「真田丸」第40話「幸村」感想。方広寺鐘銘事件と「真田幸村」誕生

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明石掃部頭全登の来訪は風雲急を告げた。そして片桐且元。且元は振り返りながら語り始める。方広寺鐘銘事件がキッカケのようだ。豊臣家と徳川家は一触即発。戦いは始まろうとしていた。信繁は決意する。ここから真田左衛門佐幸村の物語が始まる。今まで全てが前フリだったかのように・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田紐を考案するも、九度山での厳しい暮らしは続く。そんな折、彼の前に現れた男は・・・。

前半部分は片桐且元の回といってもいいだろう。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第40話「幸村」あらすじ

九度山村で暮らす信繁の前に現れたのは、元宇喜多秀家家臣・明石掃部頭全登だった。全登は信繁を大坂へ誘うが信繁は断る。

明石は片桐且元と一緒だった。且元は、これまでのことを信繁に話し出す。豊臣家・徳川家・方広寺大仏開眼供養などなど。幽閉生活が長い信繁は、何も知らなかった。豊臣家と徳川家の力関係さえも・・・。

ことの発端は方広寺梵鐘の銘文。且元は南禅寺の長老・清韓に銘文の起草を依頼した。銘文を巡り、豊臣家と徳川家の関係はギクシャクする。結果、方広寺大仏開眼供養は延期。方広寺梵鐘は作り直すこととなった。

豊臣家の中で居場所がなくなった且元に大野治長の暗殺の手が伸びる。且元は大坂城を退去。大御所と呼ばれる徳川家康は大坂攻めを指示。徳川と豊臣の戦いが始まろうとしている。

豊臣秀頼「徳川が攻めてくる・・・」

且元は信繁を豊臣家のために戦ってくれと説得に来た。しかし信繁は、ここでも断る・・・。

信繁は悩む。そこを「きり」に見透かされる。きりは大坂に行かないでくれとは言わない。きりは信繁の中でくすぶっていた熾火を呼び醒ます!

きりに後押しされ信繁の心は決まる。誰にも告げていないが決心する。

決意の表れが改名。兄・信之が捨てた「幸」の字を使うことは決めていた。信繁は「幸村」となった。

「その日信繁は、真田幸村となった。のちに日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれる戦国最後の名称の誕生である!」

明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫
明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。
豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

方広寺鐘銘事件

ドラマでは回想という形で「方広寺鐘銘事件」で紹介された。

且元(小林隆)が言っている3つのこと。

  • 秀頼の駿府と江戸への参勤。
  • 淀殿を江戸詰め(人質)とする。
  • 秀頼が大坂城を出て他国に移る。

確かに、これは片桐且元の提案だ。

これにより且元は家康との内通を疑われた。

且元(小林隆)「わしは一人で、戦の火種を作ってしまった・・・」

の言葉が胸に刺さり、「そんなことないよ、片桐殿だけのせいじゃない・・・」と管理人は思った。

何か且元(小林隆)が可哀想すぎて・・・。

片桐且元・文英清韓については、記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

方広寺鐘銘事件については、片桐且元の記事で紹介しています。

片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。
文英清韓。「国家安康」で有名な方広寺梵鐘の銘文を起草、南禅寺の長老
文英清韓(ぶんえいせいかん)。伊勢国の出身。臨済宗の僧。京都・東福寺の長老、南禅寺の長老。晩年は身柄を拘束され駿府で蟄居。清韓は漢詩文に秀で、京都・方広寺大仏殿の再建工事において梵鐘の銘文を起草。あの「国家安康」の銘文である・・・。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

小牧・長久手の戦い

この時代の取次役の解除は、手切れを意味する。

取次役を解任しても、他の人物を取次役にすれば問題なかったのだが・・・。

有名なのは「小牧・長久手の戦い」

織田信雄は羽柴秀吉に内通したとして、三家老(浅井長時・岡田重孝・津川義冬)らを謀殺。

これを契機に小牧・長久手の戦いは始まる。

羽柴秀吉VS徳川家康。小牧・長久手の戦い、連動して全国規模に
小牧・長久手の戦いは羽柴秀吉が不利でしたが織田信雄との和議がすべてではないようでしょうか。負けなかった徳川家康の強さも知れ渡ります。秀吉は家康を臣従されるのには苦労します。妹を家康の正室に、母の大政所を人質に出します。秀吉は小牧・長久手の戦いを契機に朝廷にも接近します。やがて関白までになり天下統一を果たします。

御文庫と桃の木

且元(小林隆)が御文庫を訪れた時には誰一人いなかった。書物すら何もなかった。

これを見ただけで、豊臣家に天下がないことがわかる。

御文庫は治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)の仕事場でもあった。

二人はもう居ないのだが・・・。

且元(小林隆)は大坂城を退去する時に、大坂城を見上げ何を思ったのだろう?

