明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫

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明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

大坂五人衆の一人である明石全登について記事投稿する。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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明石全登

明石全登(景盛/守重)。(あかしたけのり/かげもり/もりしげ)。?~1618年(元和4年)または不詳。父は明石行雄。

別名は守之、全職、掃部。通称は掃部頭、掃部助。号は道斎。霊名はジョアン・ジュスト、ジョアニー。官位は従五位下・左近将監。

兄弟は女(伊賀家久室)、全延[異説あり]。

正室は宇喜多直家娘。子は某、景行、内記、女(岡平内室)、女(三好直政室)。

諱は複数伝わり定かではないが、「明石全登」の名が一番有名。

宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。

大坂五人衆の一人。

太閤・豊臣秀吉の直臣

備前保木城主・明石行雄(景親)の子として生まれる。

備前明石氏(美作明石氏)は赤松氏の末裔(守護大名赤松円心の次男・赤松貞範の子孫)であり、銅山経営者、技術統率者の側面を持つ一族。

  • 1575年(天正3年)9月、浦上氏滅亡。父・行雄は浦上宗景の家臣であったが、宇喜多直家に呼応して寝返る。
  • 1588年(天正16年)、父・行雄が諸大夫(従五位下)。知行は4万石。

父・行雄は宇喜多家に帰属し、弟・景行とともに直家・直家の子である秀家に仕えた。

明石全登は父・行雄が存命中の1597年(文禄5年)4月までに家督相続をしている。和気郡大俣城(大股城)の城主・家老となったが、領国経営には携わっていない。

1599年(慶長4年)、宇喜多騒動。家宰(執政)・長船綱直が殺害。4人の重臣(戸川達安・宇喜多詮家(坂崎直盛)・岡貞綱・花房正成)が出奔。

全登が家宰として宇喜多家中を仕切る。

秀家の岳父である太閤・豊臣秀吉の直臣としても知行を貰った。知行は3万3,110石だったが、併せて10万石となった。

宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑
備前宰相と呼ばれた宇喜多秀家。父は梟雄と称された宇喜多直家。母・円融院は秀吉の側室的存在であったとの説があります。秀吉の寵愛を受けて猶子となった。秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗る。正室は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫。宇喜多騒動なども解説。

関ヶ原の戦い

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1600年(慶長5年)、石田三成が徳川家康に対して挙兵。全登は宇喜多秀家に従って出陣し、石田方の西軍に与する。

  • 1600年(慶長5年)7月~8月。伏見城の戦い。徳川家重臣・鳥居元忠が守る伏見城を攻略。
  • 1600年(慶長5年)9月14日、杭瀬川の戦い。中村一栄を撃破。
  • 1600年(慶長5年)9月15日、関ヶ原の戦い。宇喜多勢8,000名を率いて先鋒を努めた。

宇喜多勢は福島正則を相手に善戦したが、小早川秀秋の裏切りをきっかけとして敗戦。

全登は宇喜多氏が没落し浪人となった。

キリシタン大名であり、母が明石一族である黒田如水の下で庇護され、如水の弟で熱心なキリシタンであった黒田直之が全登を匿ったとされている。

如水の死後、息子の黒田長政がキリスト教を禁止したため、柳川藩の田中忠政を頼ったとされている。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
鳥居元忠。秀吉からの官位を断る家康への忠義、伏見城の戦いで戦死
忠義の三河武士・鳥居元忠。徳川十六神将。豊臣秀吉からの官位の推挙は固辞。下総香取郡矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。1600年(慶長5年)、伏見城の戦いで壮絶な最期をとげている。家康は伏見城の血染め畳を江戸城の伏見櫓の階上におき、登城した大名たちに元忠の精忠を偲ばせている。伏見城の床板は「血天井」として現在も伝わる。
小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る
小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。

大坂冬の陣・大坂夏の陣

1614年(慶長19年)、大坂冬の陣。信仰上の問題で豊臣方として参陣。

1615年(慶長20年)、大坂夏の陣。道明寺の戦いに参加。全登隊は水野勝成・神保相茂・伊達政宗勢と交戦。

天王寺・岡山の戦いでは、旧蒲生氏郷家臣の小倉行春とともに全登は300余名の決死隊を率いて、家康本陣への突入を狙う。

水野勝成、松平忠直、本多忠政、藤堂高虎の軍勢からなる包囲網の一角を突破して戦場を離脱。その後の消息は不明。

全登は、この戦いで討ち取られたとも言われるが、それ以上に落ち延びたとする伝承も多い。

「大村家譜」「山本豊久私記」などは嫡子・内記と共に九州にとあるが、諸説あり解明されていない。

明石全登の子孫

秋田県比内町に明石全登の子孫と伝えられる一族がある。

家伝によれば仙台で伊達政宗に保護され、幕府の詮議が厳しくなると津軽信枚の保護を受けて弘前城内に匿われた。全登の三人の男子は弘前を離れて扇田にたどり着いて定住したと言われる。

子孫と伝えられる明石家には全登から伝えられた仏像が残っている。

元国際連合事務次長・明石康は同地の明石一族の出身で全登の子孫と伝えられている。

大坂五人衆

大坂冬の陣・大坂夏の陣で活躍した豊臣方の牢人たちを総称して「大坂五人衆・大坂城五人衆・大坂牢人五人衆」と呼ぶ。

メンバーは、

  • 長宗我部盛親
  • 真田信繁(幸村)
  • 毛利勝永
  • 後藤又兵衛(基次)
  • 明石全登

である。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯
豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる
管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。
後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。

大河ドラマ「真田丸」では小林顕作が演じる

大河ドラマ「真田丸」では明石全登を小林顕作が演じる。

真田丸で大坂冬の陣・大坂夏の陣がどのように描かれるか楽しみである。

Eテレ「みいつけた!」のオフロスキー

管理人は知らなかったが、小林顕作さんは子供向け番組「みいつけた!」のオフロスキーで絶大なる人気を誇っているそうです。

全く知りませんでした・・・(笑)

だからなのか、明石全登の衣装は少しだけピンク色を使っている。オフロスキーの衣装もピンク。どう考えても意識してるよね。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

明石全登 – Wikipedia

関連記事

関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。

2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

タイトルにもあるとおり子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。

知らなかった。これだけでも調べた甲斐があった。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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