「真田丸」第28話「受難」感想。豊臣秀次事件、そして秀次ロス

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第28話「受難」を複雑な思いで、最初は視聴していた。豊臣秀次が切腹するのはわかっていたからだ。そんな思いで、みなさんも見ていたと思う。最後まで秀吉と秀次はすれ違っていた。新納慎也演じる豊臣秀次に完全に感情移入してしまっている管理人にとっては辛い放送回ではあったが、一話もかかさず真田丸を見てきてよかった思えた。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

いよいよ秀次事件の後編とも言える第28話「受難」・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第28話「受難」あらすじ

豊臣家に居場所はないと悟った関白・豊臣秀次は、大坂城の蔵に身を潜めていた。主人を失った聚楽第は騒然とした。源次郎信繁は病を患った大谷刑部の元へ相談に訪れる。刑部は娘・春の言葉を借りると朝鮮から帰って以来、体調がすぐれないようだ。

源三郎信幸は官位の一件以来、悩んでいる。官位を返上しようと思っていることを父・真田安房守に告げる。安房守は源三郎信幸を諭した。もう源三郎とは呼ばない。「伊豆守」「豆州」と呼んでいる。

大坂城では、拾(のちの豊臣秀頼)とたわむれる淀殿・大蔵卿局が、拾を「殿下」「関白殿下」と呼ぶ。それを聞いた秀次は、ますます追いつめられていく。源次郎信繁は秀次を京・真田屋敷に連れて行くのである。

秀次を迎えた真田屋敷では、母・薫の出自が公家であるとの話題になった。薫はバツが悪そうである。秀次がどこの家かを尋ねる。答えられない薫の代わりに、源三郎信幸の正室・稲が「菊亭晴季」と答える。

源次郎信繁は太閤・豊臣秀吉に呼ばれた。秀吉は堺の豪商・呂宋助左衛門から買ったルソン壺を持って現れ、源次郎信繁は刑部の娘・春を娶るように言われる。治部殿は秀次が失踪したことを知っていた。秀吉も知っているようである。

秀次を迎えに真田屋敷に急ぐ治部殿と源次郎信繁。しかし秀次は高野山に旅だった後だった。報告を受けた秀吉は、表向き秀次は高野山で蟄居、理由は謀反の疑いがあることとした。この時、秀吉は秀次を一月で引き戻すはずであった・・・。

謹慎の旨を高野山に伝えに行く使者は福島正則だった。秀次は「市松が来たか・・・」とポツリとつぶやく。秀次の表情は、死を覚悟しているのか、そんな表情に見えた・・・。

源三郎信幸が、ちょっと席を外した隙に秀次は・・・。

1595年(文禄4年)7月15日、高野山・青巌寺にて豊臣秀次が切腹。享年28。死の理由は、諸説ある。

秀次の遺体を前に正則・源三郎信幸・源次郎信繁は呆然とする。正則も悲しむ。それは誰も予想してない結末になった。正則は謹慎を伝えに来ただけだった・・・。

秀次切腹の知らせが大坂城に届く。秀吉は激怒。もはや感情のコントロールができていないように見える。秀次は謀反人として切腹、妻子は処刑とすることを治部殿に命じた。

ナレーションどおり、秀次の首の前で妻子39人が処刑されたと伝わる。大量の遺体はまとめて一つの穴に投じられ、埋め立てた塚の上に秀次の首を収めた石櫃が置かれて首塚が造られた。

聚楽第も取り壊しが決定した。まるで豊臣秀次という人物が、この世に存在しなかったかのように・・・。片桐且元が小早川秀俊も領地没収になったことをつぶやいている。

その聚楽第の隠し部屋に秀次の娘・たかが隠れているのを源次郎信繁が発見する。源次郎信繁は刑部の娘・春を正室に、秀次の娘・たかを側室にすることを秀吉から許された。

最後の有働アナのナレーション「太閤・豊臣秀吉に死の影が忍び寄っている・・・」で第28話「受難」は終わる。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