そして治部殿(山本耕史)から贈られた「桃の木」は立派に育った。且元(小林隆)が世話をしていたのだろう。

何故か、桃の木と秀頼(中川大志)が重なる。桃の木と秀頼(中川大志)を手塩にかけ育てたのに大坂城から出なければならない。

最後には、「桃の木」をじっと見つめる。

且元(小林隆)の無念さが痛いほど伝わる・・・。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

きり

きり(長澤まさみ)は、悩んでいた信繁(堺雅人)の尻を叩いた。

きり(長澤まさみ)の場合、この表現がピッタリだろう。信繁(堺雅人)が大坂に行って豊臣家のために戦いたいことをわかっているというか、見透かしている。

好きな男性に対して「行かないで」というのが定番なのだろうが、きり(長澤まさみ)は「行け!」と言う。

きり(長澤まさみ)「真田安房守昌幸。徳川と二度戦って、二度勝った男。あなたには、その血が流れている」

きり(長澤まさみ)「あなたの幸せなんて聞いてない。そんなの関わりない。大事なのは誰かがあなたを求めているということ」

きり(長澤まさみ)「あたしが大好きだった源次郎様はどこへ行ったの?がむしゃらで、むこうみずで、やんちゃで、賢くて明るく、度胸があってキラキラしていた真田家の次男坊はどこへ行ったのよ!?」

きり(長澤まさみ)「あたしが胸を焦がして大坂までついていったあの時の源次郎様は・・・」

印象に残ったセリフを書き出してみた。きり(長澤まさみ)は、思いのたけを全部、信繁(堺雅人)にぶつけた。

きり(長澤まさみ)がヒロイン設定で始まった真田丸だが、ヒロインなんて小さなもんじゃない。

信繁(堺雅人)の側室にはなりそうもないので、前回の菩薩がしっくりくるだろうか。

そう、きり(長澤まさみ)ちゃんは、信繁(堺雅人)を通り越し、真田家、いや真田丸の大きな存在になった。

まさに菩薩のように・・・。

【真田丸】長澤まさみの「きり」、最初は??最近は好きになった!
大河ドラマ「真田丸」が始まってみると、長澤まさみさんが演じる「きり」というキャラクターが物議をかもした。賛否両論あったが、大多数は否定的な意見であった。その当時、管理人も少し否定的に思っていた。しかし最近では、そのような意見を目にすることはなくなった。そして管理人も好意的に思えてきた。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。

なんとか官兵衛

きり(長澤まさみ)は、小田原開城にも触れている。

小田原開城の手柄は信繁(堺雅人)ではなく、あとから行った「なんとか官兵衛」のものだといっている。

なんとか官兵衛・・・、黒田官兵衛のことだ。

きり(長澤まさみ)ちゃんにかかると、黒田官兵衛も「なんとか官兵衛」になってしまう。

この時、Twitterのタイムラインは騒然となったことは言うまでもない(笑)。

「真田丸」第24話「滅亡」感想。小田原落城~天下一統
大河ドラマ「真田丸」が真田家を描いたドラマなのはわかっている。ここ数回は丁寧に北条を描いてきただけに少し残念に思った放送回だった。小田原を拠点とした北条家による関東支配が終わった。北条氏政の最期は見事であり、北条家が好きになった。少し残念に思ったけど、こんなに丁寧に北条を描いたドラマもないだろう・・・。

大河ドラマ「真田丸」第40話「幸村」レビュー

第40話「歳月」で、思いついたことをつらつらと・・・。

髭をたくわえた矢沢三十郎

沼田城でのシーン。三十郎(迫田孝也)が髭をたくわえてました。

前回もそうだったけ。気づきませんでした(笑)。

そして信繁(堺雅人)の兄・信之(大泉洋)に病魔が・・・。

ネタバレかもしれませんが、信之は病気療養のため大坂冬の陣・大坂夏の陣に参加できていません。

矢沢三十郎が信之の子である信吉・信政を大坂に連れていきます。

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

白と黒

駿府城は「白」。大坂城は「黒」。真田丸では効果的に使われている「囲碁」。

囲碁の碁石は白と黒。

この対比もシブい!

