「 羽柴(豊臣)家 」一覧

羽柴(豊臣)秀吉、羽柴家、豊臣家に関する出来事などを記事投稿。ほか羽柴家、豊臣家に関連する記事投稿をします。

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも

塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。

石田三成の関ヶ原敗戦後の逃走ルート・最期・逸話、大谷吉継の死

石田三成の関ヶ原敗戦後の逃走ルート・最期・逸話、大谷吉継の死

大河ドラマ「真田丸」第37話「信之」で石田三成と大谷吉継の最期が回想シーンとして描かれるはずだ。はずだというのは第36話「勝負」で関ヶ原の戦いは「超高速関ヶ原」として描かれてしまったからである。二人の記事は、以前に書いているが、最期というテーマで書きたいと思う。

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎

後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。

長束正家。丹羽長秀に仕え、秀吉の直参に。五奉行の末席に加わる。

長束正家。丹羽長秀に仕え、秀吉の直参に。五奉行の末席に加わる。

長束正家は、はじめ丹羽長秀に仕える。のち秀吉の直参として奉公衆に抜擢。官位は従五位下・大蔵大輔から従四位下・侍従。近江国水口岡山城主。五奉行の末席に名を連ねる。関ヶ原の戦いでは、石田三成方の西軍に味方するが、捕らえられ切腹。管理人にとって長束正家といえば、映画「のぼうの城」で俳優・平岳大さんが演じた長束正家が印象的。