「真田丸」第26話「瓜売」感想。とりの旅立ち~運命の子・秀頼誕生

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鶴松の死により落胆していたかに見えた秀吉だったが、ついに唐入り(明国攻め)を決行した。秀吉はボケていなかった。管理人は、そう描いているように見えた。淀殿懐妊に喜ぶ秀吉だが、戦況は思わしくない。明と暗、光と影を描写した放送回だったと思う。やつしくらべ(仮装大会)・とりの旅立ち・秀頼誕生を絶妙なバランスで描いている。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

第26話「瓜売」は、どうだろうかと半ば諦めの気持ちで見ていたのだが・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第26話「瓜売」あらすじ

鶴松の死によって、秀吉・茶々は落胆していた。秀吉は家督と関白職を近江中納言・秀次に譲った。1591年(天正19年)のことである。これより秀吉は「太閤」になる。

落ち込んでいたはずの秀吉は「唐入り」を宣言。秀吉は狂ったと思われがちだが、正気な、いやむしろ鋭い秀吉を描写している。一件無謀に思える明国攻めだが、理にかなっている。

泰平の世だから、武士に仕事を与える。人は暇になるとろくなことを考えない。幕末から明治政府樹立を見ればおわかりだろう。武士は不要になり、不平不満が募った。それを征韓論で外に向けようとした。

征韓論は実施されることはなかったが、国内には西南戦争まで内乱が続いた。西郷隆盛がすべての不満を引き連れて、墓場まで持って行ってくれた。

しかしこれは日本からの都合のいい言い分だ。攻められる方はたまったものではない。我々は、そのことを忘れてはならない・・・。

話を戻すと、治部殿・刑部殿は大軍勢を移動させるため船の手配などで多忙である。備前宰相・宇喜多秀家はやる気満々だ!

そんな時、茶々が懐妊した。秀吉は喜ぶが、朝鮮での戦況は思わしくない。秀吉は「やつしくらべ(仮装大会)」を催すことを提案する。片桐且元は猿回しを演じた。

安房守の演目「瓜売」が秀吉と被った。安房守の瓜売は抜群にうまい!うまいから問題なのだが、安房守は病気を理由に「やつしくらべ(仮装大会)」を欠席。出浦昌相の悔しそうな顔と佐助の涙が印象的だった。

「やつしくらべ(仮装大会)」は秀吉が優勝する。そこへ上田から「とり」の容体が悪い知らせが届く。源次郎信繁は秀吉の許しを得て、上田へ一時帰った。

とりは源三郎信幸・源次郎信繁に心得をとき、旅立っていった。

大坂城では運命の子・豊臣秀頼が誕生する・・・。

片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。
出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑
備前宰相と呼ばれた宇喜多秀家。父は梟雄と称された宇喜多直家。母・円融院は秀吉の側室的存在であったとの説があります。秀吉の寵愛を受けて猶子となった。秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗る。正室は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫。宇喜多騒動なども解説。

