沼田城を奪取した真田家であるが、天正壬午の乱の和議で沼田割譲が条件になる。真田昌幸は、沼田を割譲せず、徳川、北条を渡り歩く。1583年(天正11年)1月、上杉家が信濃に侵攻。真田幸村の初陣であった。昌幸は、上田城の築城を開始。1583年(天正11年)秋、上杉家が信濃に侵攻。真田源三郎信幸にも昌幸からの出陣命令が・・・。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
歴史好きの管理人が、往年の新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事を好き勝手に記事投稿します(笑)。
それではいってみよう!
目次
「真田太平記」第3話「幸村初陣」
「真田太平記」第3話では、真田家の沼田城奪回から真田源三郎信幸の初陣での出陣までが描かれてます。展開が早いです!
1582年(天正10年)10月、天正壬午の乱が徳川家康と北条氏直の和議により終結。真田家は、和議の条件である沼田割譲を北条家から迫られる。が、真田昌幸は、家康から何も言われていないと沼田割譲を却下。
沼田を割譲しないで、徳川、北条の間を渡り歩くことを皆に伝える。そして上田に城を築くことを決意する。上田城である。
1583年(天正11年)1月、上杉景勝が、信濃に侵攻する。初陣を願い出る真田源次郎幸村であるが、兄・真田源三郎信幸が初陣が済んでいないのと「小競り合いの戦い」の理由から父・昌幸に却下される。
しかし、幸村は、向井佐平次とともに出陣してしまう。その様子を知った真田家・草の者(忍び)の頭領・壷谷又五郎は幸村の身辺警護を草の者に命じる。無事、上杉家を信濃から追い払うことに成功する。
又五郎は、羽柴秀吉、柴田勝家、徳川家康、北条氏直ら諸将の動向を探らせるため草の者(忍び)たちを各地に派遣する。
1583年(天正11年)秋、上杉家が信濃に侵攻。源三郎信幸にも昌幸からの出陣命令が。いよいよ源三郎信幸の初陣である・・・。
「真田太平記」第3話「幸村初陣」感想
「真田太平記」第3話も展開が早いですねー。史実でも、ゴチャゴチャしていますが、面白いところでもあります!
初陣から帰った後、真田源次郎幸村(草刈正雄)が向井左平次(木之元亮)が語るシーンがあります。そのシーンは、真田兄弟の名前の由来についてを語り出すところからはじまります。
幸村「なぜ弟が源次郎で兄が源三郎なのか??真田家は嫡男が短命であると・・・。」
幸村「初陣を焦ったのは、戦うことは弟である自分の役目である。兄・源三郎信幸は戦わなくていいから生きてほしい。死ぬのは自分でいいと・・・。」
そして佐平次に向かって「自分は佐平次と同じ日に死ぬような気がすると・・・。」佐平次は、感激してしまいます。いいシーンです!