さらば室賀正武殿「真田丸」第十一話「祝言」囲碁対局の名シーン
「黙れ小童ぁ!」のセリフで注目されていたキャラクター・室賀正武。そして俳優の西村雅彦。「真田丸」第十一話「祝言」での西村雅彦演じる室賀正武の散り際は見事だった!それを引き出した真田昌幸を演じる草刈正雄も凄い。管理人は涙が止まらなかった。そして自分の中では「真田丸」第十一話「祝言」は神回になった・・・。

古代の兵法書

古代の兵法書には、敵の有能の者には手柄を与えず、無能な者には適当な手柄を持たせて返す。

そうすれば、無能は厚遇され、有能が追われて敵は自滅するというのがある。

この場合、

  • 有能:片桐且元
  • 無能:大蔵卿局

になる。

のち、このとおりになり、且元は豊臣家を追われ、豊臣家は滅亡する。

家康おそるべし・・・!

大野治長

且元(小林隆)が言っていた3つのことが、且元自身の考えであることがバレてしまった。

そのシーンの登場人物は、

  • 豊臣秀頼(中川大志)
  • 淀殿(竹内結子)
  • 大野治長(今井朋彦)
  • 大蔵卿局(峯村リエ)
  • そして、片桐且元(小林隆)

大野治長は豊臣秀頼の父であるとの説がある人物だ。

そうなると、且元(小林隆)以外は、秀頼(中川大志)を中心に全部身内。何を言っても敵うわけがない。

読み過ぎかもしれないが、気になって仕方がない・・・。

大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

回送シーン

信繁(堺雅人)は今までを振り返る。走馬灯のように関わった人たちが回想シーンとして蘇る。

秀吉(小日向文世)・茶々(竹内結子)・治部殿(山本耕史)・上杉景勝(遠藤憲一)・宇喜多秀家(高橋和也)・北条氏政(高嶋政伸)・伊達政宗(長谷川朝晴)・千利休(桂文枝)・呂宋助左衛門(松本幸四郎)・薫(高畑淳子)・出浦昌相(寺島進)・真田信尹(栗原英雄)・梅(黒木華)・板部岡江雪斎(山西惇)・刑部殿(片岡愛之助)・ばば様(草笛光子)

そして・・・、安房守(草刈正雄)・・・。

安房守(草刈正雄)の遺言が蘇る。

秀次(新納慎也)はフラッシュバックしなかったような・・・。

【真田丸】小日向文世の秀吉、最期は迫真の演技!そして秀吉ロス
大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」で小日向文世さん演じる太閤・豊臣秀吉が逝った。第31話「終焉」の秀吉は、悪く言えば息をしているだけの状態だった。そんな秀吉を小日向さんは、見事に演じている。もう真田丸で秀吉を見ることはできない。そして管理人は「秀吉ロス」になった・・・。
【真田丸】豊臣秀次のイメージに一石を投じる。制作と新納慎也に拍手
豊臣秀次の終焉が近づいてる。それが第28話「受難」で描かれる。管理人は複雑な気持ちである・・・。最初は、豊臣秀次を演じる新納慎也(にいろしんや)さんもいつものように見ていたが、放送回を重ねるうちにすっかり好きになっていた。新納慎也さんをはじめとする制作スタッフに感謝の記事投稿をする。

そしてわたくしたちは同じ日に死ぬの

今では「おかみさま」と言われている茶々(竹内結子)の名台詞を紹介する。

名作となった第19話「恋路」のあのセリフ・・・。

茶々(竹内結子)「おかしな話をします。わたくしと源次郎は不思議な糸で結ばれてる気がするのです」

茶々(竹内結子)「離れ離れになっても、あなたはいつかまた戻ってくる」

茶々(竹内結子)「そしてわたくしたちは同じ日に死ぬの」

そして二人が死んだ日だが、

  • 真田信繁(幸村)-1615年(慶長20年)5月7日
  • 茶々(淀殿)-1615年(慶長20年)5月8日

管理人の中でも第19話「恋路」は神回となっている!

