「真田丸」第22話「裁定」感想。沼田領裁定~名胡桃城奪取事件

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この記事の所要時間: 844(文字数:5,243文字)

関白・豊臣秀吉の沼田領裁定により、天正壬午の乱以降の沼田領問題は解決したかに見えた。北条氏政は沼田領裁定を不服とした。北条家では上洛要請に関しても軽く見ていたようであり、事態の重大さを感じていなかったようである。そもそも氏政は秀吉を軽く見ていた。関東の覇者たる自負がある氏政にとっては仕方がないように思えるが・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

一件落着に思えた秀吉の沼田領裁定から事態は急転する・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第22話「裁定」あらすじ

関白・豊臣秀吉の御前で沼田領に関する議論が始まった。北条家は板部岡江雪斎、真田家は源次郎信繁が、沼田領に関する言い分を主張する。

本能寺の変後、神流川の戦いで上野・信濃から織田軍を追い出したのは北条家である。真田家は、滝川一益が北条に手こずっている間に沼田城を掠め取ってしまった。

秀吉退席後、近江中納言・秀次が場を取り仕切ることとなった。徳川家重臣・本多佐渡守正信の助けもあり、議論は真田家有利のまま終わった。

石田治部少輔三成の北条を上洛させる目論見は外れた。三成は真田安房守昌幸に沼田を諦めてくれと頭を下げる。三成の本気度は安房守に伝わった。安房守は「先祖が眠ってる名胡桃だけは譲れない」と条件を出す。三成も条件を了承した。

かくして秀吉の沼田領裁定がくだる。3分の2は北条家、名胡桃城を含む残り3分の1は真田家の領土とした。

小田原に戻った江雪斎は、御隠居・北条氏政に上洛を促す。しかし氏政は秀吉の裁定に不服である。あくまでも氏政の狙いは沼田領全土の掌握であった。

氏政は沼田城引き渡しに一万人の派兵を息子・氏直に命じる。江雪斎は秀吉に言われたのは千人までと伝えると、氏政は二万人に増員することを命じた。関東の覇者である北条家四代目・氏政のプライドを上手く表現している。

真田家にも沼田城に対する思いが人一倍強い男がいた。安房守の叔父・矢沢薩摩守頼綱だ。源三郎信幸は頼綱を説得した。

沼田領問題は秀吉の沼田領裁定で決着したかに思えた。が、北条家臣・猪俣邦憲が真田家の名胡桃城を奪取してしまった。名胡桃城代・鈴木主水は自害。いわゆる「名胡桃城奪取事件」である。

安房守は名胡桃城を奪い返すことを秀吉に直訴。名胡桃城の一件は秀吉預かりとなった。秀吉は小田原征伐を決意。

治部殿の思いとは裏腹に北条家との戦が始まろうとしていた・・・。

滝川一益、神流川の戦いで敗走、清須会議に出席できず。そして晩年
滝川一益、「真田丸」では段田安則が演じてます。管理人の勝手なイメージは、甲賀出身で忍者の匂いもして、鉄砲の名手というひどく荒いイメージでした。本能寺の変後は、羽柴秀吉と柴田勝家にばかりで滝川一益に気がまわりませんでしたw甲賀出身で忍者のイメージは、漫画「花の慶次」の影響です。きっとw織田四天王、織田五大将でもあります。
板部岡江雪斎。北条三代の外交僧、北条滅亡後は秀吉・家康に仕える
北条三代(氏康・氏政・氏直)に仕えた外交僧・軍師である板部岡江雪斎。後北条家滅亡後は豊臣秀吉・徳川家康に仕えている。千利休の高弟・山上宗二と交流があり、和歌・茶の湯にも造形が深かったと言われる。愛刀の江雪左文字は国宝であり、執権・北条氏(北条時行)の子孫とされる。

片桐且元のプレゼンテーション

片桐且元(小林隆)による沼田城・沼田領に関する説明があった。しかし秀吉(小日向文世)からは説明が長いという理由で怒られていた(笑)。

系図には沼田顕泰、沼田平八郎景義の名前も明記されていた。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