真田昌幸の正室・薫の出自

真田昌幸の正室・薫を高畑淳子が演じている。史実では「山手殿」と呼ばれる。

薫(高畑淳子)は、稲(吉田羊)と「おこう(長野里美)」の前では、自分は「菊亭晴季」の娘だと言っていた。今出川(菊亭)家は「清華家(せいがけ)」。安房守(草刈正雄)の元主君・武田信玄の正室・三条殿の実家・三条家も「清華家(せいがけ)」。

「山手殿」の出自については諸説あるが、菊亭晴季の娘というのは、ちょっと怪しいと前から思っていた。ちなみに真田太平記では、この説を採用している。

第28話「受難」では、関白・豊臣秀次(新納慎也)は「菊亭晴季は、我が姑」と言っている。そう秀次の正室・一の台は菊亭晴季の娘である。

だから薫(高畑淳子)はバツが悪そうにしていた。やはり嘘なのだろう。

説としては宇多頼忠の娘という説もあり、もしこの説が本当なら真田昌幸と石田三成は義兄弟ということになる。根拠はないが、この説が管理人は好きである。だってロマンがあるでしょ!

薫の出自については、第29話以降になると思われる。

山手殿(寒松院)。真田昌幸の正室、「真田丸」では薫。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
菊亭晴季(今出川晴季)。豊臣政権に関与し、娘・一の台は秀次の正室
菊亭晴季(今出川晴季)。羽柴秀吉に関白任官をすすめて豊臣政権と密接な関係を築いた。官位は従一位・右大臣。娘・一の台は豊臣秀次の正室。豊臣秀次事件に連座したとして越後に流罪となるが、徳川家康のとりなしにより右大臣に復職している。
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。秀次事件で処刑
一の台。父は菊亭晴季、豊臣秀次の正室(継室)。子は隆清院(真田信繁の側室)。豊臣秀次事件では、父・菊亭晴季も連座したとして越後に流刑になっている。一の台は連座の罪で処刑されている。連れ子には、おみや(のちのお美屋御前)がいる。秀次の側室とあるが、信憑性は薄いようである。
石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?
真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。

徳川秀忠と本多正純

徳川秀忠と本多正純が初登場!

徳川秀忠を演じるは星野源。本多正純を演じるのは伊東孝明。

この二人、初対面という設定であるが、秀忠(星野源)は正信(近藤正臣)には軽く挨拶程度で、正純(伊東孝明)には深々と頭を下げた。いったいこれは何を意味するのであろうか・・・?

この二人には、江戸時代になってから「宇都宮城釣天井事件」があるだけに、どう描かれるか注目である!

徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。
本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。

呂宋助左衛門

呂宋助左衛門。伝説的貿易商人、秀吉に偽物のルソン壺を献上とも?,アイキャッチ画像

あの「助左」が帰ってきた!しかも同じキャスティングの松本幸四郎(当時は市川染五郎)。

1978放送の大河ドラマ「黄金の日日」では呂宋助左衛門を描いている。管理人も好きな大河ドラマだ。

海に夕陽をバックに登場。「黄金の日日」のオープニングのタイトルバックも海に夕陽。感慨深いですね~。

第28話「受難」では、秀吉(小日向文世)は呂宋助左衛門(松本幸四郎)から買ったルソン壺を大事そうに抱えて、匂いまで嗅いでいる。そのルソン壺は地元では便器であったと言われている(笑)。

そして源次郎信繁(堺雅人)は、秀次(新納慎也)の娘・たか(岸井ゆきの)を側室にするが、助左衛門(松本幸四郎)に呂宋へ向かう船に「たか(岸井ゆきの)」を乗せてくれるように頼んでいる。

呂宋助左衛門。伝説的貿易商人、秀吉に偽物のルソン壺を献上とも?
呂宋助左衛門は伝説的貿易商人であり、1978放送の大河ドラマ「黄金の日日」でも描かれている。なんと「助左」が「真田丸」にも登場する。感慨深い物があります。助左衛門は巨万の富を得たが、あまりにも華美な生活をしたため邸宅没収処分を受けている。助左衛門が秀吉に献上したルソン壺は偽物で現地人の便器であったとも言われている。
隆清院。真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。真田丸では「たか」
隆清院は真田信繁(幸村)の側室であり、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。信繁(幸村)とは1男1女をもうけている。のち直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。少し豊臣秀次事件に触れてみる。

