「真田丸」第31話「終焉」感想。「頼む佐吉を・・・」~巨星墜つ

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この記事の所要時間: 1120(文字数:6,803文字)

秀吉は源次郎に「頼む、秀頼を」ではなく「頼む、佐吉を・・・」と言った。この時の秀吉は昔に戻っていたと思う。そして出浦昌相と本多平八郎忠勝の大立ち回り。「終焉」というタイトルにふさわしい放送回であった。「頼む、佐吉を・・・」の言葉に涙した・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

太閤・秀吉の死がすぐそこまで迫っている・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」あらすじ

太閤・秀吉の死が近づいている。それは誰の目から見ても明らかなこと。徳川家康本人は言っていないが、阿茶局は「天下」を口にする。

しかし老衆(おとなしゅう・大老)だけでは、政(まつりごと)ができない約定がある。奉行の合意を得なければならないのだ。

本多正信の提案により、秀吉に新たに遺言状を書いてもらうことになった。もらうというより、無理やり書かせた。「かえすがえすも秀頼のこと・・・」で有名な遺言状である。

これを知った治部殿は激怒。遺言に奉行のことを書き加えることを思いつく。その作業も強引であった。秀吉は「疲れた・・・」「眠い・・・」を連発していたが、追加の文を無理やり書かせた。

淀殿であるが、秀吉の見舞いには来ない。秀頼に老いた秀吉の姿を見せたくないと言っているが、見たくないのは淀殿のようである。

人の死は経験しているが、死を目の当たりにしたのは息子・鶴松がはじめて。あの時から、お方さまの中で何かが変わった。実は弱い人なのですとは、大蔵卿局の言葉。

秀吉がいよいよであるという時、淀殿は秀頼とともに秀吉を見舞う。気丈に振舞っていたが、やはり北政所の胸で泣いてしまうのであった。秀頼が鳴らした鐘の音が、なにか物哀しい・・・。

秀吉は治部殿に「家康を殺せ」と命令する。治部殿は忍城の戦い以来、安房守を師と仰いでいた。家康暗殺の件を安房守に相談する。

徳川屋敷に忍び込んだ出浦昌相であったが、家康殺害は失敗に終わる。

そして、いよいよその時はやってきた。

太閤・豊臣秀吉が死去。

希代の英雄も病?には勝てなかった・・・。

阿茶局(雲光院)。家康の側室、大坂冬の陣の和議に尽力。一位局
家康の側室である阿茶局(雲光院)。徳川家康との間に子はなさなかったが、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に尽力している。後水尾天皇より従一位を賜り、一位局・一位尼と称される。
本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。
豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。
のぼうの城、石田三成が落とせなかった行田市忍城と成田氏
映画「のぼうの城」を見る機会があったので、行田市忍城について調べました。おもに成田氏と忍城の戦いについての記事投稿をします。忍城の戦いは日本三大水攻めの一つに数えられる。石田三成が落城させることができなかったあの戦いである。つけくわえるならば豊臣秀吉の小田原攻めの最中の戦いである。忍城を治めていたのが成田氏です。

金吾中納言と蝋燭(ろうそく)

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秀吉(小日向文世)は燭台の火を消すなと源次郎信繁(堺雅人)に命令していた。燭台の火が消えた時は、自分の命の火も消える時と言っている。

秀吉を見舞いに来た「金吾中納言」こと小早川秀秋(浅利陽介)は、なんと蝋燭の火を消してしまった。その場にいた徳川家康(内野聖陽)と源次郎信繁(堺雅人)は呆然・・・。

脚本家・三谷幸喜氏は、以前のインタビューで「横山三国志で一番好きだったのは、魏延が尻で蝋燭倒して諸葛亮の延命の儀式を台無しにしたシーン」と言っている。

今回の「金吾中納言と蝋燭(ろうそく)」の話は、なんとも三谷氏らしいオマージュであろう。

丞相・諸葛孔明の死後、魏延の行動は反逆とみなされ殺害されている。のち関ヶ原の戦いで小早川秀秋は・・・。

このシーンには秀吉を除くと三人の人物がいた。三人とは、徳川家康(内野聖陽)・小早川秀秋(浅利陽介)・真田信繁(堺雅人)なのだが。

よりによって、この三人とは・・・。

小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る
小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。
真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
真田信繁(幸村)と徳川家康
真田信繁(幸村)と徳川家康について記事投稿します。真田家と徳川家の関係は第一次上田合戦、上杉征伐、第二次上田合戦、大坂冬の陣、大坂夏の陣があります。第二次上田合戦では二代将軍徳川秀忠を関ヶ原の戦いに遅参させています。また大坂夏の陣では、徳川家康に二度も自害を決意させたと伝えられています。

