第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に

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第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田昌幸にとっては最後の合戦になってしまった。「犬伏の別れ」により真田父子が東軍・西軍に別れて戦った第二次上田合戦をお届けします。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します(笑)。

それではいってみよう!

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犬伏の別れ

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ,画像01

1600年(慶長5年)7月21日、会津・上杉討伐に向かっていた真田昌幸、信幸、信繁父子は、下野国犬伏(現在の佐野市)に到着し陣を張った。そこへ石田三成から豊臣方に味方するよう旨の密書が届いた。

この密書により父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。これが「犬伏の別れ」といわれている。

父子の密談の舞台となったとされるのが、栃木県佐野市犬伏新町に現存する「新町薬師堂」です。

真田信幸(信之)の正室・小松殿(小松姫)は、徳川家康の重臣・本多平八郎忠勝の娘で、養父は家康である。

真田信繁(幸村)の正室・竹林姫(竹林院)は、大谷刑部少輔吉継の娘である。

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ
関ヶ原の戦いを前に、下野国犬伏(現在の佐野市)で真田昌幸、信幸、信繁父子は話し合いをする。信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。「犬伏の別れ」である。どちらが勝っても真田の家が残るようにと言われている。信幸(信之)の正室の養父は徳川家康であり、信繁(幸村)の正室の父は大谷刑部少輔吉継であるのだか。
石田三成と真田昌幸を結ぶ姻戚関係。互いの正室が宇多頼忠の娘?
真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)が、もし「宇多頼忠の娘」なら石田三成と昌幸は義理の兄弟だ。ドラマでは菊亭(今出川)晴季の娘、公家の娘という設定が多いが山手殿(寒松院)の出自については諸説ある。もし山手殿(寒松院)が「宇多頼忠の娘」なら、真田父子が東軍・西軍に別れた解釈も変わるのだろうか。考えただけでゾクゾクする。

小松姫の逸話

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫,画像01

真田昌幸は会津・上杉討伐からの上田への帰り途中、沼田城の小松姫に「孫に会いたい」というが、薙刀を持って武装している小松姫は拒否する。

夫の真田信幸(信之)が不在だったこともあるが、「敵味方に分かれているから」という理由である。昌幸は、すきあらば沼田城を乗っ取るつもりだったとさえいわれている。

ドラマ等で描かれている小松姫の有名なシーンであり、逸話である。

小松姫役は、2016年NHK大河ドラマ「真田丸」では吉田羊が演じ、1985年NHKドラマ「真田太平記」では紺野美沙子が演じている。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

第二次上田合戦

第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に,画像01

徳川家康の本隊や豊臣恩顧大名などの先発隊は東海道を進んだ。徳川秀忠率いる3万8000人の軍勢は中山道を進んで西に向かった。徳川本隊は徳川秀忠の軍勢である。

徳川秀忠の軍勢の進路に真田昌幸・信繁(幸村)の上田城がある。

  • 1600年(慶長5年)9月2日、秀忠が小諸城に着陣。
  • 1600年(慶長5年)9月3日、昌幸は嫡男・信之を通して助命を懇願。秀忠はこれを受諾。
  • 1600年(慶長5年)9月4日、昌幸は突然態度を変え秀忠に対して挑発的な態度をとったので戦闘態勢に入る。

徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。

徳川家・真田家の真田信之に対する思惑

1600年(慶長5年)9月5日、秀忠は信繁(幸村)の守る上田城の支城・戸石城に対し、信繁の兄・信之の軍勢を差し向ける。信繁は兄弟で争う事を嫌い、城を捨て上田城に引き上げた。信之は戦わずして戸石城を接収。

徳川方には真田一族の信之に疑念を覚える者が多かった。徳川家の思惑としては、

  • 実弟・信繁(幸村)と戦わせて信之の心中を試す。
  • 万が一に備えて上田城攻めから遠ざける。

があったと言われている。

対して真田家の思惑としては、

  • 東軍内で疑われていた信之に手柄を上げさせ、信之に対する秀忠の信用を高めようとした。
  • 信之に戸石城を攻めさせて、上田城攻めの兵数を少しでも減らす。
  • 信之を上田城攻めから外させ、真田家同士での戦いを回避しようとした。

と言われている。

結果、信繁(幸村)が戦わないで戸石城を放棄し、信之も無傷で戸石城を接収している。東西両軍の真田軍も城も傷つかずに済んでいる。

上田城下での戦い

徳川秀忠は真田勢を城から誘き出すため、城下の田畑の稲を刈り取る苅田戦法をとる。とにかく短期決戦だ。

1600年(慶長5年)9月8日、牧野康成率いる軍勢が上田城下の稲の刈り取りを始める。徳川方の狙い通り、苅田を阻止しようと真田方の軍勢数百人が城から出てきた。

後備えとして潜んでいた本多忠政隊が襲い掛かり、真田勢は敗れ、上田城へと逃走。それを酒井、牧野、本多の各隊が追撃し、上田城の大手門前まで迫った。

真田昌幸の作戦

真田勢が敗れたように見せ、上田城へと逃走するというのは全て真田昌幸の作戦であった。

大手門が開き、門の向こう側で待ち構えていた真田の鉄砲隊による一斉射撃。城内からも銃矢が攻撃をし、徳川方の先鋒は混乱に陥る。

先鋒隊が撤退しようとするも隊列が入り乱れ混乱してできなかった。そこへ城内からの真田勢に出てきて打ち破られた。

前日の夜から染谷台の北東に潜んでいた信繁隊200が秀忠本陣に奇襲。信繁隊は鉄砲を一斉に撃ちかけ、秀忠本陣に攻めこんだ。秀忠自身は小諸へ馬で敗走。

さらに昌幸は神川の上流に堤防を築き、神川を密かに塞き止めていた。信繁の合図で堤防が切られると、真田勢に追われていた神川付近の多くの徳川勢の人馬が飲み込まれた。

第二次上田合戦は真田方の大勝利で終わる!

徳川秀忠、関ヶ原の戦いに遅参

1600年(慶長5年)9月9日、いったん徳川秀忠は小諸に全軍撤収する。そこで「九月九日までに美濃赤坂へ着陣すべし」という内容の家康からの書状を受け取る。

秀忠は上田城に押さえの兵を残して出発。が、道中の悪天候などにより、9月15日の関ヶ原本戦には遅参してしまう。

関ヶ原の戦い後

1600年(慶長5年)9月15日、関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。

西軍に味方した真田昌幸と信繁(幸村)は戦後処理で死罪を命じられる。

信之と岳父・本多平八郎忠勝の助命嘆願により、高野山へ流罪。のち信繁が妻の同行を願い出たため九度山に流罪となった。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

上田合戦 – Wikipedia

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第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)、真田VS徳川
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。

2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

徳川家康が真田昌幸を暗殺しようとしたのもわかるような気がする。生かしておいたら危なくてしょうがない人物である。

しかし第二次上田合戦が真田昌幸にとっての最後の合戦になったのである・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます。。。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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