第3話「幸村初陣」は、男女間もフューチャーされてます。
真田昌幸(丹波哲郎)-お徳(坂口良子)、向井佐平次(木之元亮)-もよ(音無真喜子)、樋口角兵衛(榎木孝明)-三輪(堀江しのぶ)、真田源三郎信幸(渡瀬恒彦)-弥生。
そしてなんだかんだ言って、昌幸(丹波哲郎)に嫉妬する正室の山手殿(小山明子)w「真田太平記」の面白さって、こういう人間味をしっかり描いてるところかもしれません・・・。
第3話では特に目立ったので、取り上げてみました。
上田城築城開始、真田昌幸と「お徳」
上杉景勝を牽制するのと、上田城築城があるので、真田昌幸(丹波哲郎)は砥石城へ移ります。
ちゃっかり、側室の「お徳」(坂口良子)を沼田から真田の庄へ移していました。正室・山手殿(小山明子)は、草の者を使って、探りを入れます。
お徳との会話シーンで、昌幸(丹波哲郎)は、羽柴筑前守秀吉は大したものであると誉め称える。いままでも、なにかというと「秀吉はすごい」っていってます(笑)。
上田城築城の伺いを徳川家康にたててるのだが、返事は来ない。やがて昌幸(丹波哲郎)は、上田城築城を開始してしまう。史実では、家康に協力してもらいます。
そして、お徳の懐妊が発覚するのである・・・。
兄・真田源三郎信幸と弟・真田源次郎幸村
真田源次郎幸村(草刈正雄)が兄・源三郎信幸(渡瀬恒彦)を思うシーンを紹介しましたが、今度は源三郎信幸(渡瀬恒彦)が弟・源次郎幸村(草刈正雄)を思うシーンがあります。
互いを思いあう兄弟として描かれてます。最後には、初陣について聞くシーンがあり、源次郎幸村(草刈正雄)が「城に帰ったら、小便を漏らしてました」といって笑い合います。
兄弟仲が良いシーンをもう一つ紹介します。
従兄弟の樋口角兵衛(榎木孝明)が三輪(堀江しのぶ)に好意を持っているので、協力してやろうなんてシーンがあります。
そして源三郎信幸(渡瀬恒彦)も「久野(香野百合子)の侍女・弥生が気になっている」と告白すると、源次郎幸村(草刈正雄)は兄を冷やかします。いいよね~!
壷谷又五郎を中心とする真田家・草の者(忍び)たち
真田家・草の者(忍び)の頭領・壷谷又五郎(夏八木勲)は、羽柴秀吉、柴田勝家、徳川家康、北条氏直ら諸将の動向を探らせるため草の者(忍び)たちを各地に派遣する。
又五郎(夏八木勲)は、真田昌幸(丹波哲郎)に対して、向井佐平次(木之元亮)と「もよ」(音無真喜子)を夫婦にしてやってほしいと願いでて許されます。
そういえば、お江(遥くらら)に佐平次(木之元亮)に対する又五郎(夏八木勲)の接し方を突っ込まれてました。ネタバレではないが、向井左平次(木之元亮)は壷谷又五郎(夏八木勲)の息子である!
第3話「幸村初陣」では、お江(遥くらら)の登場シーンが少なくて残念です(笑)。
第3話中の真田家の主君
ここで第3話「幸村初陣」での真田家の立場を整理します。
- 1582年(天正10年)6月24日、上杉弾正少弼景勝が北信濃に侵攻。すぐに上杉景勝に臣従。
- 1582年(天正10年)7月9日、北条氏直に降る。
- 1582年(天正10年)9月25日、真田昌幸が沼田城に帰還。突如、徳川家康方になる。
- 1582年(天正10年)10月29日、徳川家康、北条氏直が和睦。家康が勝手に真田家の沼田割譲を氏直に約束。
- 1583年(天正11年)頃、上田城築城開始。
ドラマでは、触れられてませんが、第3話だけでも真田家の主君は、上杉⇒北条⇒徳川と変わってます。
まさに真田昌幸の「表裏比興の者」(ひょうりひきょうのもの)ぶりが覚醒されてます(笑)。
魅力あるキャスティング
しっかり、キャストも紹介。
樋口角兵衛(榎木孝明)が好意をもつ三輪を演じる「堀江しのぶ」が初登場です。
この堀江しのぶって人、「イエローキャブ」の前身の事務所で、「グラビアアイドル」って言葉がない時代に活躍したタレントです。野田義治氏の初期に発掘したタレントでもある。
23という若さで亡くなってしまってるのが、残念です・・・。
これから気になったキャスティングは、紹介していきます。
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まとめ
本能寺の変の後は、史実でも展開が目まぐるしいです。特に真田家は(笑)。
「真田太平記」を視聴したのが、久しぶりなので忘れてるところもかなりありました。見直すには良い機会でした!
機会があれば、「真田太平記」を視聴してみてください。面白いです!!
あくまで管理人の視点で、独断と偏見により新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事を投稿します(笑)。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます。。。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。