沼田領裁定~名胡桃城奪取事件

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ドラマでは、本多佐渡守正信(近藤正臣)の助けもあり沼田領に関する議論は真田家有利で終了した。必死になってる若者・源次郎信繁(堺雅人)を年老いた正信(近藤正臣)が助けてくれた。

第21話「戦端」で徳川家康(内野聖陽)が北条氏政(高嶋政伸)に助け舟を出したのとオーバーラップする。

名胡桃城奪取事件のシーンはなかった。予想できたが事件が起きた体で話が進んでいる。

名胡桃城奪取事件などについてまとめた記事があるので、よろしかったら参考にしてみてください。

本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。
真田家から見る沼田領問題。天正壬午の乱から小田原征伐まで。
真田家から見ると沼田領は、重要な領土であった。沼田領問題は、天正壬午の乱から小田原征伐に至るまで、なかなか解決しなかった。真田昌幸が変幻自在に主君をかえながら、なんとか沼田領を死守する。豊臣秀吉の裁定により北条家の領土になるが、北条氏滅亡後は、真田信幸(信之)が城主になることで、ふたたび沼田領は真田家に戻るのである。。
名胡桃城事件。豊臣秀吉の沼田領裁定~小田原征伐のキッカケとなる
天正17年(1589年)、豊臣秀吉の沼田領裁定により、真田家と北条家が争ってきた沼田領問題は解決したかに見えた。しかし名胡桃城奪取事件は起きた。名胡桃城奪取事件が本当に起きたかどうかは別にして、結果的に小田原征伐は決行された。秀吉の沼田領裁定から名胡桃城奪取事件、そして小田原征伐に至るまでを記事投稿する。

治部殿と安房守

治部殿(山本耕史)は沼田の件に関して安房守(草刈正雄)に頭を下げている。非常に感慨深いシーンであった。

この二人、義兄弟とする説もある。安房守の正室・山手殿が宇多頼忠の娘とする説もあるのだ。

大河ドラマ「真田丸」では、薫(高畑淳子)の出自は京の公家となっているので、この説は採用されていない。

石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?
真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。
石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
山手殿(寒松院)。真田昌幸の正室、「真田丸」では薫。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。

沼田城代・矢沢薩摩守頼綱

沼田城といえば血の気の多い猛将である沼田城代・矢沢薩摩守頼綱(綾田俊樹)。すんなり沼田城は渡さなかった。

何回も沼田城は、北条家に攻められ、少人数で撃退した。多くの家臣を失った。

ドラマ中の矢沢薩摩守頼綱(綾田俊樹)は、死んでいった家臣の名前をつぶやいていた。何のために死んでいったのかと・・・。

家督の話があったが、実際は少し前に矢沢家の家督は三十郎(迫田孝也)に譲られているようである。

矢沢薩摩守頼綱。真田幸綱(幸隆)の弟、真田昌幸の叔父。
矢沢頼綱というとドラマの影響からか、俳優・加藤嘉の顔が浮かんでしまう。矢沢頼綱は真田幸綱(幸隆)の弟であり、真田昌幸の叔父になる。特に沼田城代としての功績が大きい。北条氏の攻撃を何度も退けている。矢沢家は真田家臣団の最高位にあり、明治に至るまで筆頭家老であった。知行高は2,000石。
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。

頼もしくなった源三郎信幸

源三郎信幸(大泉洋)が頼もしくなったのが描かれた。同時に俳優・大泉洋も頼もしく感じた。

真田太平記の渡瀬恒彦が良かっただけに、最初は大丈夫かと勝手に心配してた。でも今は、その心配を見事に跳ね返してくれている!

