「真田丸」第29話「異変」感想。薫の出自~慶長伏見地震

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関白・豊臣秀次は世を去った。秀次の最期は新説を採用した。新納慎也(にいろしんや)演じる秀次公には涙した・・・。秀次を失った豊臣家。太閤・豊臣秀吉は寝ている時、粗相をしてしまった。秀吉は自分の死期が近いことを悟る。小日向文世さん演じる秀吉の老いの演技が光る!

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

皆が愛した秀次公は、もういない・・・。気持ちを切り替えて第29話「異変」を視聴した。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」あらすじ

源次郎信繁と大谷吉継の娘・春は祝言をあげた。真田安房守は本多平八郎忠勝と大谷刑部が身内になったと喜ぶ。源三郎信幸は父・安房守に母・薫の出自について尋ねる。

やはり薫は菊亭晴季の娘ではない。安房守は息子二人に本当のことを打ち明ける。薫は菊亭晴季の母の侍女であった。真実を知った源三郎信幸と源次郎信繁は驚くのである。

源次郎信繁は、包み隠さず前の妻・梅のこと、そして娘がいることを春に話した。

ある夜、秀吉は粗相(寝小便)をして目が覚めた。治部殿と源次郎信繁が呼ばれる。太閤・豊臣秀吉は自分の死が近いことを悟る。治部殿の機転により秀吉の布団は、片桐且元の寝所に運ばれた(笑)。

伏見城の普請を任された安房守は吉野太夫のところに入り浸り、源三郎信幸に任せっきりである。生真面目な源三郎信幸は、肥前・名護屋城の絵図面などを取り寄せてはみるが、普請事業は捗らないのであった。

秀吉は徳川家康を呼び、これからの政治運営について話した。拾(豊臣秀頼)が成人するまで関白は置かないこと。家康を中心とした大名による合議制で政治を行うことを伝えた。自分が聞いた話とは違うと思った治部殿は驚きを隠せない。源次郎信繁も驚いている。

薫は安房守に女がいることに気がついた。それを源三郎信幸に詰問する。伏見城普請がうまくいってないこともあり、源三郎信幸は「おこう」の寝所へ・・・。そして稲の寝所にも・・・。

秀吉は何度も同じ事を言っている。周りの者は戸惑いを隠せないが、本人には自覚がない。家康も秀吉がおかしいことに気づきだした。片桐且元も気付いているのだろうか?且元は、寝小便をしてしまったことがショックのようだ。治部殿が布団をすり替えた事も知らずに・・・(笑)。

淀殿も秀吉の最近の様子には気づいていたようである。治部殿は秀吉が拾(豊臣秀頼)との時間を持てるようにすることを提案するが、淀殿はキッパリ断る。

考えてみれば、淀殿は自分の肉親が老いた姿を見たことがない。拾(豊臣秀頼)にも父の老いた姿を見せたくないという。拾(豊臣秀頼)から秀吉を遠ざけたいとまで言っている・・・。

そして1596年(文禄5年)閏7月13日の子の刻、現在の京都・伏見付近でM8.0クラスの大地震が発生した。できたばかりの伏見城天守は倒壊した。

「文禄5年閏7月、太閤・秀吉の最期が近づいている・・・」

真田信繁(幸村)の側室、堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅
真田信繁(幸村)の側室で堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅という名前で黒木華が演じていると言ったほうがわかるでしょう。残念なことに資料が、ほとんどありません。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうけています。のちに「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。
片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

春を演じる松岡茉優がキレイに見える!

【真田丸】大谷吉継の娘・春を演じる松岡茉優がキレイに見える!,アイキャッチ画像

源次郎信繁(堺雅人)と春(松岡茉優)は祝言をあげた。

松岡茉優さんの白無垢も良かったけど、ピンクの着物も似合います!

春を演じている松岡茉優さんには魅力を感じています!

【真田丸】大谷吉継の娘・春を演じる松岡茉優がキレイに見える!
真田丸のキャスティングで大谷吉継の娘・春を演じるのが松岡茉優さんであることは、以前から知っていた。特別に楽しみにしていたわけではなく、普通に時を過ごしていた。それが春が初登場のシーンで、不覚にも「ドキッ」としてしまった・・・。
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。

安房守の正室・薫の出自

ドラマではあるが、薫(高畑淳子)の出自がはっきりとした。菊亭晴季の娘ではなく、菊亭晴季の母の侍女であった。

安房守(草刈正雄)によると、元の主君・武田信玄の正室は三条殿。信玄公にならって正室は公家出身と思っていたといっている。躍起になって探したが、誰も相手にしてくれなかった。

