「 akihiko@aoplanning 」一覧

真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?

真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?

小山田茂誠は真田信幸(信之)、真田信繁(幸村)の義兄になります。真田信繁(幸村)の最後の手紙が小山田茂誠に宛てた手紙になります。正室は真田昌幸の長女で、信幸(信之)、信繁(幸村)の姉・村松殿。小山田信茂刑死後、いったんは北条氏政に仕えるが、その後真田昌幸、信幸(信之)に仕える。そして真田松代藩の次席家老を代々つとめる。

徳川御三家、徳川御三卿からの征夷大将軍就任

徳川御三家、徳川御三卿からの征夷大将軍就任

一般的には徳川御三家が尾張、紀州、水戸の三家、徳川御三卿は田安家、一橋家、清水家の三家である。御三家は親藩のうちで最高位にあり、将軍家や御三卿とともに徳川姓を名乗ることや三つ葉葵の家紋使用が許された。御三家、御三卿を調べながら、御三家、御三卿から征夷大将軍に就任した人物の記事投稿をしてみたいと思います。

明智光秀との説もある南光坊天海と日光東照宮、江戸都市計画

明智光秀との説もある南光坊天海と日光東照宮、江戸都市計画

徳川家康のブレーンで朝廷政策、宗教政策に深く関与した南光坊天海。その生涯は謎が多い人物である。足利将軍義澄落胤説、明智光秀説など。。ほかにも江戸の町設計、日光東照宮にも関わりがあるとされている。そして「関ヶ原合戦図屏風」に描かれた家康本陣には、天海であるとされる、鎧兜姿の「南光坊」という人物が配置されている。。。

大河ドラマ「真田丸」第三話「策略」レビュー

大河ドラマ「真田丸」第三話「策略」レビュー

大河ドラマ「真田丸」第三話「策略」レビュー記事です。真田信幸は上杉景勝に密書を届けることを信幸に命じる。途中信幸一行は室賀正武、出浦昌相の忍びの者に襲われ、密書を奪われる。室賀正武は密書を織田信長に届けて、真田家の滅亡を狙う。がこれは昌幸の策略であり、織田信長への大きな賭けであった。出浦昌相は味方であった。。

11代将軍徳川家斉。藤原氏にあらずして位人臣を極め、大奥をフル活用

11代将軍徳川家斉。藤原氏にあらずして位人臣を極め、大奥をフル活用

江戸幕府の11代将軍徳川家斉について。管理人の印象は、享楽的な暮らしぶりを好み、幕政をかえりみず、子沢山の「オットセイ将軍」のイメージ。征夷大将軍在位は50年と長い。明治期の文献には「藤原氏にあらずして位人臣を極めた者といえば足利義満・豊臣秀吉・徳川家斉・伊藤博文」という趣旨の記載もあるようだが。。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫

弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

真田家の祖、真田幸隆と真田昌幸親子の官位を調べた!

真田家の祖、真田幸隆と真田昌幸親子の官位を調べた!

真田家の祖といわれる真田幸隆、真田昌幸親子の官位について調べてみました。真田幸隆は息子3人とともに「武田二十四将」の一人にかぞえられる。また戦国三弾正の一人として、「攻め弾正」の異名で呼ばれている。そして「真田丸」で描かれてる真田昌幸親子の官位という視点から記事を投稿します。

大河ドラマ「真田丸」第二話「決断」レビュー

大河ドラマ「真田丸」第二話「決断」レビュー

大河ドラマ「真田丸」第二話「決断」レビュー記事です。真田信幸、信繁一行は苦難がありながらも、父昌幸の待つ岩櫃城まで落ち延びる。一方武田勝頼は、自害。ここに甲斐の名門、武田家は滅亡した。ここで武田信玄の亡霊役で2015末に亡くなった林邦史朗氏が出演。「真田丸」が遺作となった。そして真田家は、織田信長につくことを決断する。