「 江戸時代 」一覧

最初に南光坊天海、徳川家斉などの記事を投稿します。ほか江戸時代の人物、出来事などの記事を投稿します。

光格天皇。朝廷権威の復権に務めた最後の太上天皇、現在の皇統に

光格天皇。朝廷権威の復権に務めた最後の太上天皇、現在の皇統に

2016年7月13日、天皇陛下が「生前退位」の御意向があるとの報道がなされた。現行の皇室典範では、「生前退位」については触れられておらず、皇室典範の見直しが必要らしい。しかし宮内庁は、この報道を否定。管理人には法律のことはわからないが、現時点(2016年7月13日)で最後の生前退位を行った光格天皇について調べてみた。

徳川家斉の正室、寔子(ただこ)、広大院。晩年は「従一位」を授かる

徳川家斉の正室、寔子(ただこ)、広大院。晩年は「従一位」を授かる

江戸幕府の11代将軍・徳川家斉の正室、寔子(ただこ)。金曜プレミアムスペシャルドラマ「大奥」では光浦靖子が演じる。調べてみるきっかけになった。事実上、はじめて外様大名からの輿入れで、その流れは13代将軍・徳川家定の御台所、天璋院篤姫と続く。晩年は「従一位」を授かり、「一位様」と呼ばれるようになる。。

徳川御三家、徳川御三卿からの征夷大将軍就任

徳川御三家、徳川御三卿からの征夷大将軍就任

一般的には徳川御三家が尾張、紀州、水戸の三家、徳川御三卿は田安家、一橋家、清水家の三家である。御三家は親藩のうちで最高位にあり、将軍家や御三卿とともに徳川姓を名乗ることや三つ葉葵の家紋使用が許された。御三家、御三卿を調べながら、御三家、御三卿から征夷大将軍に就任した人物の記事投稿をしてみたいと思います。

明智光秀との説もある南光坊天海と日光東照宮、江戸都市計画

明智光秀との説もある南光坊天海と日光東照宮、江戸都市計画

徳川家康のブレーンで朝廷政策、宗教政策に深く関与した南光坊天海。その生涯は謎が多い人物である。足利将軍義澄落胤説、明智光秀説など。。ほかにも江戸の町設計、日光東照宮にも関わりがあるとされている。そして「関ヶ原合戦図屏風」に描かれた家康本陣には、天海であるとされる、鎧兜姿の「南光坊」という人物が配置されている。。。

11代将軍徳川家斉。藤原氏にあらずして位人臣を極め、大奥をフル活用

11代将軍徳川家斉。藤原氏にあらずして位人臣を極め、大奥をフル活用

江戸幕府の11代将軍徳川家斉について。管理人の印象は、享楽的な暮らしぶりを好み、幕政をかえりみず、子沢山の「オットセイ将軍」のイメージ。征夷大将軍在位は50年と長い。明治期の文献には「藤原氏にあらずして位人臣を極めた者といえば足利義満・豊臣秀吉・徳川家斉・伊藤博文」という趣旨の記載もあるようだが。。