「真田丸」第44話「築城」感想。真田丸の完成と内通者は誰だ?

「真田丸」第44話「築城」感想。真田丸の完成と若武者・豊臣秀頼,アイキャッチ画像
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第43話「軍議」は籠城という絶望感で終わった。幸村は籠城なりの策を考える。それが大坂城の南側に出城を築くこと。織田有楽斎と大蔵卿局に邪魔はされたが、大坂五人衆は表立つことが可能になった。豊臣秀頼は牢人たちと戦うことを決断。出城は「真田丸」と名づけられた。この物語のタイトルである・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

長い軍議の末、ようやく牢人五人衆の意見はまとまったが・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第44話「築城」あらすじ

長い軍議の末、大坂五人衆の意見はまとまり野戦が決まったが、茶々の一言で籠城に決定した。幸村は籠城に適した作戦を考える。そして大坂城の南側に出城を作ることを思いつく。

しかし出城を作ることは後藤又兵衛も考えていた。幸村は又兵衛を必死に説得して、出城を築くことを譲ってもらう。幸村の丁寧な説明に又兵衛も納得した。

一方、将軍・徳川秀忠も京都に到着。秀忠は関ヶ原の二の舞いになるまいと急いだが、それが裏目に出た。家康に怒られてしまった。

家康によれば、今回の戦は急ぐものではない。それゆえ将軍らしく、威風堂々とゆっくり来ればよかったらしい。

信之から言伝を預かった松は信吉・信政に言い聞かせる。なるべく真田同士戦わないようにと。史実の二人は確かに別の意味でそうなるのだが・・・。

幸村が籠城に適した布陣を考案したが、織田有楽斎と大蔵卿局が難癖をつける。この二人、Twitterの皆が言うようにウザい。特に有楽斎が(笑)。

大坂五人衆は布陣より排除された。ここで豊臣秀頼が豊臣家の当主らしく振る舞う。中止されていた出城の工事を再開させ、幸村の考案した布陣に戻す。

母・茶々に対して何も言えなかった秀頼だが、はじめて自分の主張をぶつけた。報告を受けた茶々は軽く笑みを浮かべた。これは何を意味する笑みなのか・・・?

こうして出城は完成。徳川勢を迎え撃つ準備は整った。

出城は「真田丸」と名づけられた。

真田丸の船出が始まろうとしている・・・。

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。
真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿
「真田丸」では松という名で女優・木村佳乃が演じてます。正式には、真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿である。子に小山田之知がいる。武田家滅亡後、真田家が織田信長に臣従した際、安土に真田昌幸は娘を人質として送っている。それが村松殿であった可能性がある。「真田丸」と同じですね。
真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守
真田信吉(さなだのぶよし)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主。この時の沼田の所領は独立した藩ではない。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。
真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立
真田信政(さなだのぶまさ)。母は小松姫(本多忠勝の娘)。官位は従四位下・侍従兼大内記。信濃松代藩主。病気療養の父・信之の代わりに兄・信吉とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。なかなか隠居しないと思い込んでいた父・信之とは対立があったようである。

小野お通と真田信之

真田信之(大泉洋)は小野お通(八木亜希子)を江戸によんでいた。

小野お通という人物、謎多き女性と言われている。生没年は不詳。詩歌・琴・書画などに秀でた才女。

真田信之はお通に思いを寄せていたという説がある。

信之の正室・小松姫は晩年に、「そろそろ京の人を迎えてみてはどうですか?」とお通を側室にするよう勧めたといわれる。

しかし信之はお通を側室に入れることはなかった。

二人の関係、これからどう描かれるのであろうか・・・?。

小野お通。詩歌・琴・書画などに秀でた才女、真田信之との関係?
詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であったといわれる小野お通。その出自・経歴は謎が多く、推測の域を出ていない。そして小野お通といえば、真田信之を連想してしまう。最終的には側室にはしていないようである。しかし真田信之の次男・信政がお通の娘・宗鑑尼(そうかんに)を側室としている。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。

織田有楽斎は内通者?

