「真田丸」第35話「犬伏」感想。治部と刑部の挙兵~犬伏の別れ

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徳川内府(だいふ)が上杉・会津征伐の留守中に治部殿は刑部殿を味方に引き入れ挙兵。真田家の方針は、会津征伐に従軍する振りをして家康を倒すことだった。しかし安房守より早くに豊臣方は決起し挙兵してしまった。そして安房守・伊豆守・左衛門佐の三人だけの会談が始まる。三人が出した答えとは・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

風雲急を告げる中、真田昌幸が選んだ道は・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」あらすじ

徳川内府(だいふ)は上杉・会津征伐に出陣した。真田安房守は上杉家から密書が来たこともあり、徳川内府(だいふ)を攻撃することを決めていた。これは源三郎信幸・源次郎信繁も同意済み。

会津征伐には参加するが、真の狙いは家康。そのことを真田家中に伝える。安房守の狙いは、乱世に逆戻りさせること。機に乗じて信玄公の信濃・甲斐を取り戻すことだ。

安房守いわく、上杉に味方することは、裏切りではなく「表返る」の表現が素晴らしい!

治部殿は刑部殿を訪ねる。どちらかというと家康よりだった刑部殿を説得。治部殿は刑部殿を口説き落とした。

治部殿が言っているとおり、五奉行の治部殿・浅野長政は失脚。前田利長は「徳川家康暗殺疑惑事件」により封じ込められた。豊臣政権は徳川内府(だいふ)により、骨抜きにされた。

治部殿・刑部殿が大坂城に入城。宇喜多秀家と小早川秀秋の伏見城攻めが決まった。毛利輝元は秀頼を擁して大坂城に留まる。

会津征伐に従軍するふりをしていた真田軍は下野・犬伏に着陣。「犬伏」と聞いただけでゾクッとする!

佐助により刑部殿の書状が届く。治部殿・刑部殿が挙兵したことを知った。思惑通りではなかった安房守は激怒。

安房守の思惑は、会津征伐の戦闘が始まると、真田軍が横合いから攻める。それから大坂で反徳川方が挙兵。そして江戸に攻めこむ。

会津征伐の戦闘が開始されるというのがキモ。戦闘をしないで引き返されたら、元も子もない。事実、史実では徳川と上杉は戦っていない。会津征伐軍は上方に引き返している。

真田父子は三人だけで話し合った。真田家で、もっとも有名とされる逸話「犬伏の別れ」だ!

安房守・源次郎信繁は豊臣方、源三郎信幸は徳川方に味方することが決まった。

父子三人は、酒を酌み交わす。この酒が何を意味するのか?

これより二月のち真田軍と徳川軍は上田で激突する・・・。

五大老・五奉行。豊臣政権での合議制、対徳川家康の意味あいが強い
1595年(文禄4年)に起きた豊臣秀次事件は豊臣政権に政治危機をもたらした。秀吉の嫡男・秀頼も幼少である。そこで秀吉は、有力大名が連署する形で「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条を発令して政権の安定を図る。秀吉起死回生の策「五大老・五奉行」制度は上手くいくはずだった・・・。
徳川家康暗殺疑惑事件。家康と正信の謀略と言われ、前田家を封じる
豊臣秀吉の死後、徳川家康は天下への野望を隠さなかった。1599年(慶長4年)には石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件が起きている。今回は徳川家康暗殺疑惑事件を取り上げる。2つの事件に共通しているのは、徳川家康の存在が大きくなったことだ。徳川家康暗殺疑惑事件は家康と本多正信の謀略とも言われている。
前田利長。母・芳春院(まつ)を人質に差し出し、慶長危機を乗り切る
前田利長。父は前田利家。母・芳春院(まつ)。正室・永姫は織田信長の娘。羽柴肥前守、越中少将と呼ばれ、追贈された官位は正二位・権大納言。徳川家康暗殺疑惑事件では、徳川家康に嫌疑をかけられ、あわや「加賀征伐」の手前であった。これら一連は「慶長の危機」と呼ばれる。
宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑
備前宰相と呼ばれた宇喜多秀家。父は梟雄と称された宇喜多直家。母・円融院は秀吉の側室的存在であったとの説があります。秀吉の寵愛を受けて猶子となった。秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗る。正室は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫。宇喜多騒動なども解説。
小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る
小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。

