本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将

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徳川四天王、徳川十六神将である本多平八郎忠勝。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。官位は従五位下・中務大輔。豪将であり義の人というイメージです。真田昌幸、信繁(幸村)の助命があるからだと思います。生涯57回の戦で一度も負けなかった。死の数日前、小刀で手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまったことは有名である。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

本多平八郎忠勝、管理人が好きな武将の一人です。少し詳しく調べてみました。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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本多忠勝

本多忠勝(ほんだただかつ)。1548年(天文17年)2月8日~1610年(慶長15年)10月18日。本多忠高の長男。母は小夜(植村氏義娘)。三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。

通称は鍋之助、平八郎。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。従五位下・中務大輔。本性は藤原氏。

正室は於久の方(阿知和玄鉄娘・見星院)。側室は乙女の方(松下弥一娘・月量院)。

兄弟は栄子(長束正家室)、異父妹・女(中根忠実室)。子は小松姫(真田信之正室)、もり姫(奥平家昌正室)、忠政、忠朝、女(本多信之室)、女(松下重綱室)、女(蒲生瀬兵衛室)。

墓所は浄土寺(三重県桑名市)。戒名は西岸寺殿前中書長誉良信大居士。

長束正家。丹羽長秀に仕え、秀吉の直参に。五奉行の末席に加わる。
長束正家は、はじめ丹羽長秀に仕える。のち秀吉の直参として奉公衆に抜擢。官位は従五位下・大蔵大輔から従四位下・侍従。近江国水口岡山城主。五奉行の末席に名を連ねる。関ヶ原の戦いでは、石田三成方の西軍に味方するが、捕らえられ切腹。管理人にとって長束正家といえば、映画「のぼうの城」で俳優・平岳大さんが演じた長束正家が印象的。

初陣

幼い頃から家康に仕える。

  • 1549年(天文18年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育つ。
  • 1560年(永禄3年)、13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣。同時に元服。
  • 1561年(永禄4年)、初首は14歳の時の鳥屋根城攻め。敵陣に駆け入り敵の首をあげる。

三河一向一揆~長篠城攻め

三河一向一揆から長篠城攻めを簡単にまとめた。

今川義元が敗死し、家康が今川家から独立し、織田信長との清洲同盟締結後、忠勝は上ノ郷城攻めや牛久保城攻めなどに参戦した。

  • 1563年(永禄6年)、三河一向一揆。ほかの本多一族が敵となる中で、一向宗(浄土真宗)から浄土宗に改宗。家康側に残る。
  • 1566年(永禄9年)、旗本先手役に抜擢。与力54騎を付属。
  • 1570年(元亀元年)、姉川の戦い。朝倉軍の豪傑・真柄十郎左衛門との一騎討ちで勇名を馳せる。
  • 1572年(元亀3年)、一言坂の戦い(二俣城の戦いの前哨戦)。大久保忠佐と共に殿軍を努め、家康率いる本隊を逃がしている。
  • 1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦い。武田家重臣・山県昌景を撃退。
  • 1573年(天正元年)9月、長篠城攻め。堀越で榊原康政らとともに武田軍を破り、獲得した長篠城に入り城を守る。

長篠の戦い~従五位下・中務大輔に叙任

長篠の戦いから従五位下・中務大輔に叙任を簡単にまとめた。

  • 1575年(天正3年)、長篠の戦い。
  • 1580年(天正8年)、高天神城奪還戦。
  • 1582年(天正10年)、本能寺の変により「伊賀越え」を決行。
  • 1584年(天正12年)4月、小牧・長久手の戦い。
  • 1586年(天正14年)11月9日もしくは1588年(天正16年)4月、従五位下・中務大輔。

長篠の戦い、高天神城奪還戦で家康からは「まことに我が家の良将なり」と激賞された。

「蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり」と忠勝を詠んだ面白い川柳が有名である。

小牧・長久手の戦いでは忠勝はわずか500名の兵を率いて小牧から駆けつけ、5町(約500メートル)先で豊臣の大軍の前に立ちはだかり、さらに龍泉寺川で単騎乗り入れて悠々と馬の口を洗わせた。

この豪胆な振舞いや活躍などにより、豊臣秀吉からも東国一の勇士と賞賛されている。織田信雄にも賞され、「法成寺」という刀を賜った。

神君伊賀越え。徳川家康、生涯最大の危機
1582年(天正10年)6月2日、織田信長は明智光秀の謀反により、本能寺にて自害。「本能寺の変」である。その時、徳川家康は僅かな供廻とともに堺見物をしていた。本能寺の変の報を聞いた家康は、取り乱す。最初、京の知恩院に駆け込んで、自害しようとする。が、家臣たちに説得され、伊賀を超えて三河に帰ることを決意するのであった。。
羽柴秀吉VS徳川家康。小牧・長久手の戦い、連動して全国規模に
小牧・長久手の戦いは羽柴秀吉が不利でしたが織田信雄との和議がすべてではないようでしょうか。負けなかった徳川家康の強さも知れ渡ります。秀吉は家康を臣従されるのには苦労します。妹を家康の正室に、母の大政所を人質に出します。秀吉は小牧・長久手の戦いを契機に朝廷にも接近します。やがて関白までになり天下統一を果たします。