豊臣秀次と真田信幸

秀次(新納慎也)が高野山・青巌寺に向かう道中、同行したのは源三郎信幸(大泉洋)という設定になっている。

秀次(新納慎也)と源三郎信幸(大泉洋)の二人だけの会話のシーンが、あまりにも良かったので紹介する。

秀次(新納慎也)「叔父上に振り回されて、ここまでやってきた。面白い人生といえるかもしれぬ」

秀次(新納慎也)「しかし生まれ変われるのなら、もう二度と叔父上の甥にはなりたくない」

源三郎信幸(大泉洋)「殿下とは比べ物になりませぬが、私も振り回されて今日までやってまいりました」

源三郎信幸(大泉洋)「あまりにも大きすぎる父、私の声だけが何故か聞こえぬ祖母、病がちなのかどうかわからない最初の妻、決して心を開かぬ二度目の妻、そしてあまりに恐ろしい姑」

秀次(新納慎也)「それは難儀であったな」

源三郎信幸(大泉洋)「振り回されて生きておるのは、殿下お一人ではございません」

源三郎信幸(大泉洋)が官位のことで、何かを思っていることを秀次(新納慎也)は知っていた。「従五位下・伊豆守」の官位のことは、関白としてやった数少ないひとつであるといった秀次(新納慎也)の表情は切なく悲しかった。

この時点で、秀次(新納慎也)は死を覚悟したかのように何か吹っ切れた表情が印象的であった。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

福島正則

謹慎を伝える使者は福島正則(深水元基)だった。

正則(深水元基)は孫七郎(新納慎也)のことを、こう言っている。

「孫七郎は気が優しすぎるんよ。わしは、関白ようやっておったと思ったなあ」

正則(深水元基)と孫七郎(新納慎也)は親族なのだが、孫七郎(新納慎也)なりに関白として頑張っていたと思う。

そう、孫七郎(新納慎也)は気が優しすぎた。しかし、優しすぎる孫七郎(新納慎也)に皆は胸を打たれ、孫七郎(新納慎也)を愛した・・・。

福島正則。羽柴清須侍従、広島城改修などが原因で晩年は改易
福島正則は羽柴清須侍従などと呼ばれた。幼少期を秀吉の小姓として加藤清正らと育っている。また賤ヶ岳の七本槍の一人としても有名。朝鮮出兵後は、石田三成らの文治派と対立する。会津征伐に従軍し、小山評定では重要な役割を果たし、関ヶ原の戦いで東軍が勝利する流れを作った。

大河ドラマ「真田丸」第28話「受難」レビュー

真田安房守(草刈正雄)は、伏見城の普請に気がのらないでいた。そればかりか伏見城は源三郎信幸(大泉洋)に任せ、自分は吉野太夫(中島亜梨沙)にうつつを抜かしている。

これはこれでいいのだが、ちょっとなーという思いはある。心情的には出浦昌相(寺島進)の言葉を借りるなら「昔の殿はどこへ行った」と同じだろう(笑)。

こう(長野里美)と稲(吉田羊)だが、稲(吉田羊)が書いた薫(高畑淳子)の出自を知らせる書状を破り捨てていた。

源三郎信幸(大泉洋)が言った「病がちなのかどうかわからない最初の妻」では、いいシーンにも関わらず笑いそうになってしまったのだが、こう(長野里美)は強くなった。

以前はしゃもじも持てなかったのに(笑)。

そして「きり(長澤まさみ)」。

秀次(新納慎也)の側室になっていなかったので難を逃れた。秀次(新納慎也)が側室の件はなかったことにと源次郎信繁(堺雅人)にいっていたので、これも秀次(新納慎也)の優しさだろうということになった。