細川ガラシャの最期

豊臣方というか西軍は大名の妻子を人質にとった。阿茶局(斉藤由貴)は混乱に乗じて脱出している。

細川忠興(矢柴俊博)の正室・玉(ガラシャ・橋本マナミ)は、夫から人質になるようなら自害するように言われていた。

しかし玉(橋本マナミ)はキリシタン。自害はできない。

ガラシャ(橋本マナミ)は障子の前に座った。障子越しに家臣が槍で一突き。

ガラシャ(橋本マナミ)は・・・。

細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶
細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。
細川忠興。本能寺の変後は正室・玉子を幽閉、茶道・三斎流の開祖
「茶道四祖伝書」では、細川忠興は「天下一気の短い人物」と書かれた。父は細川藤孝(幽斎)。正室は明智玉子(洗礼名:ガラシャ)。父・幽斎(藤孝)と同じ教養人で、和歌や能楽、絵画にも通じた文化人であった。著書には「細川三斎茶書」がある。「利休七哲」の一人に数えられ、茶道の流派・三斎流の開祖。
阿茶局(雲光院)。家康の側室、大坂冬の陣の和議に尽力。一位局
家康の側室である阿茶局(雲光院)。徳川家康との間に子はなさなかったが、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に尽力している。後水尾天皇より従一位を賜り、一位局・一位尼と称される。

大河ドラマ「黄金の日日」細川ガラシャの最期

大河ドラマ「黄金の日日」では細川ガラシャを島田陽子が演じている。

管理人にとっては印象深いシーンであったので紹介したいと思う。

「黄金の日日」では侍女が薙刀で最後の一突きをしてます。

侍女はガラシャを殺せないというので、襖に描かれた「鹿」を薙刀で退治するように命令。

襖の向こう側にガラシャが座り、最期を迎えるというシーンでした。

秘密の抜け道

大坂・細川屋敷は炎に包まれた。

玉(ガラシャ・橋本マナミ)を救出できなかった「きり(長澤まさみ)」は佐助(藤井隆)とともに豊臣方に囲まれてしまう。

細川屋敷には、祭壇のところに「秘密の抜け道」がある。それを知っていた「きり(長澤まさみ)」は脱出を図ろうとするが・・・。

この抜け道は第30話「黄昏」で「フランシスコ吉」が使った抜け道。

あの抜け道が、ここで出てくるとは・・・。

真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
「真田丸」第30話「黄昏」感想。主計頭・加藤清正の号泣に感動
第30話「黄昏」は歴史的イベント・事件をこれでもかというくらいに詰め込んだ。少々詰め込み過ぎの感はあるのだが、神回とも思える放送回になった。拾(秀頼)を元服させ、体裁を整えようとするが、いかんせん幼すぎる。太閤・豊臣秀吉を演じる小日向文世さんの演技が、豊臣家の黄昏を連想させる・・・。
【真田丸】キリシタンの大工・吉蔵~フランシスコ吉、最期は?
大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」で登場したキリシタンの大工・吉蔵についての記事投稿。大工・吉蔵を演じているのは水橋研二。モデルはフランシスコ吉。二十六聖人のひとりであり、最期は「日本二十六聖人殉教」といわれる。

会津征伐・小山評定

徳川内府(だいふ・内野聖陽)は上杉・会津征伐に出陣した。

前述したとおり、会津征伐において徳川軍と上杉軍の合戦はなかった。

小山評定により徳川軍といわれる東軍は上方へ引き返している。

次回「小山評定」は取り上げられるのだろうか・・・。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

徳川内府(だいふ)により「内大臣」「令外官(りょうげのかん)」調査
大河ドラマ「真田丸」で徳川家康を「徳川内府(だいふ)」と呼んでいたので内大臣について調べてみた。内大臣の唐名は「内府(だいふ)」。太政官に置かれた令外官の一つ。江戸時代以降の内大臣について、そして「令外官」、徳川将軍家の官職についても触れてみる。
会津征伐。直江状により上杉征伐を決意、関ヶ原の戦いの幕開け
太閤・豊臣秀吉の死後、豊臣政権の五大老筆頭・徳川家康は台頭した。ことごとく秀吉の遺命に背いた。勝手に諸大名の屋敷を訪れ、諸大名との縁組を行った。石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件により、政敵・石田三成、前田利長を追い落とした。次のターゲットは、会津の上杉景勝。しかし会津征伐の真の狙いは・・・。
小山評定。家康包囲網を打破し、関ヶ原の戦い勝利の流れを作る
徳川家康は会津征伐のため下野小山に到着。鳥居元忠の使者から石田三成が挙兵し伏見城攻撃を開始した知らせを受ける。1600年(慶長5年)7月25日、会津征伐に従軍した諸大名を招集し軍議を開催。「小山評定」である。西軍・東軍の選別がなされ、東軍が一致団結した大きなイベントであることは間違いない。その流れで関ヶ原の戦いに至る。