当時の安房守は三男であることから真田家の当主でもなく、信玄の命により武藤家を相続している。名前は真田昌幸ではなく、「武藤喜兵衛」

史実では山手殿と呼ばれるが、山手殿は当時の武藤喜兵衛に嫁いでいる。

出自については諸説ある。

山手殿(寒松院)。真田昌幸の正室、「真田丸」では薫。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?
真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。

菊亭晴季

菊亭晴季について。

菊亭晴季(きくていはるすえ)。今出川晴季(いまでがわはるすえ)。1539年(天文8年)~1617年(元和3年)3月28日。公卿。

菊亭家の家格は三条家と同じ清華家(せいがけ)。

羽柴秀吉の関白就任にも尽力。

娘・一の台は豊臣秀次の正室。

菊亭晴季は豊臣秀次事件に連座した罪で越後に流罪となっている。

菊亭晴季(今出川晴季)。豊臣政権に関与し、娘・一の台は秀次の正室
菊亭晴季(今出川晴季)。羽柴秀吉に関白任官をすすめて豊臣政権と密接な関係を築いた。官位は従一位・右大臣。娘・一の台は豊臣秀次の正室。豊臣秀次事件に連座したとして越後に流罪となるが、徳川家康のとりなしにより右大臣に復職している。
羽柴秀吉、関白相論に介入して関白宣下。武家関白制をめざす
羽柴(豊臣)秀吉は武家関白制を目指します。征夷大将軍就任を断った説もありますが定かではありません。秀吉の登場により朝廷は混乱。五摂家による関白の持ち回りの崩壊、気前よく官位を与えたことにより官位が不足。秀頼誕生により秀次事件。秀吉死後、関白不在、大臣は徳川家康だけでした。秀吉が秀頼のために空位にしていたのです・・・。
豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。秀次事件で処刑
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。子は隆清院(真田信繁の側室)。豊臣秀次事件では、父・菊亭晴季も連座したとして越後に流刑になっている。一の台は連座の罪で処刑されている。連れ子には、おみや(のちのお美屋御前)がいる。秀次の側室とあるが、信憑性は薄いようである。

おこうと稲が懐妊

源三郎信幸(大泉洋)が「おこう(長野里美)」と稲(吉田羊)の寝所へ行った。

源三郎信幸(大泉洋)の辛い気持ちがわかる。

母・薫(高畑淳子)にはギャンギャン言われ、安房守(草刈正雄)は吉野太夫のところに入り浸り。そんな気持ちにもなるよね~。

清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

死の影が忍び寄る太閤・豊臣秀吉

太閤・豊臣秀吉の死因。毒殺?それとも脚気・大腸癌・腎虚あたりか?,アイキャッチ画像

太閤・豊臣秀吉(小日向文世)は死期が近いことを悟った。

秀吉(小日向文世)「拾が元服するまで関白はおかぬ。それまでは、お前たち奉行が相談の上、政(まつりごと)を行え」

秀吉(小日向文世)「石田治部、日の本のこと、豊臣のこと、拾のことよろしく頼む」

治部(山本耕史)「寝小便くらいで弱気になられては困りまする」

秀吉(小日向文世)と治部(山本耕史)の会話だ。

これ以降、治部殿(山本耕史)が豊臣家を意識し始めるのだろうか。もちろん豊臣家を背負っていく(守っていく)という意味だ・・・。

秀吉は50代後半からは失禁したこともあり、死の床についてからは精神錯乱もあったと言われている。

太閤・豊臣秀吉の死因。毒殺?それとも脚気・大腸癌・腎虚あたりか?
太閤・豊臣秀吉の死因については多くの説がある。死因についての記録が残っていないのが原因であるのだが、前から不思議には思っていた。死因についての記事ではあるが、特に毒殺説にスポットをあてている。根拠はないが、毒殺説ではないかと管理人自身は思っているからだ。他の諸説も記述している。
石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。

五大老・五奉行

秀吉(小日向文世)は治部殿(山本耕史)に言ったことと違うことを徳川家康(内野聖陽)には言った。

家康を中心とした大名による合議制で政治を行うことを伝えた。

治部殿(山本耕史)に話したこと、家康(内野聖陽)に話したことは「五大老・五奉行」だろう。

「五大老・五奉行」に関しては、記事投稿しているので、よろしければ参考にしてみてください。

五大老・五奉行。豊臣政権での合議制、対徳川家康の意味あいが強い
1595年(文禄4年)に起きた豊臣秀次事件は豊臣政権に政治危機をもたらした。秀吉の嫡男・秀頼も幼少である。そこで秀吉は、有力大名が連署する形で「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条を発令して政権の安定を図る。秀吉起死回生の策「五大老・五奉行」制度は上手くいくはずだった・・・。