血まみれの少年

徳川家康(内野聖陽)は秀吉(小日向文世)の見舞いと称して、遺言状を書かせるために秀吉(小日向文世)の寝所を訪れる。その時に信長公より拝領した鎧を持参する。

秀吉(小日向文世)は、馬の蹄の音で目が覚める。信長公の鎧が「ピカッ」と光る。恐怖のあまり、秀吉(小日向文世)は布団をかぶる。恐る恐る秀吉(小日向文世)が顔を覗かせると、

そこには「血まみれの少年」が立っていた。

「血まみれの少年」の正体は、浅井長政の嫡男・万福丸だ。その昔、小谷城落城時、信長の命令により磔にして処刑した「万福丸」である。淀殿(茶々)の兄にあたる。

この少年は万福丸なのかもしれないが、見方によっては「将来の秀頼」ともとれる。

この後すぐに秀吉(小日向文世)は治部殿に「家康を殺せ」と命令している・・・。

徳川家康暗殺疑惑事件。家康と正信の謀略と言われ、前田家を封じる
豊臣秀吉の死後、徳川家康は天下への野望を隠さなかった。1599年(慶長4年)には石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件が起きている。今回は徳川家康暗殺疑惑事件を取り上げる。2つの事件に共通しているのは、徳川家康の存在が大きくなったことだ。徳川家康暗殺疑惑事件は家康と本多正信の謀略とも言われている。

徳川秀忠と真田信幸

信幸(大泉洋)が徳川屋敷を訪問した時には徳川秀忠(星野源)も同席していた。

信幸(大泉洋)が帰るときには、二人きりになり何気ない会話を交わしている。秀忠(星野源)も正室・江については何かと苦労しているらしい・・・。

この二人きりのシーンは、もうまもなく起こる「第二次上田合戦」への伏線であろう。

第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。
徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

出浦昌相と本多平八郎忠勝の大立ち回り

楽隠居を決め込む安房守(草刈正雄)に、出浦昌相(寺島進)は業を煮やしていた。

そんなおり、治部殿(山本耕史)から家康暗殺の話が真田家に舞い込む。

出浦殿(寺島進)は「一番カラスが鳴く前には戻る」と言って、徳川屋敷に向かう。

屋根裏から家康殺害のタイミングを伺う。

そこにはなぜか源三郎信幸(大泉洋)が徳川屋敷にいた。源三郎(大泉洋)は、百助以外にも子供がいることを家康(内野聖陽)から本多平八郎忠勝(藤岡弘、)に話して欲しいと頼みに来ていた。

源三郎(大泉洋)が「なんでいるんだ、いなけりゃいいのに・・・」と思った視聴者は、たくさんいたはずだ。

源三郎(大泉洋)に「火遁の術」の音を聞かれてしまう。忠勝(藤岡弘、)は槍を屋根裏に一閃。

出浦殿(寺島進)は忍び込んでいたのが、バレてしまう。

出浦昌相(寺島進)と本多平八郎忠勝(藤岡弘、)の大立ち回りが始まる。

出浦殿(寺島進)が忠勝(藤岡弘、)の槍を真っ二つにする。槍は「蜻蛉切」ではないだろう。

出浦殿(寺島進)は、信幸(大泉洋)に遭遇。その隙に、背中から忠勝(藤岡弘、)に斬られてしまう。それでも命からがら徳川屋敷から脱出。

佐助(藤井隆)に助けられ、出浦殿(寺島進)はボロボロになって真田屋敷に帰ってくる。

安房守(草刈正雄)が頬ずりしながら、出浦殿(寺島進)を抱きかかえる。涙するシーンだ!

立ち回りのシーンは格好いいし、最後は泣ける。

この一連のシーン、出浦殿(寺島進)の真田丸における名シーンのひとつになるのではないだろうか。それくらい良かった・・・。

それから史実での出浦昌相の最期は、もう少し先の話になるので、今回は何とか大丈夫だと思われます。

出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将
徳川四天王、徳川十六神将である本多平八郎忠勝。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。官位は従五位下・中務大輔。豪将であり義の人というイメージです。真田昌幸、信繁(幸村)の助命があるからだと思います。生涯57回の戦で一度も負けなかったが、死の数日前、小刀で手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまったことは有名である。

大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」レビュー

刑部殿(片岡愛之助)の病状は悪化の一途をたどっている。わかっていはいるけど、なんか切ないな~。

見るに忍びないというか、刑部殿(片岡愛之助)を見ていると、いたわしくて見ていられない気持ちでいっぱいになる・・・。

治部殿(山本耕史)・刑部殿(片岡愛之助)・源次郎信繁(堺雅人)の三人のシーンでは、治部殿(山本耕史)が二人に協力を求め丁重に頭を下げている。

治部殿(山本耕史)の必死さが伝わる・・・。

そして第25話「別離」以来となる水垢離(みずごり)。身にまとっているのは褌(ふんどし)一丁。

今回「三成脱ぐ」のタグでのツイートは少なかったように感じる。

管理人は、この褌(ふんどし)一丁の姿さえ、格好良く思えてしまった。

変な意味ではなく、秀吉と佐吉の関係性が垣間見えたというか・・・。

治部殿(山本耕史)を引き立たせている意味では、小日向文世さんの秀吉の演技が素晴らしい!