治部と刑部

美濃・垂井の陣中に治部殿(山本耕史)は刑部殿(片岡愛之助)を訪ねる。

治部殿(山本耕史)は刑部殿(片岡愛之助)に味方になってくれと要請。

一連の治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)のシーンで、治部殿(山本耕史)は終始涙目にさえ見える。

そう見えるからなのか、二人の最期を知ってるからなのか涙を必死にこらえようとする自分がいた・・・。

刑部殿(片岡愛之助)は、「もう遅いから」と治部殿(山本耕史)に泊まっていけと誘う。

刑部殿(片岡愛之助)は、ひとり部屋で、

「わしはあの男が来るのを待っていたのかもしれんな」

この言葉には泣けた・・・。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

大谷刑部と石田治部

刑部殿(片岡愛之助)は、ついに決心した。

刑部殿(片岡愛之助)「兵を挙げるからには必ず勝つ。その気概なくてどうする!」

治部殿(山本耕史)「刑部殿・・・」

治部殿(山本耕史)は泣いている。

管理人も涙をこらえることができなかった。

刑部殿(片岡愛之助)「治部殿、泣いている暇はござらん」

刑部殿(片岡愛之助)「わしが、お主を勝たせてみせる」

治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)は、動向をハッキリとさせていない諸大名に書状を書いた。

刑部殿(片岡愛之助)が思いのたけをぶつけ、治部殿(山本耕史)が代筆をした。

書き終えた時、書状は綺麗に並べられていた。細かいことだが、治部殿(山本耕史)の几帳面さを演出している。

刑部殿(片岡愛之助)は力尽きた。

刑部殿(片岡愛之助)「治部、この戦勝った・・・」

そして治部殿(山本耕史)は刑部殿(片岡愛之助)を抱きかかえる。

涙が止まらなかった・・・。

大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」レビュー

第35話「犬伏」で、思いついたことをつらつらと・・・。

江(崇源院)

徳川内府(だいふ・内野聖陽)より、会津に向けて一足早く出発するように言われた徳川秀忠(星野源)。

本多佐渡守正信(近藤正臣)が同行することには不満を漏らした。

秀忠(星野源)を励ます正室・江。演じるのは新妻聖子。

徳川秀忠の正室・江。淀殿の妹です。

江(崇源院)。浅井三姉妹の末っ子、徳川秀忠の正室。位階は従一位
浅井三姉妹の末っ子で、徳川秀忠の正室・江(崇源院)。淀殿の妹ということもあり、きつい性格な人物であると思っていた。やはり小説・ドラマの影響からか間違って伝わっている部分が多い。調べてみるもんです。それと徳川将軍御台所(正室)で将軍生母となったのは、崇源院だけということにはびっくりした。
徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。
本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

張り合う「きり」と春

きり(長澤まさみ)は左衛門佐(堺雅人)に真田家中を任された。

嬉しさが顔ににじみ出ている。

春(松岡茉優)は嫉妬した。それが表情にも態度にも出ている。

二人の女同士の対決の構図が始まったのだろうか。板挟みになるであろう左衛門佐(堺雅人)はいかに・・・。

【真田丸】長澤まさみの「きり」、最初は??最近は好きになった!
大河ドラマ「真田丸」が始まってみると、長澤まさみさんが演じる「きり」というキャラクターが物議をかもした。賛否両論あったが、大多数は否定的な意見であった。その当時、管理人も少し否定的に思っていた。しかし最近では、そのような意見を目にすることはなくなった。そして管理人も好意的に思えてきた。
【真田丸】大谷吉継の娘・春を演じる松岡茉優がキレイに見える!
真田丸のキャスティングで大谷吉継の娘・春を演じるのが松岡茉優さんであることは、以前から知っていた。特別に楽しみにしていたわけではなく、普通に時を過ごしていた。それが春が初登場のシーンで、不覚にも「ドキッ」としてしまった・・・。
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。

