寺の所在地および交通アクセスについて。

  • 住所:茨城県結城市結城152
  • TEL:0296-33-3331
  • JR結城駅から徒歩8分。
  • 東北道佐野藤岡ICから国道50号経由30km(40分)

慈眼院結城家御廟

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「慈眼院結城家御廟」にも行き、手を合わせてきました。勢いで結城家ゆかりの地を訪ねてみた!

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結城家御廟は初代・朝光から16代・政勝までの供養塔と他4基の供養塔がある。

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画像では供養塔を位置を表している。

かつて、この地は小塙(こばな)・乗国寺(じょうこくじ)末の福聚山慈眼院(ふくじゅさんじげんいん)という漕洞宗寺院の境内で、結城氏歴代の御廟としてふさわしいものでした。

御廟成立の時期については次のような説がある。

  1. 16代・政勝が隠居後、各所にあった先祖の墓を移して惣御廟を築造。
  2. 18代・秀康が越前に転封するにあたり、結城家に関わる諸寺院を越前に移転するに際し、各寺院等の歴代の墓を移して御廟を築造。
  3. 18代・秀康の転封後、この地方を治めた代官(伊奈備前守忠次)が領民懐柔策の一環として、結城氏歴代の御廟を築造。

結城家十八代

称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟,画像13

画像は結城家御廟の霊誌。

結城家は関東八屋形(かんとうはちやかた)にも数えられる名家。

結城家十八代当主を記述。

  • 初代・結城朝光
  • 2代・結城朝広
  • 3代・結城広綱
  • 4代・結城時広
  • 5代・結城貞広

  • 6代・結城朝祐
  • 7代・結城直朝
  • 8代・結城直光
  • 9代・結城基光
  • 10代・結城満広

  • 11代・結城氏朝
  • 12代・結城持朝
  • 13代・結城成朝
  • 14代・結城氏広
  • 15代・結城政朝

  • 16代・結城政勝
  • 17代・結城晴朝
  • 18代・結城秀康

戒名を記述。

  • 初代・結城朝光-称名寺殿日阿弥陀仏
  • 2代・結城朝広-妙蔵院殿信阿弥陀仏
  • 3代・結城広綱-新福寺殿教阿弥陀仏
  • 4代・結城時広-法蔵寺殿證阿弥陀仏

  • 15代・結城政朝-永正寺殿宗明孝顕大居士
  • 16代・結城政勝-乗国寺(安穏寺)殿大雲藤長
  • 17代・結城晴朝-泰陽院殿宗静孝善大居士
  • 18代・結城秀康-孝顕院殿三品黄門吹毛月珊大居士,浄光院殿森岩(巌)道誉運正大居士

慈眼院結城家御廟の所在地および交通アクセス

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慈眼院結城家御廟の所在地および交通アクセスについて。

  • 住所:茨城県結城市結城2709
  • 交通アクセス:東結城駅から約1㎞の距離。徒歩約20分。

目印は曹洞宗・松月院。「慈眼院結城家御廟」は松月院のすぐ近くに位置します。

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まとめ

結城家18代・結城秀康が越前に転封されるまで、結城家はここ結城の土地を治めた。

結城家は関東八屋形(かんとうはちやかた)にも数えられる名家である。秀康が亡くなってしばらくすると松平姓を名乗ることになる。

初代・結城朝光は源頼朝の御落胤説があり、間には「結城合戦」。

18代・結城秀康は関白・豊臣秀吉の養子であり、德川家康の次男。

とにかく結城家は話題に事欠かない名族である。

極めつけは「結城埋蔵金伝説」が最後に控える・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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