関白・豊臣秀次

鶴松を亡くした秀吉(小日向文世)は秀次(新納慎也)に家督と関白職を譲った。史実では聚楽第も譲っている。

1591年(天正19年)12月28日、豊臣秀次に関白宣下。同時に豊氏長者宣下も受けている。このとき秀次の官位は正二位・内大臣。

秀吉は1585年(天正13年)7月11日に従一位・関白宣下を受けている。秀吉も内大臣であった。

ドラマでは弟・秀勝の死にも触れていた。悲しむ秀俊(のちの小早川秀秋・演じるのは浅利陽介)と秀保。

そう遠くない将来、この三人は数奇な運命をたどる。

淀殿(竹内結子)の懐妊を知った秀次(新納慎也)の表情は冴えない。同じ頃、秀次(新納慎也)にも男子が生まれたが、早世してしまった。

そして淀殿(竹内結子)は男子を出産する・・・。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
羽柴秀吉、関白相論に介入して関白宣下。武家関白制をめざす
羽柴(豊臣)秀吉は武家関白制を目指します。征夷大将軍就任を断った説もありますが定かではありません。秀吉の登場により朝廷は混乱。五摂家による関白の持ち回りの崩壊、気前よく官位を与えたことにより官位が不足。秀頼誕生により秀次事件。秀吉死後、関白不在、大臣は徳川家康だけでした。秀吉が秀頼のために空位にしていたのです・・・。
豊臣秀勝。正室は江、小吉秀勝。娘・完子の子孫は大正天皇の貞明皇后
豊臣秀勝。正室は江(淀殿の妹・のち徳川秀忠の正室)。兄は関白・豊臣秀次。母は豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀。他の秀勝との呼び分けとして、小吉秀勝と呼ぶことがある。官位は正三位・中納言。文禄の役で戦病死。娘・完子の子孫は大正天皇の貞明皇后。
小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る
小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。
豊臣秀保(羽柴秀保)。義父・豊臣秀長から通称は大和中納言
豊臣秀保(羽柴秀保)。兄は関白・豊臣秀次。母は豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀。正室・おきくは豊臣秀長の娘なので従姉妹になり、秀長は叔父であり養父になる。一時期は関白候補とする資料も残されている。死因については病死となっているが、資料によっては溺死とも書かれている。

やつしくらべ

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第26話のタイトルにもなっている「瓜売」。

文禄の役(1592~1593)の最中に、秀吉は実際に「やつしくらべ」を開催している。肥前・名護屋城の付近にある瓜畑に旅籠や店を建てて街並みを再現したそうである。

各大名が扮した役は、

  • 豊臣秀吉:瓜売り
  • 前田利家:高野聖(こうやひじり)
  • 蒲生氏郷:茶人
  • 徳川家康:あじか(ザル)売り
  • 豊臣秀勝:漬物売り
  • 織田信雄:遍歴僧
  • 前田玄以:比丘尼の女装
  • 織田有楽斎:旅の老僧
  • 有馬則頼:有馬池坊宿の僧侶

である。

真田安房守の記録は残っていないが、秀吉は史実でも「瓜売」を演じている。

大名たちの評判は良かったようである。

そして安房守(草刈正雄)のフレーズとメロディーが頭から離れません。草刈正雄さんの美声のせいだと思います。

「味よしのう~り~、めされそ~ら~え~」(笑)。

松岡茉優が演じる大谷刑部の娘・春

松岡茉優が、大谷刑部の娘・春役で初登場!!これからが楽しみです。

ドラマでは春になっていますが、竹林姫(竹林院)と呼ばれる真田信繁の正室です。

それから松岡茉優が現代劇ドラマより、よく見えるのは管理人だけでしょうか。

竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

岸井ゆきのが演じる豊臣秀次の娘・たか

岸井ゆきのが、豊臣秀次の娘・たか役で初登場!

ドラマでは「たか」になっていますが、隆清院と呼ばれる真田信繁の側室です。

隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」
隆清院は真田信繁(幸村)の側室であり、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。信繁(幸村)とは1男1女をもうけている。のち直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。少し豊臣秀次事件に触れてみる。

