一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。秀次事件で処刑

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この記事の所要時間: 322(文字数:2,020文字)

一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。子は隆清院(真田信繁の側室)。豊臣秀次事件では、父・菊亭晴季も連座したとして越後に流刑になっている。一の台は連座の罪で処刑されている。連れ子には、おみや(のちのお美屋御前)がいる。秀次の側室とあるが、信憑性は薄いようである。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

豊臣秀次の正室(継室)である一の台について記事投稿する。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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一の台

一の台(いちのだい)。1562年(永禄5年)~1595年(文禄4年)8月2日。父は菊亭晴季。豊臣秀次の正室(継室)。

子は、おみや(お美屋御前)、隆清院(真田信繁の側室)。

戒名は徳法院殿誓威大姉。

一の台の父「菊亭晴季」のキーワード検索が多いようです。菊亭晴季の記事投稿もしてますので、よろしければ参考にしてみてください。

菊亭晴季(今出川晴季)。豊臣政権に関与し、娘・一の台は秀次の正室
菊亭晴季(今出川晴季)。羽柴秀吉に関白任官をすすめて豊臣政権と密接な関係を築いた。官位は従一位・右大臣。娘・一の台は豊臣秀次の正室。豊臣秀次事件に連座したとして越後に流罪となるが、徳川家康のとりなしにより右大臣に復職している。
隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」
隆清院は真田信繁(幸村)の側室であり、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。信繁(幸村)とは1男1女をもうけている。のち直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。少し豊臣秀次事件に触れてみる。

豊臣秀次の正室(継室)

はじめは三条顕実に嫁ぐ。おみや(のちのお美屋御前)をもうける。「系図纂要」には教行寺佐栄の正室とある。

父・菊亭晴季によって豊臣秀次の妻となった。一の台とは「一の御台所」の意味で正室のこと。若御前(池田恒興の娘)は存命していたという説もある。

池田氏の女は若政所と呼ばれ、若い方の正室と、一番の正室という意味のようだ。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。

豊臣秀次事件

一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。秀次事件で処刑,画像01

1595年(文禄4年)、豊臣秀次が自害。

北政所らの助命嘆願も聞き入られず処刑と決まった。

1595年(文禄4年)8月2日、連座の罪で、一の台は処刑(斬首)。享年34。

辞世の句は、

「ながらへて ありつるほどの 浮世とぞ 思へばなかる 言葉もなし」

豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。
高台院(北政所)。豊臣秀吉の正室、後陽成天皇より従一位を賜る
高台院(北政所)。諱には諸説あり、「ねね」とされることが多いが「おね」「祢(ね)」「寧(ねい)」という表記もある。「寧」「寧子」「子為(ねい)」などと記されている事から「ねい」説もある。位記には「豊臣吉子」の表記もある。法名は高台院湖月心公。豊臣秀吉の正室。兄は木下家定、甥に小早川秀秋がいる。

処刑に関する逸話

一の台は最初、秀吉の側室となるはずであったが、拒み続けたために秀次が自害させられたともいわれている。

「絵本太閤記」によると、関白・豊臣秀次は美貌の一の台を是非にと妻とした。連れ子である「おみや(13歳)」も美しかったので、これも側室として母娘共に寵愛していたとする。

太閤・豊臣秀吉は、子供まで犯すとは人にあるまじき畜生にも劣る所業であると忌み嫌って、一の台を最初に処刑した。その墓を「畜生塚」と名付けたという逸話がある。

「畜生塚」または「悪逆塚」、転じて「畜生関白」とか言われるようになったとしている。

これらは根拠に乏しい俗説・悪評であるとされる。秀次を大逆非道の人物とする太閤記の脚色の影響が大きい。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

一の台 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

一の台の父・菊亭晴季の記事投稿でも感じたが、なんで母がわかっていないのか不思議である。

菊亭家(今出川家)の家格なら資料が残っていても良さそうなものだが・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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