初(常高院)。大坂冬の陣では阿茶局と和議をまとめる、京極高次の正室
初(常高院)といえば、大坂冬の陣で阿茶局と和議をまとめることだろう。浅井三姉妹の一人。姉は豊臣秀吉の側室となった茶々(淀殿)。妹は徳川秀忠正室(継室)の江(崇源院)。本名は浅井初(あざいはつ)。一般に「初」の呼び名で知られる。京極高次の正室。
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初(常高院)といえば、大坂冬の陣で阿茶局と和議をまとめることだろう。浅井三姉妹の一人。姉は豊臣秀吉の側室となった茶々(淀殿)。妹は徳川秀忠正室(継室)の江(崇源院)。本名は浅井初(あざいはつ)。一般に「初」の呼び名で知られる。京極高次の正室。
古河公方館は鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれ、「古河御所」と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。北西1kmあたりに「古河城本丸跡」が位置するだけに、古河城とあわせて一つの広大な城域を形成していた等の見方も示されている。最後の古河公方・足利義氏の娘である氏姫の居館となった。
明石掃部頭全登の来訪は風雲急を告げた。そして片桐且元。且元は振り返りながら語り始める。方広寺鐘銘事件がキッカケのようだ。豊臣家と徳川家は一触即発。戦いは始まろうとしていた。信繁は決意する。ここから真田左衛門佐幸村の物語が始まる。今まで全てが前フリだったかのように・・・。
塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。
文英清韓(ぶんえいせいかん)。伊勢国の出身。臨済宗の僧。京都・東福寺の長老、南禅寺の長老。晩年は身柄を拘束され駿府で蟄居。清韓は漢詩文に秀で、京都・方広寺大仏殿の再建工事において梵鐘の銘文を起草。あの「国家安康」の銘文である・・・。
織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。
古河城は室町時代には「古河御陣」とも呼ばれ、古河公方の本拠となった時期には古河御所(こがごしょ)とも呼ばれた。江戸時代は譜代中の譜代大名が治め、幕府の要職を歴任し、大老・老中を輩出している。明治以降、珍しく城は徹底的に破壊されている。「古河城本丸跡」は大きな目印としては標柱が立っているだけである・・・。
真田信繁とその一行は、九度山村での幽閉生活に慣れてしまっていた。それ故、兄・信之にも助命嘆願を断っている。その代わりってわけではないが、資金援助を申し出ている。実際は九度山も苦しかったようだが、信之の上田も苦しかったようである。そして関ヶ原の戦いから14年、信繁の元に大坂より使者が・・・。