「真田丸」第43話「軍議」感想。蘇る安房守の遺言と一味違う大野修理

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大坂城での軍議、それは籠城という名の出来レース。大野修理が根回しをして、それぞれを籠城に言い含めている。そんなことを知らない幸村は、真剣に徳川に勝つ方法を考えている。五人衆は各々の望みはあるが、それは豊臣家が勝ってこそ。幸村に心動かされ、あの大野修理までも心動かされる。しかし事実上の大坂城の主人である茶々は・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

大坂城に入った信繁は、早速、牢人たちの主導権争いに巻き込まれる。果たして・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第43話「軍議」あらすじ

信之は幸村が大坂入城を果たしたことを知る。身内同士で戦うことに耐えられないこともあるが、信之は弟・幸村に好きにさせてやりたかった。この14年間の思いを兄は痛いほどわかっている・・・。

大御所・家康は片桐且元に面会。駿府城では一度も会えなかったのに。且元は大坂城の内情を喋ってしまう。且元が徳川家に出奔した瞬間である。

大蔵卿局・織田有楽斎は牢人たちに主導権を取らせないように大野治長に釘をさす。治長の表情が冴えないのが気になるが・・・。それは少しだけ後に分かる。

いよいよ豊臣秀頼の御前で軍議が開始された。籠城策が多数の中、幸村だけが異を唱える。治長によって幸村以外、籠城策を言い含められているようだった。籠城で決まりかけた時、毛利勝永が幸村の野戦策に乗る。

軍議は紛糾し、しばしの休憩。上辺だけのヨイショが、本当に胡散臭い有楽斎!幸村は他の五人衆の思いを知る。何のために大坂へ来たのか。この時、後藤又兵衛の理由は聞けなかった。それは後で分かることなのだが・・・。

休憩時に明石全登と長宗我部盛親は、幸村の話を聞き、幸村の策に乗った。二人の思いは豊臣家が勝たないと叶えられない。

又兵衛は武士として死に場所を求めに大阪へやってきた。そこを幸村に見透かされた。痛いところをつかれた又兵衛ではあるが、幸村に同調した。

五人衆の思いは別なところにあるが、一つだけ通じ合うものは、それぞれ望みを持っていること。それは勝つことによってしか叶えられない・・・。五人衆の気持ちが一つになった。

治長の一喝により、有楽斎の籠城策も劣勢に。秀頼は野戦を決断した!

しかし「おかみさま」と呼ばれる茶々(淀殿)は、籠城を主張。秀頼は言うことを聞くしかなかった。治長から幸村に籠城に決まったことが告げられた・・・。

今年の豊臣方は勝てるかもしれないと願った真田丸ファンは思った。これではいつもの展開と同じであると・・・。

史実を変えられないのはわかるが、釈然としてい気持ちが管理人にはある。それは殆どの人が抱いている感想だと思う。

幸村は何を思い、漆黒の大坂城天守を見上げたのだろうか・・・??。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

蘇る安房守の遺言

第38話「昌幸」で安房守(草刈正雄)は、信繁(堺雅人)に遺言を残した。豊臣と徳川の戦い方、徳川に勝つ方法が遺言になった。

その遺言が、今まさに蘇る。あの時と状況が少し変わったので、信繁(堺雅人)はアレンジを加えた。

信繁(堺雅人)の策は、

秀忠(星野源)が到着する前に、伏見城を攻め、それを出城にして二条城の家康(内野聖陽)の首をとる。

同時に別働隊は大津を攻め近江を抑える。安房守(草刈正雄)の案は尾張を制すであった。

そして瀬田と宇治の橋を落とす。これは安房守(草刈正雄)と同じ。

豊臣恩顧の大名たちを味方にして、伊達・上杉と示し合わせて秀忠(星野源)を挟み撃ちにして攻める。

多少のアレンジを加えているが、信繁(堺雅人)は「負ける気がしません」と自信満々。それも安房守(草刈正雄)ゆずり。

息子の成長に安房守(草刈正雄)も喜んでいるに違いない・・・。

「真田丸」第38話「昌幸」感想。三成を継ぐ清正、さらば安房守
安房守と左衛門佐の九度山幽閉生活が始まった。この生活がいつまで続くかわからない。伊豆守が奔走するが、家康が許さない。世の情勢は、完全に豊臣から徳川に移った。豊臣秀頼は立派な若武者に成長した。しかし立派であるがゆえに家康は・・・。そして安房守の命が尽きようとしている・・・。
徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。