本多平八郎忠勝(藤岡弘、)は、また上田城に逗留していた。娘可愛さもわかるけど、いつも上田城にいるんじゃないかと思うくらいに(笑)。

そんな時、名胡桃城事件が起きた。なぜか忠勝(藤岡弘、)が、名胡桃城奪取を提案。

そこで源三郎信幸(大泉洋)は義父・忠勝(藤岡弘、)にキッパリ言った。

「今は真田家の軍議の場であるから」

重臣・高梨内記(中原丈雄)も源三郎信幸(大泉洋)を頼もしく感じたようである。

忠勝(藤岡弘、)も婿殿を頼もしく感じ、その場を去っていった。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将
徳川四天王、徳川十六神将である本多平八郎忠勝。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。官位は従五位下・中務大輔。豪将であり義の人というイメージです。真田昌幸、信繁(幸村)の助命があるからだと思います。生涯57回の戦で一度も負けなかったが、死の数日前、小刀で手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまったことは有名である。
高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

大河ドラマ「真田丸」第22話「裁定」レビュー

近江中納言・豊臣秀次(新納慎也)は、秀吉(小日向文世)に沼田領議論の仕切りを任された。秀次(新納慎也)は見事に大役を果たす。

秀次(新納慎也)も頼もしくなっている。近江中納言は、のちに秀吉の関白職を継ぐ。しかし最期が切なすぎる・・・。

ドラマでは佐助(藤井隆)は上田・京都間を往復している。佐助(藤井隆)の自己申請では所要日数は5日間。源三郎信幸(大泉洋)から命じられたのは4日間であった。

京からの帰りは出浦昌相(寺島進)からは3日間。しかし昌幸(草刈正雄)から言われたのは2日間。もう滅茶苦茶、真田家は人使いが荒いです(笑)。

それから自害してしまう名胡桃城代・鈴木主水(鈴木重則)。主水には息子・鈴木忠重がいた。

忠重はのちに松代真田家の重臣に名を連ねる。最期は信之が病没後に殉死。享年84。鈴木主水関連の情報である。

相変わらず千利休(桂文枝)は、北条討伐強硬論。っていうか、そそのかしている風にしか見えない。

利休と小田原征伐といえば、利休の弟子・山上宗二(やまのうえそうじ)だろう。

山上宗二は、秀吉にたてつき追放の身であった。小田原征伐時は、北条家に身を寄せていた。

小田原征伐のおり、秀吉は許そうとしたが、ここでも山上宗二は秀吉の怒りを買った。最期は秀吉により、耳と鼻をそがれ斬首になっている。

そのことは、千利休の最期にも繋がるのだろうか・・・?

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。
千利休(宗易)。織田信長の茶頭から豊臣秀吉の側近へ、わび茶を完成
堺の商家の生まれで、商人・茶人の千利休(宗易)。わび茶(草庵の茶)の完成者であり、「利休七哲」など数多くの弟子を抱え、茶聖と称された。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠。天下人・豊臣秀吉の側近の一面もあり、茶人として名声と権威を誇った。「黄金の茶室」の設計でも有名だが、利休の茶道とはかけ離れたものだろう・・・。

山上宗二とは?

真田丸本編とは関係ないが。ここで山上宗二(やまのうえそうじ)について。

千利休の高弟である山上宗二。茶匠としては豊臣秀吉に仕えてるが、二度までも秀吉によって追放される。著書には「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」がある。小田原征伐のおり、またもや秀吉の怒りを買った。三度目の追放はなかった・・・。

記事投稿しているので、よろしければ参考にしてみてください。

山上宗二。秀吉に追放され、北条氏に仕える。著書「山上宗二記」
千利休の高弟である山上宗二。茶匠としては豊臣秀吉に仕えてるが、二度までも秀吉によって追放される。著書には「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」がある。小田原征伐のおり、またもや秀吉の怒りを買った。三度目の追放はなかった・・・。

「真田丸」第22話「裁定」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第22話「裁定」が2016年6年5日放映された。平均視聴率は16.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

まずまず前回をキープといった感じでしょうか。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.6%で好調をキープ。

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まとめ

管理人は真田家は矢沢家あっての家だと思っている。

特に沼田城を北条家に突破されれば、真田家本体も撃退されていたのではないかと思う。北条家と真田家では規模が違いすぎるし。

やはり矢沢薩摩守頼綱・三十郎頼康(頼幸)は真田家にとって別格である・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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