豊臣方の内情は家康(内野聖陽)に伝わっている。

籠城することも、布陣も全て筒抜けだ。

一体誰が知らせてるんだと思う・・・。

シンプルにいえば、織田有楽斎(井上順)が怪しい。

まさか片桐且元(小林隆)では・・・と思う。家康の手で隠れてはいたが、最後の署名が「い・・」となっていた。

管理人の結論としては、且元(小林隆)の「いちのかみ」ではないかと思っている!間違ってたら、ごめんなさい(笑)。

すみません。見間違いでした。よく見ると「お・・」ですね。とすると織田有楽斎(井上順)、もしくは大角与左衛門(樋浦勉)あたりだろうか・・・。

管理人の結論として内通者は、大角与左衛門(樋浦勉)じゃないかと・・・。大角与左衛門(樋浦勉)は確か裏切り者で名高い台所頭だったと思います。

間違ってたら、ごめんなさい(笑)。

史実の有楽斎は大坂夏の陣を前に、徳川家の承諾をえて大坂城を退去している。

管理人にとって有楽斎という人物は、武将というよりは茶人だ。文化人としては当代一流の人物だと思うのだか・・・。

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?
織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。
片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。
「真田丸」第45話「完封」感想。毛利勝永にしびれ、高砂ふたたび
ついに大坂冬の陣が始まった。木津川口・今福砦での戦いは豊臣方の劣勢。やはり豊臣方の内情が漏れている。徳川方の内通者は誰なのか?なんとか太閤・秀吉の恩に報いたい福島正則と平野長泰。ひとりひとりの思いが錯綜する。第45話「完封」は見どころ満載である・・・。

第48話「引鉄」

第48話「引鉄」で内通者は織田有楽斎(井上順)であることが明確になった。

またもや管理人の予想は外れた(笑)。

最後の署名も「お」「う」。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

「真田丸」第48話「引鉄」感想。内通者は有楽斎、利休が残した馬上筒
徳川方への内通者は織田有楽斎であった。読みすぎたのか管理人の予想は外れた。大角与左衛門は、さすがに読みすぎか・・・。残る放送回もあと僅か。和議が成立したかに思えたが、幸村の思い通りにはいかない。一人一人に思いがあるという安房守の遺言。幸村は痛感しているだろう。勝つために大坂城にきたと言っていた幸村だが・・・。

第49話「前夜」

なんと内通者はもう一人いた!

内通者に関しては、すっかり油断してました。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

「真田丸」第49話「前夜」感想。「黙れ、小童ぁ!」返しと「きり」の愛
内通者は織田有楽斎だけではなかった。台所頭・大角与左衛門(樋浦勉)も内通者だった。といってもそれは有名な話。でも与左衛門(樋浦勉)もキッチリ描くのが真田丸の真骨頂!何人かの主要人物が討死した。わかっていても悲しいものは悲しい・・・。そして、そして、ついに源次郎と「きり」が・・・。

大河ドラマ「真田丸」第44話「築城」レビュー

第44話「築城」で、思いついたことをつらつらと・・・。

木札を渡す塙団右衛門

少しだけだが塙団右衛門(小手伸也)が登場。

真田大助(浦上晟周)にまで木札を渡していた。もらった大助(浦上晟周)も戸惑う・・・(笑)。

最近は塙団右衛門(小手伸也)が気になっているキャラクターだ。

というのも塙団右衛門を演じている小手伸也さんが、管理人のツイートを引用してくれるからもあるだろう。

何よりも、小手伸也さんの演じる塙団右衛門が憎めないというか・・・。小手伸也さんが演じる塙団右衛門が気になってしょうがない。

塙団右衛門ガンバレ!!