本音が出た織田有楽斎

五人衆・大野治長(今井朋彦)・木村重成(白石隼也)の心は、野戦に決まった。あと秀頼(中川大志)の裁断を待つだけであった。

そこに織田有楽斎(井上順)が本性を現した。

有楽斎(井上順)「おぬしらは、しょせん金で雇われた牢人たちじゃ。身の程をわきまえよ」

又兵衛(哀川翔)「本音が出たな」

有楽斎(井上順)「我らの指示に従い敵と戦っておればいいのだ」

ネットでは胡散臭いとまで言われている有楽斎(井上順)。

見方を変えれば井上順さんの演技がうまいということだ。管理人は井上順さんの演技に感心している・・・!

そして、この織田有楽斎であるが、史実では大坂夏の陣の前に大坂城に居場所がなくなり、徳川家に出奔している・・・。

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?
織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。
木村重成。秀頼の小姓で正四位上・長門守、戦国最強のイケメン
木村重成。幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれる。知行は3千石。官位は正四位上・長門守。母の宮内卿局(右京大夫局の説あり)は豊臣秀頼の乳母。豊臣姓を下賜されている。真田丸も木村重成を取り上げるとはシブい!

大野修理の言葉にはスカッとした

「真田丸」第43話「軍議」感想。蘇る安房守の遺言と一味違う大野修理

その有楽斎(井上順)を大野修理(今井朋彦)が遮る。

治長(今井朋彦)「有楽斎様・・・。今の言葉は聞きづてなりませぬ」

有楽斎(井上順)「何だと」

治長(今井朋彦)「ここにいるのは豊臣を守るために集ったものたちでございます」

治長(今井朋彦)「我らにとっては、あくまでも客人。非礼は許されません」

有楽斎(井上順)「誰に向かっていうておる」

治長(今井朋彦)「決めるのは右大臣・秀頼公でございます。あなたではござらん!」

秀頼(中川大志)「決めた!籠城はせぬ。うってでよう」

有楽斎(井上順)「このこと大蔵卿にお伝えする」

治長(今井朋彦)「好きになさりませ」

スカッとした。格好良かった!こんな大野修理は初めて見たよ!!管理人のイメージでは嫌な奴の代表であった大野修理が・・・、こんな事いうなんて・・・。

三谷幸喜氏の真骨頂!大野修理に、こんなセリフを用意していたなんて・・・。

これこそが真田丸が皆に愛される所以!!

この時、Twitterのタイムラインには大野修理を賞賛する、多数のつぶやきが流れたことは言うまでもない・・・。

大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

大河ドラマ「真田丸」第43話「軍議」レビュー

第43話「軍議」で、思いついたことをつらつらと・・・。

初(常高院)が初登場

はいだしょうこ演じる初(常高院)が初登場でした。

たしか2011年放送「江〜姫たちの戦国〜」での水川あさみもお菓子を食べているシーンが多かったような(笑)。

これが初(はいだしょう)に受けた第一印象。

この戦は勝てると言った淀殿(竹内結子)に対しての初(はいだしょう)の表情は、これからの豊臣家を暗示している・・・。

初(常高院)。大坂冬の陣では阿茶局と和議をまとめる、京極高次の正室
初(常高院)といえば、大坂冬の陣で阿茶局と和議をまとめることだろう。浅井三姉妹の一人。姉は豊臣秀吉の側室となった茶々(淀殿)。妹は徳川秀忠正室(継室)の江(崇源院)。本名は浅井初(あざいはつ)。一般に「初」の呼び名で知られる。京極高次の正室。

ひとたらし徳川家康

太閤・豊臣秀吉(小日向文世)かと思うほどの「ひとたらし」ぶりの徳川家康(内野聖陽)であった。

片桐且元(小林隆)を口説き落とした。

史実での且元は、積極的に徳川家の軍議にも参加し、絵図制作もしている。

管理人は、これからの且元(小林隆)の描き方に注目している!

