「真田丸」第37話「信之」感想。三成ロスと刑部ロス~九度山流罪
安房守と左衛門佐の処遇は九度山流罪。真田伊豆守と本多忠勝の尽力により死罪だけは免れた。そして真田家は伊豆守を当主として残る。上田の領地も伊豆守が治める。犬伏の別れは、無駄ではなかった・・・。とにもかくにも真田家は残る。そして大坂城にて左衛門佐は、治部殿と刑部殿の最期を聞かされる・・・。
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安房守と左衛門佐の処遇は九度山流罪。真田伊豆守と本多忠勝の尽力により死罪だけは免れた。そして真田家は伊豆守を当主として残る。上田の領地も伊豆守が治める。犬伏の別れは、無駄ではなかった・・・。とにもかくにも真田家は残る。そして大坂城にて左衛門佐は、治部殿と刑部殿の最期を聞かされる・・・。
真田信綱。父は真田幸隆。母は恭雲院(河原隆正の妹)。「武田二十四将」にも数えられる。官途は「左衛門尉」。これにより真田信繁(幸村)の官職「左衛門佐」の由来とされる。信綱のように剛勇になってほしいという弟・真田昌幸の期待があったといわれる。
大河ドラマ「真田丸」第37話「信之」で石田三成と大谷吉継の最期が回想シーンとして描かれるはずだ。はずだというのは第36話「勝負」で関ヶ原の戦いは「超高速関ヶ原」として描かれてしまったからである。二人の記事は、以前に書いているが、最期というテーマで書きたいと思う。
関東に在住する管理人が「忍城」「丸墓山古墳」に行ってみた。映画「のぼうの城」で取り上げられた行田市・忍城。忍城といえば石田三成の水攻め。三成は上杉謙信にならい丸墓山古墳に本陣を置いたと言われる。忍城の戦いは、大河ドラマ「真田丸」でも取り上げられている。忍城の戦いは日本三大水攻めの一つに数えられる。
関東に在住する管理人が「新町薬師堂」に行ってみた。大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」に遅れること一週間。念願の「新町薬師堂」だ。真田家ファンにとっては、聖地のような場所である。昼食は森田屋総本店。同日、足を伸ばして行った「史跡・小山評定跡」にも触れる。
犬伏の別れにより真田家は二分された。小山評定により、のちに東軍と呼ばれる会津征伐に従軍していた軍勢は、上方へ引き返すことを決定した。安房守・左衛門佐は上田城に戻り、急ぎ戦支度をした。上田城を中心に徳川秀忠率いる徳川軍と真田軍は再び激突した。そう、この一連の戦いは誰の目から見ても長引くはずだった・・・。
関東に在住する管理人が「史跡・小山評定跡」に行ってみた。慌ただしく大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」放送日の前日に訪れた。事前に調査しないで行ったので、隣の敷地に「小山御殿広場」があるのを知らなかった。徳川家にとっては、縁起の良い場所になり、歴史的にも重要な場所である。小山評定にも触れています。
加藤清正は、1611年(慶長16年)6月24日に帰国途中の船内で発病し熊本で死去している。帰国というのは、1611年(慶長16年)3月に二条城で徳川家康と豊臣秀頼との会見。それに清正も参加している。時期が時期だけに、家康による暗殺説の噂もある・・・。
徳川家康が征夷大将軍就任するまでに朝廷内ではスキャンダルが勃発した。結果、徳川家康は「源氏長者」を手に入れる。征夷大将軍が何かとクローズアップされるが管理人は「源氏長者」に注目している。家康以降の徳川将軍家の官位履歴一覧と「武家関白制」にも触れてみる。
木村重成。幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれる。知行は3千石。官位は正四位上・長門守。母の宮内卿局(右京大夫局の説あり)は豊臣秀頼の乳母。豊臣姓を下賜されている。真田丸も木村重成を取り上げるとはシブい!