慶長伏見地震

1596年(文禄5年)閏7月13日の子の刻、現在の京都・伏見付近でM8.0クラスの大地震が発生した。いわれる慶長伏見地震

安房守(草刈正雄)と源三郎信幸(大泉洋)が尽力した伏見城天守も倒壊した。同年中に文禄から慶長へ改元が行われた。

安房守(草刈正雄)・源三郎信幸(大泉洋)・源次郎信繁(堺雅人)の行動は、

  • 安房守(草刈正雄)-薫(高畑淳子)に言われながらも伏見城を見に行った。
  • 源三郎信幸(大泉洋)-稲(吉田羊)と「おこう(長野里美)」のところにかけつけた。
  • 源次郎信繁(堺雅人)-秀吉(小日向文世)のところにかけつけた。

何が言いたいかというと、安房守(草刈正雄)は自分のため、源三郎信幸(大泉洋)は真田家(家族)のため、源次郎信繁(堺雅人)は豊臣家のことを思っているということが描かれていると思った。

非常事態の時こそ、人の素がでるということ。それをうまく描写していると思う。

慶長伏見地震。伏見城天守は倒壊、歌舞伎・落語「地震加藤」の題材
大河ドラマ「真田丸」第27話「不信」で伏見城の絵図面が登場したので、慶長伏見地震を調べてみた。死者は1,000人を超え、伏見城でも600人が圧死したと伝わる。この地震での著名な死者は加賀爪政尚、横浜一庵。慶長伏見地震は歌舞伎・落語「地震加藤」の題材にもなっている。

大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」レビュー

安房守(草刈正雄)は吉野太夫(中島亜梨沙)のところに入り浸っていた。控えの間で出浦昌相(寺島進)は「昔の殿はどこへ行った」とぼやいていた。

伏見城の絵図面を見てひらめいた。木幡山に出城を築くというのだ。安房守(草刈正雄)の顔つきが変わった。昔の殿が戻ってきた!

秀次事件以来、きり(長澤まさみ)に元気がない。

そんな時、細川玉(橋本マナミ)と出会う。細川ガラシャともいわれる。

秀次の形見の品である聖母マリアの絵をじっとみつめている「きり(長澤まさみ)」。

TwitterのTLで「きり」は「キリシタン」の「きり」といってる人がいた。なるほどねと思ってしまった。

キリシタン関連で何かに巻き込まれるのだろうか・・・。

出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶
細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。

わくさ

きり(長澤まさみ)がガラシャ(橋本マナミ)と会うきっかけとなった北政所(鈴木京香)の侍女・わくさ。演じるのは女優・円城寺あや。

史実では小西隆佐の正室・ワクサ。洗礼をマグダレーナ。

小西行長の母です。

小西ワクサ。洗礼名はマグダレーナ(マグダレナ)、真田丸では「わくさ」
小西ワクサ。洗礼名はマグダレーナ(マグダレナ)。小西隆佐の正室であり、小西行長の母。夫・隆佐が秀吉に仕えたことから、ワクサも豊臣秀吉の正室・北政所に仕え侍女となる。真田丸では「わくさ」として女優・円城寺あやが演じる。

キリシタンの大工・吉蔵

伏見城の普請場で、きり(長澤まさみ)に台座のついた十字架を渡す大工・吉蔵。演じているのは水橋研二。

自分でも名乗っているとおりキリシタンである。名はフランシスコ・吉蔵。

「フランシスコ吉」のこと。

フランシスコ吉の最期は、まさに壮絶である・・・。

【真田丸】キリシタンの大工・吉蔵~フランシスコ吉、最期は?
大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」で登場したキリシタンの大工・吉蔵についての記事投稿。大工・吉蔵を演じているのは水橋研二。モデルはフランシスコ吉。二十六聖人のひとりであり、最期は「日本二十六聖人殉教」といわれる。

「真田丸」第29話「異変」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」が2016年7年24日放映された。平均視聴率は17.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

だいたい予想通りの視聴率でした。前回より少しだけ上昇してます。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.3%で好調キープ。

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まとめ

秀吉(小日向文世)は捨(鶴松)と拾(豊臣秀頼)を間違えている。

それにしても小日向文世さんの老いてゆく秀吉は上手いの一言!

秀次事件の秀次(新納慎也)は鬱病に描き、秀吉(小日向文世)は認知症。現代にも通じている。深い・・・。

次回予告では吉野太夫(中島亜梨沙)が・・・。本多正信(近藤正臣)がはなった間者なのだろうか??

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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