真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守

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この記事の所要時間: 343(文字数:2,237文字)

真田信吉(さなだのぶよし)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主。この時の沼田の所領は独立した藩ではない。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田信幸(信之)の長男・真田信吉について記事投稿します。

それではいってみよう!

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真田信吉

真田信吉(さなだのぶよし)。1595年(文禄4年)~1635年(寛永11年)11月28日。父は真田信幸(信之)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。

兄弟は信政、信重。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主

正室は松仙院(酒井忠世の娘)。側室は不詳。

子は熊之助、信直、長姫(関長政正室、のち千種有能室)。

墓所は群馬県沼田市材木町甲の天桂寺。戒名は天桂院殿前河州大守月岫浄珊大居士。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立
真田信政(さなだのぶまさ)。母は小松姫(本多忠勝の娘)。官位は従四位下・侍従兼大内記。信濃松代藩主。病気療養の父・信之の代わりに兄・信吉とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。なかなか隠居しないと思い込んでいた父・信之とは対立があったようである。

生年説

生年には諸説ある。

  • 「沼田日記」では1595年(文禄4年)
  • 「滋野世紀」では1596年(慶長元年)
  • 「天桂院殿御事績稿」の享年42からは1593年(文禄2年)

今回は、「沼田日記」の1595年(文禄4年)を採用。

大坂の陣で逃走

真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守,画像01

1614年(慶長19年)からの大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに出陣。補佐したのは矢沢頼康。

しかし豊臣軍に敗れて逃走したと言われている。小山田茂誠も息子・之知と共に従軍。

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。
真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?
小山田茂誠は真田信幸(信之)、真田信繁(幸村)の義兄になります。真田信繁(幸村)の最後の手紙が小山田茂誠に宛てた手紙になります。正室は真田昌幸の長女で、信幸(信之)、信繁(幸村)の姉・村松殿。小山田信茂刑死後、いったんは北条氏政に仕えるが、その後真田昌幸、信幸(信之)に仕える。そして真田松代藩の次席家老を代々つとめる。

  • 1615年(元和元年)、従五位下・河内守に叙任。
  • 1616年(元和2年)、父・信之が上田に移る。沼田城主として3万石の所領を相続。

沼田3万石は独立した藩ではなく、本家・松代藩の分領(分地)。

真田家は沼田において、家臣が直接自分の領地である村を支配する、地方知行を行っている。

1627年(寛永4年)8月、酒井忠世の娘(松仙院)と婚姻。松仙院との間には長姫をもうける。

側室との間に、熊之助・信直をもうける。側室腹の男子について、父・信之にも存在を隠した。

1634年(寛永11年)11月28日、江戸屋敷にて死去。享年40。

遺体は迦葉山弥勒寺に送られて荼毘に付され、天桂寺に葬られた。

後を継いだ長男・熊之助は早世。信吉の所領は次男・信直と弟・信政に分割相続された。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

「真田丸」では広田亮平が演じる

真田信之(大泉洋)の嫡男・真田信吉を広田亮平が演じる。

「真田丸」では、幼名「仙千代」。母は「こう(長野里美)」。

第30話「黄昏」の1シーンでは「紙おむつ」が話題になった。

しかし「再丸」と呼ばれる再放送では、編集されカットされた。

「真田丸」第30話「黄昏」感想。主計頭・加藤清正の号泣に感動
第30話「黄昏」は歴史的イベント・事件をこれでもかというくらいに詰め込んだ。少々詰め込み過ぎの感はあるのだが、神回とも思える放送回になった。拾(秀頼)を元服させ、体裁を整えようとするが、いかんせん幼すぎる。太閤・豊臣秀吉を演じる小日向文世さんの演技が、豊臣家の黄昏を連想させる・・・。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

真田信吉 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

真田信吉の印象は薄くなりがちのような気がします。

父・信之が長寿で名君だったからでしょうか・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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