晩年

以後の本多平八郎忠勝を簡単にまとめた。

  • 1590年(天正18年)、徳川家康が関東に移封。上総夷隅郡大多喜(千葉県夷隅郡大多喜町)10万石が与えられる。安房国・里見氏に対する備え。
  • 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い。家康本軍に従軍。本多本隊は嫡男の忠政が率いており、忠勝は徳川本陣にあった。
  • 1601年(慶長6年)、伊勢国桑名藩(三重県桑名市)10万石に移封。旧領・大多喜は次男・本多忠朝に別家5万石で与えられた。
  • 1604年(慶長9年)、病にかかり隠居を申し出るも、家康に慰留される。
  • 1607年(慶長12年)、眼病を煩う。
  • 1609年(慶長14年)6月、嫡男・本多忠政に家督を譲って隠居。
  • 1610年(慶長15年)10月18日、桑名で死去。享年63。重臣の中根忠実と梶原忠両名が殉死し、忠勝の左右に埋葬。

関ヶ原の戦いでは前哨戦ともいえる竹ヶ鼻城攻めや岐阜城攻めに参戦し、吉川広家など諸大名に井伊直政と連署の書状を送って東軍方につける工作にも活躍。

本戦でも奮戦し、僅かな手勢で90にも及ぶ首級をあげている。

忠勝が死ぬ数日前、小刀で自分の持ち物に名前を彫っていた時、手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまった。忠勝は「本多忠勝も傷を負ったら終わりだな。」と呟き、その言葉通りになったという。

称賛

一言坂の戦いでの殿軍での戦いぶりを武田軍の小杉左近から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」との狂歌の落書をもって賞賛された。

織田信長はその並はずれた武勇を武田征伐後「花も実も兼ね備えた武将である」と侍臣に紹介した。

豊臣秀吉には「日本第一、古今独歩の勇士」と称され、また「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と勇将として引き合いに出された。

武具

本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将,画像01

本多平八郎忠勝の武具というか装具について。

  • 兜は「鹿角脇立黒漆塗兜」。
  • 愛槍は「蜻蛉切」。
  • 鎧は当世具足「黒糸威胴丸具足」。
  • 愛馬は「三国黒」。

小松姫の実父

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫,アイキャッチ画像

忠勝には娘・小松姫(幼名を稲姫)がいた。

1586年(天正14年)頃、小松姫は真田信幸(信之)に嫁いだ。嫁いだ年代は、1589年(天正17年)、1590年(天正18年)の説がある。

関ヶ原の戦いの戦後処理にて信幸(信之)は、本多平八郎忠勝を頼り、真田昌幸、信繁(幸村)の助命を嘆願。当然死罪と思われたが、九度山に流罪にとどまった。

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

徳川四天王

ここで徳川四天王について。

徳川四天王(とくがわしてんのう)は、徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人の武将を顕彰した呼称。

本多忠勝・榊原康政・井伊直政の3人は徳川三人衆もしくは徳川三傑と呼ぶ場合もある。

徳川十六神将

徳川十六神将についても書いておく。

徳川家康に仕えて江戸幕府の創業に功績を立てた16人の武将を顕彰した呼称。

  • 酒井忠次
  • 本多忠勝
  • 榊原康政
  • 井伊直政
  • 米津常春
  • 高木清秀
  • 内藤正成
  • 大久保忠世
  • 大久保忠佐
  • 蜂屋貞次または植村家存(家政)
  • 鳥居元忠
  • 鳥居忠広
  • 渡辺守綱
  • 平岩親吉
  • 服部正成
  • 松平康忠または松平家忠

真田丸では「藤岡弘、」が演じる

大河ドラマ「真田丸」では本多平八郎忠勝を「藤岡弘、」が演じている。

まさに豪将というイメージにピッタリです!

真田丸での本多平八郎忠勝(藤岡弘、)は少し可愛らしいところもあります(笑)。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

本多忠勝 – Wikipedia

関連記事

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

関ヶ原の戦い後は、戦もなくなり晩年は不遇であったが「本多平八郎忠勝」は素晴らしい!

好きな人も多いんじゃないかと思います。

「真田丸」での本多平八郎忠勝(藤岡弘、)が真田信幸(大泉洋)に、どう絡むのか楽しみデス。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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