「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死

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真田信繁とその一行は、九度山村での幽閉生活に慣れてしまっていた。それ故、兄・信之にも助命嘆願を断っている。その代わりってわけではないが、資金援助を申し出ている。実際は九度山も苦しかったようだが、信之の上田も苦しかったようである。そして関ヶ原の戦いから14年、信繁の元に大坂より使者が・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

上田に戻ることを夢見ていた昌幸だったが、その願いは叶わぬまま、64年の生涯を閉じる・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第39話「歳月」あらすじ

九度山村に真田信之と矢沢三十郎が訪れた。信繁は昌幸が残した「兵法奥義」を手渡す。信之が一言「凡人には、まったくわからぬ」。

信繁は信之に助命嘆願は必要ないことを伝える。九度山村での内情を伝え、資金援助を申し出る。九度山村での生活はかなり切迫している・・・。

きりは縫い物の指南、佐助は若者に忍びの技を指南して生計を立たているが、財政がおっつかない。信之は援助を約束して九度山村をあとにする。

信之は京の小野お通を訪ねていた。高台院へのとりなしを願い出ていたが、いい返事は帰ってこなかった。信之はお通に思いを寄せていることを伝える。今後の展開に期待!

薫・稲・おこうは江戸屋敷住まい。体のいい人質です。有働アナによるとこれが参勤交代の原型となる。そして薫は・・・。

豊臣秀次の娘・たかが九度山村を訪れる。信繁は土産の「サナール」からヒントを得る。信之からの蕎麦の実は商売にならなかったが、今回は違う!

信繁は息子・大助と、どう接すればいいのかわからなかった。大助に囲碁を習い、対局しているシーンは良かった!そこには、なぜだか安房守がいるような錯覚に陥った・・・。

そこへ大坂から使者が信繁の元に・・・。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。
小野お通。詩歌・琴・書画などに秀でた才女、真田信之との関係?
詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であったといわれる小野お通。その出自・経歴は謎が多く、推測の域を出ていない。そして小野お通といえば、真田信之を連想してしまう。最終的には側室にはしていないようである。しかし真田信之の次男・信政がお通の娘・宗鑑尼(そうかんに)を側室としている。
小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。

真田昌幸の正室・薫

薫(高畑淳子)殿が「ナレ死」となった・・・。

真田丸では薫だが、山手殿、出家してからは寒松院。

出自は不明だが、管理人は「宇多頼忠の娘」という説が好きだ。

そうつまり、真田昌幸と石田三成は義兄弟になるという説である。

そして山手殿には自害説もある。謎多き女性である・・・。

山手殿(寒松院)。真田昌幸の正室、「真田丸」では薫。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?
真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。
菊亭晴季(今出川晴季)。豊臣政権に関与し、娘・一の台は秀次の正室
菊亭晴季(今出川晴季)。羽柴秀吉に関白任官をすすめて豊臣政権と密接な関係を築いた。官位は従一位・右大臣。娘・一の台は豊臣秀次の正室。豊臣秀次事件に連座したとして越後に流罪となるが、徳川家康のとりなしにより右大臣に復職している。

真田信繁の側室・たか

ルソンから秀次(新納慎也)の娘・たか(岸井ゆきの)が帰ってきた。

ドラマでは「たか」と呼ばれているが、史実では「隆清院」と呼ばれる人物です。

春(松岡茉優)は敵意を剥き出しにしていたが、とりあえずトラブルメーカーにならなくてよかった(笑)。

第28話「受難」では、機転を利かせ信繁(堺雅人)が「たか(岸井ゆきの)」を側室にして、ルソンへ逃している。

それ以来の出番になった。

たか(岸井ゆきの)は瑞龍寺の祖母を頼ると言っていたが、祖母とは秀吉の同母姉・とも(日秀尼)のこと。

ドラマでは描かれていないが秀次の母である。院号は瑞龍院(ずいりゅういん)で、正しくは「瑞龍院日秀」。

隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」
隆清院は真田信繁(幸村)の側室であり、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。信繁(幸村)とは1男1女をもうけている。のち直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。少し豊臣秀次事件に触れてみる。
「真田丸」第28話「受難」感想。豊臣秀次事件、そして秀次ロス
第28話「受難」を複雑な思いで、最初は視聴していた。豊臣秀次が切腹するのはわかっていたからだ。そんな思いで、みなさんも見ていたと思う。最後まで秀吉と秀次はすれ違っていた。新納慎也演じる豊臣秀次に完全に感情移入してしまっている管理人にとっては辛い放送回ではあったが、一話もかかさず真田丸を見てきてよかった思えた。
【真田丸】豊臣秀次のイメージに一石を投じる。制作と新納慎也に拍手
豊臣秀次の終焉が近づいてる。それが第28話「受難」で描かれる。管理人は複雑な気持ちである・・・。最初は、豊臣秀次を演じる新納慎也(にいろしんや)さんもいつものように見ていたが、放送回を重ねるうちにすっかり好きになっていた。新納慎也さんをはじめとする制作スタッフに感謝の記事投稿をする。