真田の嫁・稲

伊豆守(大泉洋)の正室・稲(吉田羊)は、父・本多忠勝(藤岡弘、)の書状は無視。

真田の内情を徳川には伝えないことを安房守(草刈正雄)と伊豆守(大泉洋)の前で宣言する。

安房守(草刈正雄)は「よくぞ言うた稲、お前は立派な真田の嫁じゃ」

晴れて真田家の嫁として認められる。

次回は沼田城で・・・。薙刀を持った稲(吉田羊)が・・・。あの有名なシーンが・・・。

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。
本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将
徳川四天王、徳川十六神将である本多平八郎忠勝。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。官位は従五位下・中務大輔。豪将であり義の人というイメージです。真田昌幸、信繁(幸村)の助命があるからだと思います。生涯57回の戦で一度も負けなかったが、死の数日前、小刀で手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまったことは有名である。

秀吉と源次郎信繁の出会い

源次郎(堺雅人)は、そびえ立つ大坂城を見上げ、秀吉(小日向文世)と初めて会った時のことを思い出した。

ここから回想シーン。

秀吉(小日向文世)「真田安房守の息子じゃな」

源次郎(堺雅人)「もしや・・・」

秀吉(小日向文世)「秀吉じゃ」

このシーンを振り返るのは二回目。第30話「黄昏」でも・・・。

「真田丸」第15話「秀吉」感想。大谷刑部と石田三成
真田昌幸は秀吉に臣従するか迷っていた。上杉景勝は迷った挙句、秀吉に臣従した。三成と大谷刑部。佐吉と紀之介といったほうがいいだろうか。互いに理解していることをドラマで描いてます。関ヶ原の戦い近辺のドラマが楽しみデス。升の統一を取り上げるあたりがなかなか。幸せそうな秀吉一族でドラマは終わる。何かを暗示しているように・・・。

犬伏の別れ

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ,アイキャッチ画像

信玄公の呪縛から逃れられない安房守(草刈正雄)。

安房守(草刈正雄)は、豊臣にも徳川にもつかないで上田での籠城を提案する。

しかし、どちらかにつかなければならないことを左衛門佐(堺雅人)に諌められる。

困り果てた安房守(草刈正雄)は例の「くじ」を持ちだした。織田家につくかどうか迷った時使った「くじ」だ。

黒なら徳川、朱なら豊臣。伊豆守(大泉洋)に却下されたが、両方とも朱色だった(笑)。

伊豆守(大泉洋)は決断する。

自分は徳川、父と弟は豊臣に。どちらが勝っても真田は残る。そして勝った方は全力で、もう一方の真田を助ける。

伊豆守(大泉洋)「これは我々親子三人が、いつの日かまた膝を突き合わせて語り合う日のための策じゃ」

伊豆守(大泉洋)「たとえ徳川と豊臣に別れても、常に真田はひとつにございます」

安房守(草刈正雄)「良き策じゃ」

一人になった安房守(草刈正雄)は笑みを浮かべながら酒を飲む。

頼もしくなった息子二人を思いながら・・・。

そしてこれが三人の共演シーンの最後となった・・・。

そんなことを思い出すと、また泣けてくる。

これが有名な「犬伏の別れ」だ。

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ
関ヶ原の戦いを前に、下野国犬伏(現在の佐野市)で真田昌幸、信幸、信繁父子は話し合いをする。信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。「犬伏の別れ」である。どちらが勝っても真田の家が残るようにと言われている。信幸(信之)の正室の養父は徳川家康であり、信繁(幸村)の正室の父は大谷刑部少輔吉継であるのだか。
大河ドラマ「真田丸」第二話「決断」レビュー
大河ドラマ「真田丸」第二話「決断」レビュー記事です。真田信幸、信繁一行は苦難がありながらも、父昌幸の待つ岩櫃城まで落ち延びる。一方武田勝頼は、自害。ここに甲斐の名門、武田家は滅亡した。ここで武田信玄の亡霊役で2015末に亡くなった林邦史朗氏が出演。「真田丸」が遺作となった。そして真田家は、織田信長につくことを決断する。

