「 戦国時代 」一覧

織田信長、真田幸村など戦国武将の情報掲載をします。最近は2016年1月10日から「真田丸」が放映されるので真田家関連の記事投稿が多いです。そのほか随時更新します。

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?

織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。

真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる

真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる

真田幸昌よりも「真田大助」のほうが広く知られている印象がある。名前「幸昌」は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたといわれる。生年については諸説あるが、生涯といえるほど長くなく若くして亡くなっている。真田大助は最期が若年であったことから、なにか物悲しくてなりません・・・。

石田三成の関ヶ原敗戦後の逃走ルート・最期・逸話、大谷吉継の死

石田三成の関ヶ原敗戦後の逃走ルート・最期・逸話、大谷吉継の死

大河ドラマ「真田丸」第37話「信之」で石田三成と大谷吉継の最期が回想シーンとして描かれるはずだ。はずだというのは第36話「勝負」で関ヶ原の戦いは「超高速関ヶ原」として描かれてしまったからである。二人の記事は、以前に書いているが、最期というテーマで書きたいと思う。