【アライバ】井端弘和。二千本安打より大事な高橋由伸との友情

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この記事の所要時間: 349(文字数:2,291文字)

2015年10月、名手・井端弘和が突然引退した。引退理由は盟友・高橋由伸の引退、そして読売ジャイアンツの監督就任だ。井端弘和といえば渋いバッティング。華麗なるショートでの守備であろう。荒木雅博とのコンビで「アライバ」として親しまれた。その妙技はファンの脳裏に焼き付けられている。内野守備走塁コーチとしての活躍に期待する。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

管理人が好きな数少ないプロ野球選手が、またユニホームを脱いだ。名手・井端弘和選手のことを書き留めておく。

それではいってみよう!

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名手・井端弘和、突然引退

2015/10/24、読売ジャイアンツの井端弘和内野手(40)が都内の球団事務所で引退記者会見を開いた。

突然の引退記者会見であった。ほんとに突然の引退発表だった。

「突然」というのは井端は2016年シーズンの現役続行を決めており、チームの秋季キャンプにも参加していたからだ。

突然の引退理由は、学生時代からの盟友・高橋由伸の引退、そして読売ジャイアンツの監督就任である。

由伸の監督就任で、「なんで井端が引退?」と思うかもしれないが、井端の発言で納得した。

「由伸より先にやめることはあっても、長くやることはないと思っていた。由伸がやめたときは一緒にやめようと、ジャイアンツにきたときから思っていた」とは井端のコメントである。

由伸から監督就任の電話をもらった井端は、引退を即決したらしい。

井端には「二千本安打」という大記録が目前だった。あと「88本」。二千本安打というのは打者にとっては大記録であり、大きな節目の記録である。「日本プロ野球名球会」の入会資格を得る。

井端は、それらを全て捨てた。初志貫徹というか自分の思いに忠実に行動した。その答えが現役引退だった。

「井端弘和」という男、かっこ良すぎる!

井端弘和

井端弘和について簡単に説明する。

井端弘和(いばたひろかず)。1975年5月12日生まれ。神奈川県川崎市川崎区出身。元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。夫人は元テレビ朝日アナウンサーの河野明子。

堀越高等学校-亜細亜大学。1997年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。

通算安打数は、1912安打。日本プロ野球名球会の入会基準まであと88本だった。

ベストナイン5回 (2002年、2004年-2007年)。ゴールデングラブ賞7回(2004年-2009年、2012年)。

中日時代は、同僚の荒木雅博と、共に「アライバ」の愛称で親しまれた。やはり井端と言ったら「アライバ」だろう。アライバの二遊間コンビは芸術的だった。

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

井端弘和 – Wikipedia

読売ジャイアンツ・内野守備走塁コーチ就任

読売ジャイアンツ監督・高橋由伸も井端弘和の気持ちを知ってか知らずか、ちゃんと読売ジャイアンツ・内野守備走塁コーチを依頼している。

う~ん、いい話だ。二人の友情というか、信頼関係は凄いし、かっこいい!

別に由伸は好きでも嫌いでもなかったが、井端のことで好きになった。やっぱり好きな井端が信頼している人間・高橋由伸に興味を持ったし好感をもった。

2016/04/08現在、読売ジャイアンツはセントラル・リーグ首位を走っている。なかなかどうして、ヤルではないか(笑)。

井端コーチには、ひとりでも多くの守備の名手を育ててほしい。

特に守備に不安がある坂本勇人を・・・。名手と言わないまでも、もう少し安心して見れるレベルに育ててほしい。

これからの井端コーチには期待している。井端なら大丈夫、絶対に・・・。

まとめ

井端弘和は守備で「お金が稼げる」数少ない選手だった。

井端弘和の守備を見に球場に足を運ぶファンがいた。そんな選手が日本プロ野球に何人いるだろうか?

井端弘和の引退の経緯を知り、井端弘和という男が、ますます好きになった!

井端弘和選手、数々の素晴らしいプレイありがとう!井端コーチ、ガンバレ!!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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