隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」

隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」,アイキャッチ画像
この記事の所要時間: 431(文字数:2,713文字)

隆清院は真田信繁(幸村)の側室であり、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。信繁(幸村)とは1男1女をもうけている。のち直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。少し豊臣秀次事件に触れてみる。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田信繁(幸村)の側室である隆清院について記事投稿する。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

スポンサーリンク

隆清院

隆清院(りゅうせいいん)。?~1633年(寛永10年)?。父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。真田信繁(幸村)の側室。

子はお田の方(直・信繁の五女)、幸信(信繁の三男)。

豊臣秀次事件では秀次の子供、4男1女が処刑されている。女子で処刑されたのは露月院だけ。

父・秀次は切腹。母・一の台も処刑されている。隆清院は難を逃れている。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。秀次事件で処刑
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。子は隆清院(真田信繁の側室)。豊臣秀次事件では、父・菊亭晴季も連座したとして越後に流刑になっている。一の台は連座の罪で処刑されている。連れ子には、おみや(のちのお美屋御前)がいる。秀次の側室とあるが、信憑性は薄いようである。

真田信繁(幸村)の側室

隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」,画像

隆清院は九度山で蟄居中の信繁と出会い側室となります。

  • 1604年(慶長9年)、信繁との間に直(なほ)が生まれる。
  • 1614年(慶長19年)10月、信繁が大坂城に入城。隆清院と直(なほ)も同行。
  • 1614年(慶長19年)12月、豊臣方と徳川方が和睦。

この頃、隆清院が信繁の子を宿しているのが明らかになり、信繁は大坂城から脱出するようにすすめている。

  • 1615年(慶長20年)3月、隆清院と直(なほ)が秀次の母・瑞竜院日秀(とも)のもとに身を寄せる。
  • 1615年(慶長20年)7月14日、左次郎が生まれる。

秀次の母・瑞竜院日秀(とも)は、京都嵯峨野の瑞龍院で尼僧をしていた。

のちの隆清院の消息は諸説あり、姉の嫁ぎ先である梅小路家を頼ったともいわれている。

1633年(寛永10年)、隆清院が死去。葬儀は一の台御局の実家・菊亭家で行われたといわれる。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
真田信繁(幸村)と徳川家康
真田信繁(幸村)と徳川家康について記事投稿します。真田家と徳川家の関係は第一次上田合戦、上杉征伐、第二次上田合戦、大坂冬の陣、大坂夏の陣があります。第二次上田合戦では二代将軍徳川秀忠を関ヶ原の戦いに遅参させています。また大坂夏の陣では、徳川家康に二度も自害を決意させたと伝えられています。

お田の方

直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。

弟・左次郎は、お田の方が引き取っている。

お田の方は、妙慶寺を建立し、隆清院の墓碑をおいて供養した。

三好左馬之助幸信

左次郎は三好の姓を名乗った。

秀次は一時期、三好家の養子となり家督相続をしている。

左次郎は姉・お田の方の嫁ぎ先である出羽亀田藩主・岩城宣隆に引き取られた。

元服して「三好左馬之助幸信」と名乗り、亀田藩に仕えた。

享年53。墓所は秋田県妙慶寺。

豊臣秀次事件

豊臣秀次事件について。

1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。

秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。

秀次という人物がいなかったかのように・・・。

豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。

大河ドラマ「真田丸」では岸井ゆきのが演じる

大河ドラマ「真田丸」では「たか(隆清院)」を岸井ゆきのが演じる。

岸井ゆきのは大河ドラマ初出演で、東京ガスのCMなどに出演。

「真田丸」第28話「受難」感想。豊臣秀次事件、そして秀次ロス
第28話「受難」を複雑な思いで、最初は視聴していた。豊臣秀次が切腹するのはわかっていたからだ。そんな思いで、みなさんも見ていたと思う。最後まで秀吉と秀次はすれ違っていた。新納慎也演じる豊臣秀次に完全に感情移入してしまっている管理人にとっては辛い放送回ではあったが、一話もかかさず真田丸を見てきてよかった思えた。

第39話「歳月」

ルソンから秀次(新納慎也)の娘・たか(岸井ゆきの)が帰ってきた。

第28話「受難」では、機転を利かせ信繁(堺雅人)が「たか(岸井ゆきの)」を側室にして、ルソンへ逃している。

それ以来の出番になった。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死
真田信繁とその一行は、九度山村での幽閉生活に慣れてしまっていた。それ故、兄・信之にも助命嘆願を断っている。その代わりってわけではないが、資金援助を申し出ている。実際は九度山も苦しかったようだが、信之の上田も苦しかったようである。そして関ヶ原の戦いから14年、信繁の元に大坂より使者が・・・。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

隆清院・豊臣の血を引く信繁の側室

関連記事

関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。

2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

真田、ましてや豊臣は名乗れないよな。そう考えると三好はいい感じだと思う。

隆清院については、あまり知らなかったので勉強になった。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

スポンサーリンク

フォローする(Push7もあります)

コメントの入力は終了しました。