「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
管理人は出浦昌相(盛清)って人物を知りませんでした。
もしも知らなかった人は、管理人と一緒に勉強しよう!(笑)。
それではいってみよう!
出浦昌相(盛清)
出浦昌相(いでうらまさすけ)。盛清(もりきよ)。幸久(ゆきひさ)ともいわれる。1546年(天文15年)~1623年(元和9年)8月18日。主水佐、上総介(守)、対馬守。
生まれは、信濃国埴科郡坂城町出浦。清和源氏信濃村上氏の一族である出浦清種の次男。更級郡の上平城主(出浦城主)、上州岩櫃城代などを務めた。
甲州透破(忍者)の統率者。
村上義清は、武田信玄に敗れると、越後に逃れる。これにより出浦昌相は、武田家に臣従する。
森長可の信濃脱出を助ける
1582年(天正10年)3月、武田家は滅亡する。出浦昌相は、信濃川中島四郡を与えられた織田家臣・森長可に臣従。
1582年(天正10年)6月、本能寺の変の後、長可は海津城から撤退を図る。長可配下の信濃国衆たちは、ほぼ全員が長可を裏切る。が、盛清は撤退に協力。
長可は深く感謝し、別れる際に脇差を与えたという。いい話だー!「真田丸」でも脇差しはないけど描かれてます。
真田家に仕える
1583年(天正11年)からは、真田昌幸・信幸(信之)に仕える。小県郡武石村に30貫文を領し、吾妻奉行を拝命。
更級郡上平城主を務め、岩櫃城では最後の城代を務めている。横谷左近とともに吾妻忍び衆を統率。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐では、真田軍として忍城の戦いでも活躍した。
関ヶ原合戦後は、上州吾妻郡の群馬原町に住む。松代藩では忍者の頭領となり、武者奉行にもなった。この頃は出浦対馬守を称する。
1623年(元和9年)、死去。享年78。主君の真田信之ほどでないが、長生きですね・・・。子・出浦幸吉は、松代藩で1000石を領する家老になる。
「真田丸」では俳優・寺島進が演じる。
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。シブいですねー!登場シーンは少ないんですが、カッコいい!!の一言。
「真田丸」第六話で森長可の信濃脱出を協力するシーンがあります。
出浦昌相(寺島進)が真田源次郎信繁(堺雅人)にむかって言うセリフがしびれます!「素っ破は目先の損得では動かぬ。一度家臣と決めたからには、最後まで尽くすのが我らの流儀。」カッコいい!!
以上、「出浦昌相(盛清)」関連の記事投稿でした。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
関連記事
関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。
まとめ
NHK大河ドラマ「真田丸」をきっかけに「出浦昌相(盛清)」を知ることが出来ました。感謝です。
織田家臣・森長可の信濃脱出に協力する話は、いい話ですね~。グッと来ますね~。森長可、出浦昌相(盛清)のどちらもカッコいいです!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。