「真田丸」第19話「恋路」感想。茶々が側室、秀吉政権崩壊の一歩
真田家では源三郎信幸と本多平八郎忠勝の娘・稲との縁組の話が持ち上がった。この話は徳川家からの申し出である。真田家にとっても悪い話ではないが、源三郎信幸には「正室・こう」がいる・・・。大坂の源次郎信繁は自分のことで精一杯である。茶々との関係が城内で噂されていた。そんな中、茶々が秀吉の側室になることが決まった。
【真田丸】第1話~第25話までの神回ベスト5を選ぶ!
大河ドラマ【真田丸】第1話「船出」~第25話「別離」までの神回ベスト5を勝手に選んでみる。感想記事のアクセス数ランキング、視聴率ランキングも記述しながら真田丸を分析してみたいと思う。最後は真田丸により好きになった武将二人についても書く・・・。

幸村

信繁(堺雅人)は決意の表れとして改名。兄・信之(大泉洋)が捨てた「幸」は決まっている。

もう一字は八百万の神に託したくじで決めた。くじは真田家の伝統。

大助(浦上晟周)が引いた字は「村」。九度山村の「村」。

ここに「真田左衛門佐幸村」誕生!

幸村(堺雅人)は「しあわせなむら」九度山村をあとにする・・・。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
真田幸昌(大助)。父・信繁(幸村)と大坂入城。最期は美談で語られる
真田幸昌よりも「真田大助」のほうが広く知られている印象がある。名前「幸昌」は、祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名されたといわれる。生年については諸説あるが、生涯といえるほど長くなく若くして亡くなっている。真田大助は最期が若年であったことから、なにか物悲しくてなりません・・・。
真田信繁の官職・左衛門佐により衛門府を調べる。「金吾」の由来も
真田信繁(幸村)の官職・左衛門佐により衛門府を調べてみました。歴代任官者には小早川隆景、金吾中納言で名高い小早川秀秋は左衛門督、「左衛門尉」任官者には源義経・楠木正成らがいる。「金吾」は衛門府の唐名である。

ベルと鐘

「真田丸」第40話「幸村」感想。方広寺鐘銘事件と「真田幸村」誕生,画像01

回想シーンで効果的に使われたベルの音。

信繁(堺雅人)が病床の秀吉(小日向文世)に「御用の時は、これを鳴らしてください」といっていた、あのベルの音。

秀吉(小日向文世)は最期にベルに手が届かず死んだ。

今回は・・・、方広寺鐘銘事件。「鐘」だ。

幸村(堺雅人)は大坂城に導かれる。秀吉に、茶々に、安房守に、そして・・・、ベルの音に・・・。

鳴らしているのは秀吉だろうか。秀吉が源次郎を呼んでいる・・・。

幸村、いざ大坂へ!。

【真田丸】なぜ栄華を極めた秀吉が「ベル」に手が届かなかったのか?
大河ドラマ「真田丸」での太閤・豊臣秀吉の最期。異変を感じた秀吉は「ベル」を探したが、所定の場所にはなかった。ベッドから落ちても這いつくばって「ベル」の所まで行こうとした。天下人として栄華を極めた秀吉は「ベル」を鳴らすことができなかった。誰にも気づかれず秀吉は逝った・・・。

「真田丸」第40話「幸村」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第40話「幸村」が2016年10年9日放映された。平均視聴率は15.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回より僅かにダウン。

クライマックス突入となる最終章の初回としては寂しい数字のような気が・・・。

この日、大阪城で開催されたパブリックビューイングに数字が取られてしまったのであろうか?(笑)。

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まとめ

信繁(堺雅人)の回想で、治部殿(山本耕史)は泣いていた。そして且元(小林隆)が大坂城を退去する時には、あの「桃の木」を見つめていた。

みなの心に治部殿(山本耕史)が生きているのが嬉しくてならない。そして涙する・・・。

幸村(堺雅人)は誰かに誘われるかのように大坂城へ。

いつまでもベルの音が鳴り響く・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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