石田堤史跡公園。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。旧・吹上町(現・鴻巣市)が町内に残る一部を保存して「石田堤史跡公園」として整備。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
埼玉県鴻巣市にある「石田堤史跡公園」について記事投稿してみたいと思います。
それではいってみよう!
目次
石田堤史跡公園を訪ねて
管理人のカーナビで「石田堤史跡公園」を住所検索しても表示されなかった。
ただしマップには表示されたので、事なきを得た。それにしても住所入力でも間違ったのだろうか。
それともナビが古いのだろうか(笑)。
かくしてドタバタ珍道中が始まった・・・。
石田堤
石田堤(いしだつつみ)は、関白・豊臣秀吉による関東平定の一環として小田原方の成田氏長居城である武蔵国・忍城を石田三成らが攻めたとき(忍城の戦い)に、水攻めのために忍城の周囲を総延長28km(現・埼玉県行田市・鴻巣市内)に渡って築いた堤。
1590年(天正18年)、関東平定において、忍城城主・成田氏長は後北条氏の小田原城に籠城。残った士卒・兵・地元農民ら3000が忍城に立て籠った。
忍城の総大将に任じられた石田三成は力攻めを行った。しかし周囲は沼や深田という足場の悪さにも守られ、城攻めは遅々として進まなかった。
三成は忍城を一望できる丸墓山(現・丸墓山古墳)の頂きに本陣を構え、水攻めを発案。忍城周囲に総延長28kmにも及ぶ堤を築いた。
総延長28kmに及ぶ堤を、わずか1週間で作り上げたといわれる。実際には自然堤防や微高地を巧みに繋ぎ合わせたものと思われる。
利根川・荒川の水を引き入れたが、忍城にはあまり水が溜まらなかった。
のち増水したため、堤が決壊して石田方に多数の溺死者が出た。水攻めは失敗に終わる。
忍城の戦いは、「のぼうの城」で取り上げられ、大河ドラマ「真田丸」でも触れられている。
石田堤史跡公園
周りに多少民家はあるが、なんだか寂しい気がする・・・。
現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。
旧・吹上町(現・鴻巣市)が町内に残る一部を保存して「石田堤史跡公園」として整備。
2015年4月1日には行田市堤根地区に駐車場を完備した「石田堤歴史の広場」がオープン。
公園内の駐車場から撮影した「石田堤」。
お~、これが治部殿が築いた「石田堤」か~。丸墓山古墳の石田堤とは違って、堤って感じがします!
そしてもう一枚。新幹線高架下側から撮影。
モニュメント
上越新幹線高架下にはモニュメントがある。
新幹線が通ると、「忍城の戦い」の模様が物語風に放送される。この時、管理人しかいなく急に放送が始まったのでビックリでした(笑)。
運が良ければ、俳優・大和田伸也さん扮する石田三成と家臣達(声優は高塚正也・堀江恭章・龍谷終武さんの三方) のドラマ仕立ての物語が聞けるようです。
もしかしたら、聞いたかもしれませが全く気にしてませんでした・・・(笑)。
豊臣秀吉から石田治部少輔三成へ宛てた朱印状。日付は1590年(天正18年)6月12日。
もう一通、豊臣秀吉から石田治部少輔三成へ宛てた朱印状がある。日付は1590年(天正18年)6月20日。
豊臣秀吉から浅野弾正少弼長政へ宛てた朱印状。日付は1590年(天正18年)7月3日。
ほか榊原康政が浅野弾正少弼長政へ宛てた書状がある。
「五七の桐」「大一大万大吉」。
後北条氏の「三つ鱗」。
「丸に二つ引両」。
うん・・・?、「丸に二つ引両」・・・、成田氏は「丸に三つ引両」「堅三つ引両」だと思ったが・・・。
「丸に二つ引両」で有名なのは、足利氏・今川氏あたりなのだが。
ほらね、忍城ののぼりには成田氏の「丸に三つ引両」。
現時点では「丸に二つ引両」の意味がわかりません?
調査次第、記事を更新します。
石田堤史跡公園の所在地および交通アクセス
石田堤史跡公園の所在地および交通アクセスについて。
- 住所:埼玉県鴻巣市袋字台326-1
- 遊具・設備:トイレ
- 駐車場:無料駐車場
- JR高崎線(吹上駅):約2.4km
- JR高崎線(北鴻巣駅):約2.4km
- 東北自動車道(羽生I.C):約15.3km
- 関越自動車道(東松山I.C):約16.0km
だれもいない駐車場では少年たちが三人、のどかにゲームをやっていた。
おそらく「ポケモンGO」であろう(笑)。
石田堤歴史の広場
堀切橋を渡ると行田市堤根地区の石田堤歴史の広場がある。
管理人は知らなかったので別の日に行ったが、一緒に行くことをオススメする。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
忍城・丸墓山古墳
石田堤史跡公園からは、「忍城」「丸墓山古墳」も近いので、一緒に行ってはいかがでしょうか。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
この記事書いてて気づいたんですが、石田堤関連としては、埼玉県行田市の「石田堤歴史の広場」、すこし離れて埼玉県行田市堤根1262番地先には「石田堤」があるらしい。
知らんかった。これは近日中に行かなくては(笑)。その時は記事投稿します。
それにしても治部殿が築いた「石田堤」を見れたのは感慨深かった!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。