河原綱家と下駄

三人の会談中、河原綱家(大野泰広)が覗いてしまう。

信幸(大泉洋)は激怒し、竹筒を投げつけ見事命中。

伝えられてるのは、真田昌幸が下駄を投げ河原綱家の前歯が欠けてしまうという話。

ドラマでも河原綱家(大野泰広)の前歯は欠けた。

この話、有名です。

河原綱家。犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折る
河原綱家といえば、犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折ることで有名である。綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。管理人も河原綱家に関する情報は、下駄しかなかったので調べてみた。

源三郎と源次郎

源三郎(大泉洋)も言っていたが、管理人もババ様(草笛光子)を思い出した。

ババ様(草笛光子)は、若い二人に真田家を託して旅立っていった。

源三郎(大泉洋)「我々はこの時のために、生まれてきたのかもしれない・・・」

源次郎(堺雅人)は横で号泣。

管理人も涙が止まらなかった・・・。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」
「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。
「真田丸」第26話「瓜売」感想。とりの旅立ち~運命の子・秀頼誕生
鶴松の死により落胆していたかに見えた秀吉だったが、ついに唐入り(明国攻め)を決行した。秀吉はボケていなかった。管理人は、そう描いているように見えた。淀殿懐妊に喜ぶ秀吉だが、戦況は思わしくない。明と暗、光と影を描写した放送回だったと思う。やつしくらべ(仮装大会)・とりの旅立ち・秀頼誕生を絶妙なバランスで描いている。

韓信の背水の陣

三人で酒を酌み交わすシーンでは司馬遷「史記」の韓信を肴にする。

源三郎(大泉洋)が韓信と父上は似ていると言い出す。

「背水の陣」は、書物に書かれてることなので、だれもこの方法は使わないと三人に笑いが起こる。

こうして「犬伏の別れ」は笑いで終わる。

この韓信。最期は反乱を起こし、殺害されている・・・。

新町薬師堂

【武将ゆかりの地】新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台,画像01

「犬伏の別れ」の舞台といわれる栃木県佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」に行ってきました。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れ橋・米山古墳
関東に在住する管理人が「新町薬師堂」に行ってみた。大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」に遅れること一週間。念願の「新町薬師堂」だ。真田家ファンにとっては、聖地のような場所である。昼食は森田屋総本店。同日、足を伸ばして行った「史跡・小山評定跡」にも触れる。

木村重成に白石隼也

木村重成役に白石隼也(しらいししゅんや)が決定!

白石隼也さんは、「仮面ライダーウィザード」などで人気を博した。ホリプロ所属の若手注目株の俳優・タレント。

期待してます!

木村重成。秀頼の小姓で正四位上・長門守、戦国最強のイケメン
木村重成。幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれる。知行は3千石。官位は正四位上・長門守。母の宮内卿局(右京大夫局の説あり)は豊臣秀頼の乳母。豊臣姓を下賜されている。真田丸も木村重成を取り上げるとはシブい!

「真田丸」第35話「犬伏」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」が2016年9年4日放映された。平均視聴率は15.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

「犬伏の別れ」で15.0%はどうなんでしょう・・・。

真田家で一番有名な逸話であったはずですが。

視聴率は跳ね上がるものだと思ってました。正直この数字は厳しい・・・。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.2%。好調はキープしているが前回よりダウン。

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まとめ

今回の「犬伏」。前半では治部殿・刑部殿のシーンでは涙を誘い、後半「犬伏の別れ」は笑いで締めくくった。

犬伏の別れに関しては、賛否両論あるだろうが、ちょっとびっくりした。治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)の関係性が良すぎるので、少しだけ「犬伏の別れ」を食ってしまったかもしれない・・・。

大泉洋さんの演技が絶賛されてますが、管理人は少しだけ、治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)のシーンを良く思ってしまいました。

こんな意見があってもいいと思います。ごめんなさい・・・。

刑部殿(片岡愛之助)は「兵を挙げるからには必ず勝つ」といって治部殿(山本耕史)に味方する。

刑部殿(片岡愛之助)は書状を書き終えた時、「この戦、勝った・・・」といった。

そうこの戦い、豊臣方と言われる西軍が勝つはずだった・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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