「 akihiko@aoplanning 」一覧

大谷翔平。2016年序盤はストレートに「キレ」がない?

大谷翔平。2016年序盤はストレートに「キレ」がない?

2016年序盤、北海道日本ハムファイターズ・大谷翔平が勝てない。打線の援護という不運もあるが、とにかく勝てない。大谷翔平に何が起こっているのだろう。読売ジャイアンツ・菅野智之のストレートと比較しながら記事を書いていく。2017年はWBCが開催される。2015年シーズンと2016年序盤で大谷翔平の何が変わったのだろうか?

菅野智之のストレートボールは絶品!2016年は指力の強化に取り組む

菅野智之のストレートボールは絶品!2016年は指力の強化に取り組む

2016年シーズン、菅野智之のストレートボールは進化した。きれいな縦回転でスピン量が増加している。オフにバランスよく上半身、下半身を鍛えたようだ。そして特に指力強化に取り組んでいる。指力強化のせいでボールを強く弾けているのだと思う。もともとストレートの球速はあったので、それにスピン量が増加したら・・・。

朝日姫(旭姫)。兄・豊臣秀吉に夫と離縁させられ徳川家康の正室(継室)に

朝日姫(旭姫)。兄・豊臣秀吉に夫と離縁させられ徳川家康の正室(継室)に

朝日姫(旭姫)は天下人・豊臣秀吉の異父妹になる。兄が天下人でなかったら違う人生もあっただろう。そう思うと可哀想な人生だ・・・。朝日姫の夫については詳細はわかっていない。とにかく最初の夫は佐治日向守と名乗った。もとは農民であるが、秀吉により武士となる。徳川家康を懐柔するため、夫と離縁させられ家康の正室(継室)に。

平野長泰。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない

平野長泰。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない

「真田丸」で平野長泰が登場するとは思っても見なかった。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない。平野氏は鎌倉幕府の執権・北条氏の庶流の子孫、父・長治は清原業賢の子(清原宣賢の孫)とする説がある。秀吉からは大和国・十市郡田原本近隣七ヶ村に5千石の知行を与えられ、従五位下・遠江守に叙任。豊臣姓を下賜。

「真田丸」第16話「表裏」感想。豊臣家の癒やし、大和宰相・羽柴秀長

「真田丸」第16話「表裏」感想。豊臣家の癒やし、大和宰相・羽柴秀長

第14話「大坂」以来、真田家ターンが少なくなった。しょうがないけど、コレはコレで面白い。源次郎信繁は秀吉の馬廻衆・黄母衣衆になった。豊臣家は九州征伐が控えており、徳川家康は真田討伐を開始しようとしている。のちに大和大納言と呼ばれる羽柴秀長について書いてみた。豊臣家ターンになってバタバタとした印象を受けるのだが・・・。

小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る

小早川秀秋。秀吉の養子、金吾中納言~関ヶ原の戦いで西軍を裏切る

小早川秀秋といえば関ヶ原の戦いで西軍を裏切ったということになるが・・・。通称「金吾中納言」も有名である。飲酒についてはかなり好きだったようであるというか、飲まなければプレッシャーがありやってられなかったのだろうか。気持ちはわかる。天下人が叔父というのはかなりのもんだと思う。そういう意味では同情してしまう・・・。

【Android】Twitterアプリのプッシュ通知設定

【Android】Twitterアプリのプッシュ通知設定

アンドロイドのTwitterアプリをインストール後、プッシュ通知がされないのに気づきました。iPhoneでは「アイコンバッジ通知」されていたので不便さを感じ設定してみましたので備考録に残します。ios信者でもiPhoneマニアでもありませんが、こんなところにiosとAndroidの違いを感じてしまいます。

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市

豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝

本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。

千利休(宗易)。織田信長の茶頭から豊臣秀吉の側近へ、わび茶を完成

千利休(宗易)。織田信長の茶頭から豊臣秀吉の側近へ、わび茶を完成

堺の商家の生まれで、商人・茶人の千利休(宗易)。わび茶(草庵の茶)の完成者であり、「利休七哲」など数多くの弟子を抱え、茶聖と称された。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠。天下人・豊臣秀吉の側近の一面もあり、茶人として名声と権威を誇った。「黄金の茶室」の設計でも有名だが、利休の茶道とはかけ離れたものだろう・・・。