竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
真田信繁(幸村)の正室と言われているので、記事投稿します。
それではいってみよう!
竹林姫(竹林院)
竹林姫、竹林院。?~1649年(慶安2年)5月18日?。真田信繁(幸村)の正室。大谷刑部少輔吉継の娘とされるが、妹、姪ともある。
信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)らをもうける。こちらも信頼できる史料は無く研究が急がれる。
1594年(文禄3年)頃、真田信繁(幸村)に嫁ぐ。
1600年(慶長5年)、関が原の戦い終結後、信繁(幸村)とともに九度山に幽閉される。
大坂冬の陣、大坂夏の陣から晩年
1614年(慶長19年)、夫・信繁(幸村)、子・幸昌(大助)が大坂城へ入城する。
1615年(慶長20年)、大坂夏の陣の後は、いったんは徳川家康に身柄を引き渡されたが、無罪となり京都で娘・おかね(石川貞清室)夫婦と暮らす。
1649年(慶安2年)5月18日、京都で亡くなる。正確な没年は不詳。戒名「竹林院殿梅渓永春大姉」。墓所は臨済宗妙心寺塔頭、大珠院。
真田紐
1600年(慶長5年)、関が原の戦い終結後、信繁(幸村)とともに九度山に幽閉される。献身的に信繁(幸村)を支えたと言われる。
そんなエピソードをひとつ。
九度山での生活は厳しく、生計は困窮していた。竹林姫(竹林院)は、上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案して、家臣たちに行商させ、生計を支えたとさせる・・・。
「真田丸」では春という名前。女優・松岡茉優が演じる。
「真田丸」では、春という名前で女優・松岡茉優(まつおかまゆ)が演じることが決定した。
第七話の放送が終了した時点なので、出番はありませんがたのしみですねー!
ちなみに1985年放送の「真田太平記」では、中村久美が演じてました。
以上、「竹林姫(竹林院)」関連の記事投稿でした。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
竹林姫(竹林院)に関しては、ほとんど信用できる資料がないようです。管理人が知っていること以上のことは調査できませんでした。
今後、新たな資料が発見され、研究が進むことを願います!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます。。。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。