大河ドラマ「真田丸」第26話「瓜売」レビュー

加藤清正(新井浩文)が安房守(草刈正雄)・源三郎信幸(大泉洋)・源次郎信繁(堺雅人)を招いて酒宴を開いていくれた。

清正(新井浩文)らしいというか、キャバクラかと思うほど、たくさんの女性を引き連れ参加させている(笑)。

源三郎信幸(大泉洋)は、もう一方の酒宴にも行かなければならず落ち着かない。もう一方とは本多忠勝(藤岡弘、)・徳川家康(内野聖陽)だ。

源三郎信幸(大泉洋)は、名胡桃城の一件以来、平八郎(藤岡弘、)に気に入られているようだ(笑)。

久しぶりに「きり」(長澤まさみ)のことも書かなければならない。

大坂編以来、「きり」がウザいという評判も消えたようである。

きり(長澤まさみ)は、秀次(新納慎也)に気に入られ、側室と言われるまでになっている。

自分では決められず、父・高梨内記(中原丈雄)にまで相談しに行っているが、結論は出ないようである。

ひょっとして、例の事件に巻き込まれる展開になるのだろうか・・・。

源次郎信繁(堺雅人)の側室になるので、少し巻き込まれるが難を逃れることが予想される。

加藤清正。賤ヶ岳の七本槍だが、従五位下主計頭に込めた秀吉の思い
熊本城築城、賤ヶ岳の七本槍、虎退治、地震加藤などで有名な加藤清正。エピソードが多い武将だ。意外だが、文禄・慶長の役まで大軍を指揮していない。当初から石田三成と対立していたわけではなく、ただの「猪武者」でもないようだ。勇猛果敢な豪将のイメージがあるが最初の官位は従五位下・主計頭である。そこに込めた秀吉の思いとは・・・。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

真田家のゴッドマザー・とりが旅立つ

恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」,アイキャッチ画像

有働アナのナレーションがフライングをした。

これまで数々の人物が有働アナのナレーションで「ナレ死」した。恐るべし真田家のゴッドマザー・おとり様(笑)。

ここでババ様(草笛光子)の源三郎信幸(大泉洋)と源次郎信繁(堺雅人)に対するセリフを紹介する。

「たとえ離れ離れになっても、真田は一つ。心さえつながっておればな」

「真田の家を、この地を守りぬけ」

源三郎信幸(大泉洋)が泰平の世で何をすればいいのかの質問に対して、

「ババは先のことなど読めぬ。人はだれでもサダメを持って生まれてくる。遅いも早いもない。おのがサダメに気づくか気づかぬか」

「見ておるぞ、ババは。怠るなー・・・。」

こうして孫である源三郎信幸(大泉洋)と源次郎信繁(堺雅人)に言い残し、武田信玄も一目を置いた名将・真田一徳斎の正室・恭雲院は旅立っていった・・・。

恭雲院の没年には二説ある。真田氏の墓所である長谷寺墓碑には1592年(天正20年)5月20日とあり、同寺の過去帳には1593年(文禄2年)8月1日とある。ドラマでは後者を採用した。

ババ様(草笛光子)、ありがとう!!

恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」
「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。

運命の子・豊臣秀頼誕生

1593年(文禄2年)8月3日、大坂城二の丸で運命の子・豊臣秀頼が誕生する。父は豊臣秀吉。母は秀吉の側室・淀殿。秀吉の年齢は57。

この時、秀吉の後継者は、秀吉の養嗣子として関白を譲られた豊臣秀次であった。

ここから秀次の運命が大きく変わり、その兄弟たちの歯車をも狂わせてしまう。それはドラマ中でも何かに怯える秀次(新納慎也)の表情が物語っている。

とにもかくにも運命の子・豊臣秀頼は誕生してしまった。

そして秀頼の父は大野治長という説が存在する・・・。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。

「真田丸」第26話「瓜売」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第26話「瓜売」が2016年7年3日放映された。平均視聴率は16.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

2.0%近くのダウンです。内容は面白かったと思うのですが。難しいですね。

管理人が面白いと思った放送回の視聴率は良くないことが判明しました(笑)。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.8%で好調キープ。

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まとめ

源次郎信繁(堺雅人)の娘・すえが久しぶりに登場した。

大きくなっているのにビックリ!

最後はババ様と秀頼について書いて終わりにしたいと思う。

天寿をまっとうした「とり」の死と秀頼の誕生を対比させた。

皆に看取られながらの「死」。

そして、もう一方は生まれてしまった観が強い描かれ方。

第26話「瓜売」は、一見すると「やつしくらべ(仮装大会)」を描く放送回のようにも見えるが、考えさせられる回であった・・・。

渋く良い放送回であったと思う。

管理人には歴史的大きなイベントがある放送回より、今回のような隙間と思われる放送回のほうが面白く感じる。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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