片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。

瀬田の唐橋

安房守(草刈正雄)・信繁(堺雅人)が言った瀬田の橋とは「瀬田の唐橋」のこと。「勢多の唐橋」「瀬田の長橋」とも言われる。

京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三大橋の一つとされてきた。

瀬田の唐橋を舞台として繰り広げられた「壬申の乱」「寿永の乱」「承久の乱」「建武の乱」などが有名。

「瀬田の唐橋」は、古くから様々な戦乱に巡り合ってきた。

大坂五人衆のそれぞれの思い

幸村(堺雅人)は、ほかの大坂五人衆の思いを知ることになる。

  • 毛利勝永(岡本健一)-己の力を試したかった
  • 明石全登(小林顕作)-キリシタン信者を一人でも増やす
  • 長宗我部盛親(阿南健治)-長宗我部家の再興
  • 後藤又兵衛(哀川翔)-天下一の城で武士らしく討ち死に

そして幸村(堺雅人)は「私にもよくわからないのです」と言っている。

しかし源次郎はわかっているはずだ。

管理人は、治部殿(山本耕史)・刑部殿(片岡愛之助)・秀吉(小日向文世)の思いに応えるためだと思っている・・・。

そして茶々(竹内結子)に導かれるかのように。

もしかしたら、武士としての死に場所を一番求めているのは、幸村(堺雅人)かもしれない・・・。

毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯
豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫
明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。
長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる
管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。
後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。

死神かもしれない茶々

第19話「恋路」で秀吉(小日向文世)が茶々(竹内結子)に近づくことを禁じていた蔵。

茶々(竹内結子)と源次郎(堺雅人)は、再び訪れた。槍にはホコリ、薙刀は無造作に転がっていた。

二人の会話は、

茶々(竹内結子)「ずっと待っていました・・・」

茶々(竹内結子)「わたくしの愛した人たちは皆、この世に未練を残して死にました」

茶々(竹内結子)「父上も母上も兄上も、柴田の父も。捨も・・・」

源次郎(堺雅人)「太閤殿下は?」

茶々(竹内結子)「わたくしの愛した人たち・・・と言いました」

茶々(竹内結子)「わたくしはどうなっても構いません。秀頼を死なせないで・・・」

源次郎(堺雅人)「命にかえても!」

そして後ろから茶々(竹内結子)は源次郎(堺雅人)に抱きついた・・・。

第19話「恋路」で秀吉(小日向文世)が寧(鈴木京香)の膝枕で大坂城の難攻不落と、茶々(竹内結子)の難攻不落さを話すシーンがある。

茶々(竹内結子)が側室になる直前のシーン。それが妙に懐かしい。

やはり第19話「恋路」は名作であり、神回だ!

茶々(竹内結子)は秀頼(中川大志)が最終決断した野戦を握りつぶし、籠城にさせている。

源次郎(堺雅人)に投げかける悪魔の笑顔が恐ろしい。茶々(竹内結子)は誰よりも死ぬことを恐れ、豊臣家の死神と化した。

いま豊臣方は難攻不落の大坂城に籠城しようとしている・・・。

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
「真田丸」第19話「恋路」感想。茶々が側室、秀吉政権崩壊の一歩
真田家では源三郎信幸と本多平八郎忠勝の娘・稲との縁組の話が持ち上がった。この話は徳川家からの申し出である。真田家にとっても悪い話ではないが、源三郎信幸には「正室・こう」がいる・・・。大坂の源次郎信繁は自分のことで精一杯である。茶々との関係が城内で噂されていた。そんな中、茶々が秀吉の側室になることが決まった。
竹内結子の茶々が号泣するシーン、ブロードキャスト!!房野が絶賛!
ブロードキャスト!!房野が絶賛していた竹内結子の茶々が号泣するシーンをあらためて振り返ってみた。このシーンは、大河ドラマ「真田丸」第25話「別離」で放送されている。当時の記事投稿に少し感想を加えてみる。ブロードキャスト!!と房野が参加している歴史ユニット「六文ジャー」についても。

「真田丸」第43話「軍議」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第43話「軍議」が2016年10年30日放映された。平均視聴率は14.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

やっぱりこんなもんですかというのが第一印象。

このへんの数字で最終話までいきそうです・・・。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.5%。好調をキープ!

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まとめ

あまりにも新鮮であり斬新であった大野修理(今井朋彦)。

そしていつもは大野修理の役回りであった織田有楽斎(井上順)。胡散臭いなんて言われている。

ラスボス感満載な茶々(竹内結子)。これも予想通り。

有楽斎(井上順)が、あんな感じなんで大野修理(今井朋彦)の良さが余計に引き立った!

これが真田丸の素晴らしいところであり、みなに愛される理由。いままでの大河ドラマとは一線を画している!

時代考証の先生方・三谷幸喜氏を含んだ制作スタッフの努力が伝わる。

「真田丸」は伝説のドラマになるに違いない・・・!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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