「 2016年07月 」一覧

五大老・五奉行。豊臣政権での合議制、対徳川家康の意味あいが強い

五大老・五奉行。豊臣政権での合議制、対徳川家康の意味あいが強い

1595年(文禄4年)に起きた豊臣秀次事件は豊臣政権に政治危機をもたらした。秀吉の嫡男・秀頼も幼少である。そこで秀吉は、有力大名が連署する形で「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条を発令して政権の安定を図る。秀吉起死回生の策「五大老・五奉行」制度は上手くいくはずだった・・・。

島左近(清興)。三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕える

島左近(清興)。三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕える

島左近(清興)といえば、三顧の礼をもって迎えられ、石田治部少輔三成に仕えたことで有名である。俸禄・2万石は破格の待遇だ。三成が佐和山19万石になる前に仕えている説が有力。関ヶ原の戦いで討ち死にしたと伝わるが、遺体は見つかっていない。そしてのちも生きたとの伝承もある・・・。

「真田丸」第26話「瓜売」感想。とりの旅立ち~運命の子・秀頼誕生

「真田丸」第26話「瓜売」感想。とりの旅立ち~運命の子・秀頼誕生

鶴松の死により落胆していたかに見えた秀吉だったが、ついに唐入り(明国攻め)を決行した。秀吉はボケていなかった。管理人は、そう描いているように見えた。淀殿懐妊に喜ぶ秀吉だが、戦況は思わしくない。明と暗、光と影を描写した放送回だったと思う。やつしくらべ(仮装大会)・とりの旅立ち・秀頼誕生を絶妙なバランスで描いている。

関宿城。北条氏康が「一国に等しい城」と重要視、関宿合戦

関宿城。北条氏康が「一国に等しい城」と重要視、関宿合戦

関東に在住する管理人は関宿城に行ったことがなかった。関宿城は北条氏康が「一国に等しい城」と重要視し、関宿合戦の舞台にもなっている。なるほど江戸川沿いにあり、利根川水系の要地であり、関東の水運を抑える拠点であったのがわかる。室町時代に築城され、関宿合戦で後北条氏に敗れるまでは古河公方家臣・関宿簗田家の居城であった。