真田紐

たか(岸井ゆきの)の土産「サナール」からヒントを得て「真田紐」とした。ネイパラの紐のようだ。

信繁(堺雅人)は村長・長兵衛(木之元亮)と取引をした。

  • 手付金として銭五貫
  • 売上の1割
  • 「真田紐」という名前をかならず使うこと

これが取引の条件だ。

史実では九度山での生活は厳しく、生計は困窮していた。竹林姫(竹林院)は、上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案して、家臣たちに行商させ、生計を支えたとしたなんて話もある。

ここで信繁(堺雅人)発案として「真田紐」をぶっこんできた。

真田紐は現代にも脈々と受け継がれている・・・。

竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。

大河ドラマ「真田丸」第39話「歳月」レビュー

第39話「歳月」で、思いついたことをつらつらと・・・。

透破・佐助の生きる道

春(松岡茉優)が蕎麦掻きを大量に茹でたときの、佐助(藤井隆)のリアクションは白目をむいていた(笑)。

その前の「きり(長澤まさみ)」とのシーンにおいては、佐助(藤井隆)は信之(大泉洋)の悪口というか信之(大泉洋)をdisっている。

ネットでは、信之(大泉洋)が生きる世界は徳川による太平の世である。そこに透破の居場所はないことを佐助(藤井隆)は察しているとの見解であった。

管理人はぼーっと見ていたので、猛反省をした。

なるほど、ネットの指摘は一理あると思いました!

みんな凄いよ(笑)。

蕎麦売

信繁(堺雅人)・きり(長澤まさみ)・佐助(藤井隆)は、信之(大泉洋)から送ってきた蕎麦の実を、「蕎麦がき」として実演販売をした。そのさまは、まるで通販番組のようであった(笑)。

あの名フレーズにのせて。

「味よしのそ~ば~、めされそ~ら~え~、めされそ~ら~え~」

第26話「瓜売」での安房守(草刈正雄)の名調子が思い出される。

結果は惨敗。思うようには売れなかった・・・(笑)。

「真田丸」第26話「瓜売」感想。とりの旅立ち~運命の子・秀頼誕生
鶴松の死により落胆していたかに見えた秀吉だったが、ついに唐入り(明国攻め)を決行した。秀吉はボケていなかった。管理人は、そう描いているように見えた。淀殿懐妊に喜ぶ秀吉だが、戦況は思わしくない。明と暗、光と影を描写した放送回だったと思う。やつしくらべ(仮装大会)・とりの旅立ち・秀頼誕生を絶妙なバランスで描いている。

高梨内記

高梨内記(中原丈雄)は、安房守(草刈正雄)の追腹を試みた。が、信繁(堺雅人)に止められた。

それ以来、元気がない。すっかり生きる希望を失っているようだ・・・。

信繁(堺雅人)は、内記(中原丈雄)に大助(浦上晟周)の傅役を頼む。

ドラマの中での内記(中原丈雄)は、少し大人げないところがあって、大助(浦上晟周)相手に囲碁を勝ち続けている(笑)。

史実の高梨内記は真田信繁(幸村)の傅役との説もある。

そして信繁とともに、大坂城で・・・。

高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

春と「きり」

春(松岡茉優)は苛立っていた。きり(長澤まさみ)に、突然現れた「たか(岸井ゆきの)」に・・・。

そして障子に穴を。もはや春(松岡茉優)にとって障子はストレス解消の道具と化した(笑)。

一方、きり(長澤まさみ)はマイペース。初登場以来、ほんとに同じだ。最近は、それが心地よい!

きり(長澤まさみ)「もう菩薩の心ですよ」

これにつきる。

物事を斜にみるというか、冷静というか、なんかババ様(草笛光子)のようにも思えてきた・・・。

真田家の二代目・ゴットマザー襲名か・・・??(笑)。

【真田丸】大谷吉継の娘・春を演じる松岡茉優がキレイに見える!
真田丸のキャスティングで大谷吉継の娘・春を演じるのが松岡茉優さんであることは、以前から知っていた。特別に楽しみにしていたわけではなく、普通に時を過ごしていた。それが春が初登場のシーンで、不覚にも「ドキッ」としてしまった・・・。
【真田丸】長澤まさみの「きり」、最初は??最近は好きになった!
大河ドラマ「真田丸」が始まってみると、長澤まさみさんが演じる「きり」というキャラクターが物議をかもした。賛否両論あったが、大多数は否定的な意見であった。その当時、管理人も少し否定的に思っていた。しかし最近では、そのような意見を目にすることはなくなった。そして管理人も好意的に思えてきた。
恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」
「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。

信繁と大助

「真田丸」第39話「歳月」感想。真田紐と薫殿のナレ死,画像01

子役ではなく、浦上晟周としての真田大助が初登場!