きり(長澤まさみ)も秀次(新納慎也)を思い出したかのように泣いていた。

大河ドラマ「真田丸」での豊臣秀次は優しかった。本当に優しかった。

秀次公って、こんな人だったのかもしれないと思えるくらいに優しかった。そして人々の胸に刺さった。

真田丸で秀次公を見ることはできなくなってしまったが、みなの心に残っている。あの笑顔とともに・・・。

清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。

豊臣秀次事件

豊臣秀次切腹の前後について。

  • 1595年(文禄4年)7月10日、高野山・青巌寺に入る。道意と号して出家。
  • 1595年(文禄4年)7月15日、雀部重政の介錯により豊臣秀次が切腹。享年28。

秀次は自分が切腹する前に小姓たちに脇差しを与え、自ら小姓たちの介錯をしている。要するに殉死者がいるということだ。

第28話「受難」では、新解釈を採用している。「秀次は秀吉の命令ではなく、自ら切腹してしまった」という説だ。

秀次切腹後であるが、秀次の首の前で幼い若君4名と姫君1名、側室・侍女・乳母ら39名の全員が斬首されたと伝わる。

前述の秀次の正室・一の台は1番目に処刑された。秀次の側室となったばかりの最上義光の娘・駒姫は、秀次に一度も会うことなく11番目に処刑されている。

大量の遺体はまとめて一つの穴に投じられ、埋め立てた塚の上に秀次の首を収めた石櫃が置かれて首塚が造られた。

首塚の石塔の碑銘には「秀次悪逆」の文字が彫られ、殺生関白の悪評もあってか人々は「畜生塚」「秀次悪逆塚」と呼んだ。

1611年(慶長16年)、鴨川の洪水で放置されていたが、河川改修の際に石版を発見した豪商・角倉了以が供養のために瑞泉寺を建立し、「悪逆」の文字が削られて供養塔として再建。瑞泉寺の由来は戒名「瑞泉寺殿高厳一峯道意」からである。

公家「菊亭晴季」は連座の罪で越後に流罪となっている。

豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。

新納慎也演じる豊臣秀次

新納慎也(にいろしんや)演じる豊臣秀次が切腹前に、少し上を向いて涙を流し笑みを浮かべた表情は良かった!!!

頼りない秀次、無邪気な秀次、怯える秀次、凛々しい秀次、悟りを開いた秀次を新納慎也さんは見事に演じた。

あえて秀次の血まみれの遺体を表情込みで画面に映したのが良かった。「ナレ死」では伝わらない秀次の死の重大さが伝わった。

秀次ロスではないが、関白・豊臣秀次が見れないのは寂しい限りだ・・・。

【真田丸】豊臣秀次のイメージに一石を投じる。制作と新納慎也に拍手
豊臣秀次の終焉が近づいてる。それが第28話「受難」で描かれる。管理人は複雑な気持ちである・・・。最初は、豊臣秀次を演じる新納慎也(にいろしんや)さんもいつものように見ていたが、放送回を重ねるうちにすっかり好きになっていた。新納慎也さんをはじめとする制作スタッフに感謝の記事投稿をする。

細川ガラシャ

次回予告で細川ガラシャ登場!演じるのは橋本マナミ。

大河ドラマは出演は13年ぶりらしい。2003年放送の「武蔵 MUSASHI」に出演経験があり、それ以来の出演となる。

どんな細川ガラシャを演じてくれるのか楽しみだ。

細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶
細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。

「真田丸」第28話「受難」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第28話「受難」が2016年7年17日放映された。平均視聴率は17.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

だいたい予想通りの視聴率でした。内容はよかったのですが・・・。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.5%で好調キープ。

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まとめ

舞台俳優・新納慎也さんはインタビューで自分を知ってもらったり好きになってもらうより、豊臣秀次公を好きになってもらうほうが嬉しいようなことをいっていた。

管理人は、以前にも書いているが秀次公に対するイメージが「好き」に変わった。新納さんが言っているとおりになった。

これだけは言えるのが、新納慎也さんが演じている秀次が好きになった。新納さんが演じていなかったら、こうはなってはいないと思う。

新納慎也さんが演じた豊臣秀次公を決して忘れないだろう・・・。

そして大河ドラマ「真田丸」をずっと見てきてよかったと思える放送回であった。

新納慎也さん、ありがとう!!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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