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも
塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。
真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる
真田幸昌よりも「真田大助」のほうが広く知られている印象がある。名前「幸昌」は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたといわれる。生年については諸説あるが、生涯といえるほど長くなく若くして亡くなっている。真田大助は最期が若年であったことから、なにか物悲しくてなりません・・・。

徳川秀忠のトラウマ

徳川秀忠(星野源)にとって関ヶ原の戦いはトラウマだろう。

第二次上田合戦は思うようにいかず、悪天候により本戦に参加できていない。

秀忠もそうだが、徳川家にとって真田は天敵だろう。第一次上田合戦でも敗戦。

家康(内野聖陽)は秀忠(星野源)に「いつまでも関が原を引きずるな」なんていってるが、一番引きずってるのは家康(内野聖陽)。

真田の名を聞くたびに「真田・・・、また真田か!」と言っているのがいい証拠である。

真田は「狸キラー」としても名高い!

徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。
第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)、真田VS徳川
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。

大野治長株は右肩上がり

大野修理(今井朋彦)は今週もよかった。

完全に大坂五人衆の味方である。

織田有楽斎(井上順)と大蔵卿局(峯村リエ)がアレなんで、いっそう良くうつる。

有楽斎(井上順)と大蔵卿局(峯村リエ)を黙らせるために、秀頼(中川大志)を出城の現場に連れてくるところがグッド!

大野修理株は今週も急上昇!!

大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

大坂城の主は豊臣秀頼

その豊臣秀頼(中川大志)だが、幸村(堺雅人)の手を握り以下の言葉を。

秀頼(中川大志)「そなたを信じておる」

この手法はまさに「ひとたらし」と言われた太閤・豊臣秀吉そのもの。

先週は家康(内野聖陽)が片桐且元(小林隆)の手を握り、今週は幸村(堺雅人)が作兵衛(藤本隆宏)の手を握った。

そして秀頼(中川大志)が・・・。

立派な若武者に育った秀頼(中川大志)は、はじめて母・茶々(竹内結子)に逆らった。

茶々(竹内結子)は嬉しかったのだろうか。軽く微笑んでいた・・・。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

真田丸完成

「真田丸」第44話「築城」感想。真田丸の完成と若武者・豊臣秀頼,画像01

大坂城の南側に出城が完成した。

高梨内記(中原丈雄)「間に合いましたな」

幸村(堺雅人)「内記、ようやくこれで城持ちになった」

高梨内記(中原丈雄)「城の名はなんとします?」

幸村(堺雅人)「決まってるだろう、真田丸よ!」

出城は「真田丸」と名付けられた!

高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

しびれるエンディング

ここでエンディングにいつもの曲が。

今放送は、オープニングテーマ曲がなかった。

その曲がいつもと少し感じが違う。

効果音が入り、馬のいななきまである

かっこいい!!

44回の長い前フリは終わった。真田丸はここからはじまると言わんばかりに・・・!!

魚鱗の陣

曲の終わりのバックには、いつも赤備えの「魚鱗の陣」

安房守(草刈正雄)がいる時は、「真田昌幸 草刈正雄」とクレジットされていた。

今回は「徳川家康 内野聖陽」。

それは「魚鱗の陣」で真田の赤備えが徳川家康に突撃するのを連想させる。

素晴らしい・・・!!

「真田丸」第44話「築城」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第44話「築城」が2016年11年06日放映された。平均視聴率は15.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回よりわずかにアップ!

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.5%。好調をキープ!

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まとめ

今放送は、何と言っても最後の5分。真田丸の完成から、エンディングに尽きる。

管理人は、すっかりしびれてしまった。ずっと真田丸を見てきてよかったと思った!

残り放送回も少ないが、真田丸の船出は始まったばかりだ・・・。

第43話「軍議」の最後、茶々(竹内結子)の「籠城」の言葉に、真田丸クラスタはうちひしがれた。

今放送の終わりは「真田丸」完成。終わり方が希望に満ちている。

いつもと違う大野修理(今井朋彦)・豊臣秀頼(中川大志)。

今年の豊臣方は勝てる!!!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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