信繁(堺雅人)と大助(浦上晟周)の囲碁のシーンは良かった!

内記(中原丈雄)に言われたことだが、

大助(浦上晟周)「碁盤は土地、石は杭、相手に四方を囲まれたら取られてしまうのは、まさに戦と同じ」

これを聞いた信繁(堺雅人)は、素直に頷いていた。そしてお前の教えはわかりやすいと褒めていた。

なんとも微笑ましかった・・・。

手前の敷物は安房守(草刈正雄)を彷彿させた。シーンは違うが信繁(堺雅人)はモフモフを着ていた。

まるで、いつも、その場に昌幸(草刈正雄)がいるかのように・・・。

実際の真田信繁も九度山村での幽閉生活で囲碁や連歌をたしなんだようである。

真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる
真田幸昌よりも「真田大助」のほうが広く知られている印象がある。名前「幸昌」は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたといわれる。生年については諸説あるが、生涯といえるほど長くなく若くして亡くなっている。真田大助は最期が若年であったことから、なにか物悲しくてなりません・・・。
真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。

第11話「祝言」

真田丸で囲碁対局の名シーンといえば第11話「祝言」だろう。

管理人は神回だと思っている。

室賀正武(西村雅彦)殺害のシーンでは、囲碁が効果的に使用されていた。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

さらば室賀正武殿「真田丸」第十一話「祝言」囲碁対局の名シーン
「黙れ小童ぁ!」のセリフで注目されていたキャラクター・室賀正武。そして俳優の西村雅彦。「真田丸」第十一話「祝言」での西村雅彦演じる室賀正武の散り際は見事だった!それを引き出した真田昌幸を演じる草刈正雄も凄い。管理人は涙が止まらなかった。そして自分の中では「真田丸」第十一話「祝言」は神回になった・・・。
大河ドラマ「真田丸」第十一話「祝言」感想。室賀正武どの散る
沼田領問題で追い詰められた徳川家は室賀正武をそそのかし、真田安房守を暗殺させようとする。源次郎信繁と梅の祝言は利用される。葛藤する室賀は昌幸殺害を決心する。徳川家と室賀の企みを知った真田家は室賀を返り討ちにする計画を進める。源次郎信繁は、その計画を知らない。めでたいはずの祝言は「血染めの祝言」になってしまう・・・。

明石全登

今放送回は、最後の直前までほのぼのとしたホームドラマかと思っていたら・・・。

風雲急を告げるように信繁(堺雅人)の元へ大坂から使者が来た。

使者は元宇喜多秀家家臣・明石掃部頭全登(小林顕作)。ドラマでも少しではあるが、以前から出演していた。

印象深いシーンは金吾殿(浅利陽介)が見た幻影の武者の一人。

明石掃部頭全登は、真田信繁らとともに「大坂五人衆・大坂城五人衆・大坂牢人五人衆」と呼ばれる。

いよいよ大坂の陣って感じがする。

楽しみではあるのだが、切なくもある・・・。

明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫
明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。
「真田丸」第37話「信之」感想。三成ロスと刑部ロス~九度山流罪
安房守と左衛門佐の処遇は九度山流罪。真田伊豆守と本多忠勝の尽力により死罪だけは免れた。そして真田家は伊豆守を当主として残る。上田の領地も伊豆守が治める。犬伏の別れは、無駄ではなかった・・・。とにもかくにも真田家は残る。そして大坂城にて左衛門佐は、治部殿と刑部殿の最期を聞かされる・・・。
小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る
小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。

「真田丸」第39話「歳月」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第39話「歳月」が2016年10年2日放映された。平均視聴率は16.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回より僅かにアップ。

最終話まで、このへんの視聴率で安定するのだろうか・・・。

それにしても真田昌幸(草刈正雄)の最期より、視聴率が少しアップしている。

管理人は少しダウンと予想していただけに、視聴率とは難しいと思った次第であります(笑)。

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まとめ

管理人は、この日飲みすぎたことと、ホームドラマの様な展開にウトウトしながら見ていた。

明石掃部頭全登(小林顕作)の登場と次回予告で我に返った。

それからオープニングのキャスティングロールの寂しさ・・・。

Twitterのフォロワーさんも同じようなことをつぶやいていたので、そう思ったのは自分だけではないことを確信した。

そ~だよなー、すぐそこまで大坂の陣が見えてるもんな~・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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