「 武将ゆかりの地 」一覧

関東を中心とした武将ゆかりの地の記事投稿をしてみたいと思います。真田丸で後北条氏に興味を持ったので実際に行ったことを記事にしてみようと思いました。できれば後北条氏関連とは思っていますが、たまには違う記事もあるとは思います。

沼田城址公園。沼田領帰属問題の原因。真田信之により五層の大天守

沼田城址公園。沼田領帰属問題の原因。真田信之により五層の大天守

交通の要所である沼田城を巡って戦いが繰り返された。天正壬午の乱を経て、沼田領帰属問題が発生。第一次上田合戦と後北条氏の数回の攻撃を真田家は撃退。秀吉の裁定により沼田城は後北条氏が支配する。しかし名胡桃城事件により、小田原征伐。後北条氏は滅亡。そう思うと、なんだかすごい城のように思えてきた・・・。

正覚寺。大蓮院殿(小松姫)の墓、鈴木主水が境内で自刃。沼田市鍛冶町

正覚寺。大蓮院殿(小松姫)の墓、鈴木主水が境内で自刃。沼田市鍛冶町

群馬県沼田市鍛冶町の正覚寺。宗派は浄土宗。山号は法蔵山。1612年(慶長17年)、沼田城主・真田信之の正室である小松姫から改めて現在地が境内として認められた。以後、沼田藩からの庇護の対象となる。小松姫(大蓮院殿)の墓は沼田市指定重要文化財。真田家の重臣である名胡桃城代・鈴木主水が境内で自刃したことでも有名。

名胡桃城址。沼田城の支城、歴史を変えた名胡桃城事件。小田原征伐に

名胡桃城址。沼田城の支城、歴史を変えた名胡桃城事件。小田原征伐に

行ってみるとよくわかりますが名胡桃城は、両側が切り立った天然の要害である。城郭構造は連郭式の山城。廃城となった後、ほとんど改変を受けていないため、築城当時の遺構が比較的良好に残されている。山城と行っても登山するわけではない。駐車場からはほぼ平城の感覚で見学が可能。名胡桃城といえば「名胡桃城事件」として有名である。

称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟

称名寺。親鸞の高弟・真仏が開山、結城朝光の墓所。慈眼院結城家御廟

結城家の家祖・結城朝光公の墓所がある称名寺。そして慈眼院結城家御廟を訪ねた。慈眼院結城家御廟は曹洞宗・松月院のすぐ近く。結城城跡である城跡公園に始まり、結城家ゆかりの地を訪れました。特に見てみたかったのは称名寺二条門と結城朝光公の墓です。それから結城家といえば「結城埋蔵金伝説」がある・・・。

結城城。別名は臥牛城、結城朝光の築城とされ、結城合戦の舞台となる

結城城。別名は臥牛城、結城朝光の築城とされ、結城合戦の舞台となる

結城城の築城は結城家の家祖・結城朝光とされる。朝光は小山政光の三男であるが、源頼朝の落胤説が存在する人物でもある。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたときに、奥州藤原氏の財宝の大半を朝光に恩賞として与えたとされる。結城家は実際よりも裕福だったようで「結城百万石」とも言われた。「結城合戦」の原因の一つになったのだろうか・・・??

思案橋。静御前が源義経を追い行き先を思案したとの伝承。古河市下辺見

思案橋。静御前が源義経を追い行き先を思案したとの伝承。古河市下辺見

源義経は兄・源頼朝に追われて奥州平泉まで落ちのびた。静御前は義経を慕い、侍女・琴柱とともに京を出発。下総国にたどり着いた静御前は、下辺見の茶店で義経の死を知る。静御前が平泉まで行こうか戻ろうか思案した橋。それが「思案橋」と名付けられた・・・。

玉日姫の墓。親鸞の妻、関白・九条兼実の娘。恵信尼とは?茨城県結城市

玉日姫の墓。親鸞の妻、関白・九条兼実の娘。恵信尼とは?茨城県結城市

玉日姫については、いろいろな説があるようです。関白・九条兼実の娘(七女)で浄土真宗の開祖・親鸞の妻といわれる人物。親鸞の妻は恵信尼(えんしんに)とされるが、玉日姫と恵信尼が同一人物であるという説もある。親鸞とともに京都へは帰らず、結城で没したとされる。

結城埋蔵金伝説。金光寺山門の和歌、「みかつきはし」城跡公園近く

結城埋蔵金伝説。金光寺山門の和歌、「みかつきはし」城跡公園近く

城跡公園近くの「みかつきはし」は別にして、金光寺山門を見れたことには感動した。残念なのは、真ん中の和歌が削られていること。三首の和歌は何が書いてあるかわかっているので、消しても無駄なような気がする。真ん中だけというのがね・・・、気にならないことはない。たんなる嫌がらせだろうか・・・。

久能山東照宮。もとは久能寺、武田信玄により久能城。家康公の神廟

久能山東照宮。もとは久能寺、武田信玄により久能城。家康公の神廟

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社。晩年を駿府で過ごした徳川家康が1616年(元和2年)に死去した後、遺命に埋葬された場所が、現在の久能山東照宮。家康公の神廟は遺命より西を向いているのは有名な話である。