岡崎慎司、代表100キャップおめでとう!進化するサッカー小僧
ロシアW杯アジア2次予選のシリア戦、岡崎慎司選手の日本代表キャップ数が100になった。その試合自身初の代表キャプテンマーク。プレミアリーグ首位・レスターFCの堂々のレギュラーである。最近の試合より印象に残った「オーバーヘッドキック」と「股抜きシュート」を取り上げてみた。進化するサッカー小僧・岡崎慎司選手について。
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ロシアW杯アジア2次予選のシリア戦、岡崎慎司選手の日本代表キャップ数が100になった。その試合自身初の代表キャプテンマーク。プレミアリーグ首位・レスターFCの堂々のレギュラーである。最近の試合より印象に残った「オーバーヘッドキック」と「股抜きシュート」を取り上げてみた。進化するサッカー小僧・岡崎慎司選手について。
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
真田信繁(幸村)の側室で堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅という名前で黒木華が演じていると言ったほうがわかるでしょう。残念なことに資料が、ほとんどありません。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうけています。のちに「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。
真田丸で愛すべき室賀正武(西村雅彦)が逝った。室賀ロスのようにポッカリ穴が空いてしまったようだ。昌幸(草刈正雄)・源次郎信繁(堺雅人)を中心とするならば真田丸の魅力は、そのまわりのキャラクターの個性であると思っている。小山田茂誠殿(高木渉)・松殿(木村佳乃)再登場のタイミングは、そろそろかと思っているのだが・・・。
「真田丸」第12話「人質」で鉄火起請のシーンがあった。これは太田牛一の「信長公記」首巻からのエピソードだろう。鉄火起請(てっかきしょう)とは、戦国時代から江戸初期に行われた神の判定を仰ぐ儀式である。赤く熱された鉄を握り、指定の位置まで運ぶことができた方の主張を正しいとするものである。織田信長の火起請も掲載する。
源次郎信繁は上杉景勝の後ろ盾を得るために人質となった。景勝と源次郎信繁は互いを知り、絆を深めていく。徳川家康は小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉に実質的勝利しながら、室賀正武が返り討ちにされ真田昌幸暗殺計画は頓挫した。家康は真田家が上杉家に臣従したことにより、上田城へ侵攻する。第一次上田合戦の始まりである・・・。
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。
家康の側室である阿茶局(雲光院)。徳川家康との間に子はなさなかったが、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に尽力している。後水尾天皇より従一位を賜り、一位局・一位尼と称される。
第一次上田合戦の最中である1585年(天正13年)11月、とつぜん石川数正は徳川家康のもとを出奔して豊臣秀吉の家臣になる。これにより徳川家は真田攻めから撤退。出奔の理由は推測の域をでていない。数正出奔により徳川家は三河以来の軍制を武田流に変更。数正は信濃・松本を与えられ、松本城を築城している。この地で生涯を終える。