思えば小日向さんは、いろんな秀吉の顔を見せてくれた。どれも素晴らしかった。

強烈なインパクトを皆に残した「秀吉」だった。

ありがとう小日向文世さん!!

大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。
「真田丸」第25話「別離」感想。鶴松の死、それは悲劇の序章
正直、第25話「別離」は見ていて疲れた。もちろんいい意味での疲れであるのだが。天下一統を果たし、絶頂に思えた秀吉だが、ここからジワジワと崩壊が始まる。大和大納言・豊臣秀長の死、千利休の切腹、鶴松の死を描いた放送回だった。死を扱っているが、反対の生きることを訴えかけているようにも思えた・・・。

「頼む、佐吉を・・・」

今回、管理人が一番感動したシーンを振り返る。

寝ていた秀吉(小日向文世)は源次郎(堺雅人)を呼ぶ。

秀吉(小日向文世)「源次郎・・・」

秀吉(小日向文世)「頼む、佐吉を・・・」

源次郎(堺雅人)「石田様を・・・」

秀吉(小日向文世)「支えてやってくれ、寂しい男でな・・・」

源次郎(堺雅人)「かしこまりました。」

「秀頼を頼む」とばかり言っていた秀吉(小日向文世)が「頼む、佐吉を・・・」なんて・・・。

ここで管理人は涙が止まらなかった。今回、一番いいシーンだったと思う!

ドラマで秀吉と三成の関係性は何回も見てきたけど、真田丸が一番しっくり来る。スゲ~としか言い様がない。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。

巨星墜つ

「黄金の日日」風に言うならば、英雄・秀吉にも死神がやってきた。

目が覚めた秀吉(小日向文世)は、異変を感じ「鐘」を探した。

有働アナのナレーションとともに。

有働アナ「一代の英雄が最期の時を迎えようとしている。」

秀吉(小日向文世)はベッドから落ち、這いつくばり鐘のところへ・・・。

有働アナ「栄華を極めた男の人生の締めくくりとしては、それはいかにも寂しいものであった」

秀吉(小日向文世)は力尽きた。

有働アナ「太閤・豊臣秀吉。享年62」

1598年(慶長3年)8月18日、巨星墜つ。秀吉の遺言により死は隠されたため、通夜・葬儀はとりおこなわれてないと伝わる。

秀吉(小日向文世)は誰にも気づかれず死んだ。

目を開けたまま、その目からは一筋の涙が流れた・・・。

【真田丸】小日向文世の秀吉、最期は迫真の演技!そして秀吉ロス
大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」で小日向文世さん演じる太閤・豊臣秀吉が逝った。第31話「終焉」の秀吉は、悪く言えば息をしているだけの状態だった。そんな秀吉を小日向さんは、見事に演じている。もう真田丸で秀吉を見ることはできない。そして管理人は「秀吉ロス」になった・・・。
太閤・豊臣秀吉の死因。毒殺?それとも脚気・大腸癌・腎虚あたりか?
太閤・豊臣秀吉の死因については多くの説がある。死因についての記録が残っていないのが原因であるのだが、前から不思議には思っていた。死因についての記事ではあるが、特に毒殺説にスポットをあてている。根拠はないが、毒殺説ではないかと管理人自身は思っているからだ。他の諸説も記述している。
【真田丸】なぜ栄華を極めた秀吉が「ベル」に手が届かなかったのか?
大河ドラマ「真田丸」での太閤・豊臣秀吉の最期。異変を感じた秀吉は「ベル」を探したが、所定の場所にはなかった。ベッドから落ちても這いつくばって「ベル」の所まで行こうとした。天下人として栄華を極めた秀吉は「ベル」を鳴らすことができなかった。誰にも気づかれず秀吉は逝った・・・。

「真田丸」第31話「終焉」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」が2016年8年7日放映された。平均視聴率は17.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回放送よりV字回復なんて言われている。管理人としては、もう少し回復すると思ったんですが・・・。

回復は嬉しい限りですが、秀吉の最期の放送回だっただけに、もうちょっとだけ(笑)。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は自己最多タイの5.2%で好調キープ。

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まとめ

第31話「終焉」は、「鐘」がキーワードなのだろうか??

豊臣家と鐘といえば、「方広寺鐘銘事件」に繋がる。大坂冬の陣のキッカケになった、あの鐘のことだ。

もうひとつ管理人は「バテレンの鐘」を連想してしまう。

「黄金の日日」で石川五右衛門刑死の時、助左衛門が何度も鳴らした、あの鐘の音・・・。

最後に豊臣家は秀吉を失った。豊臣家を託された治部殿(山本耕史)。これからのことを思うと切なすぎる。

関ヶ原の戦いまで、あと二年。治部殿と刑部殿の終焉が近づいている・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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