大河ドラマ「真田丸」で徳川家康を「徳川内府(だいふ)」と呼んでいたので内大臣について調べてみた。内大臣の唐名は「内府(だいふ)」。太政官に置かれた令外官の一つ。江戸時代以降の内大臣について、そして「令外官」、徳川将軍家の官職についても触れてみる。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
太政官に置かれた令外官の一つ「内大臣」、そして令外官について書きたいと思う。
「徳川内府(だいふ)」とは、「徳川内大臣」ということである。
歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。
それではいってみよう!
目次
内大臣
内大臣(ないだいじん)。日本の律令官制において太政官に置かれた令外官の一つ。
唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。和訓は「うちのおおまえつぎみ/うちのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。
員外の大臣の意から「数の外(ほか)の大臣」、「かげなびく星」とも呼ばれる。ちなみに太政大臣と左・右大臣の三公を「三台星」と呼ぶ。
左大臣・右大臣の両人が欠員の場合や何らかの事情のために出仕できない場合に、代理として政務・儀式を司る。
内大臣任命の意義
平安中期以降の内大臣任命の意義としては、
- 摂関家の若手公卿に摂政・関白就任資格を付与するための任命
- 宿老もしくは功績多大な公卿に対する礼遇のための任命
- 筆頭大納言に相当する公卿への待遇が「3番目の大臣(太政大臣を除く)」に改められた任命
- 武家政権の長あるいはそれに次ぐ地位の者に対して与えられる任命
の4つに分けられるようになる。
※公卿とは官職で参議以上、位階で三位以上であり、大臣は「公」、その他の公卿は「卿」と呼ばれた。
内大臣に任官された主な武家
内大臣に任官された主な武家を記述。
- 平清盛-1166年(仁安元年)11月11日~1167年(仁安2年)2月11日
- 源実朝-1218年(建保6年)10月9日~1218年(建保6年)12月2日
- 足利義満-1381年(永徳元年)7月23日~1382年(永徳2年)1月26日
- 織田信長-1576年(天正4年)11月21日~1577年(天正5年)11月20日
- 豊臣秀吉-1585年(天正13年)3月10日~1586年(天正14年)12月19日
平清盛・足利義満は太政大臣にまで昇っているので、やはり内大臣には任官されている。
- 織田信雄-1587年(天正15年)11月19日~1590年(天正18年)8月
- 豊臣秀次-1591年(天正19年)12月4日~1592年(天正20年)1月29日
- 徳川家康-1596年(文禄5年)5月8日~1603年(慶長8年)2月12日
- 豊臣秀頼-1603年(慶長8年)4月22日~1605年(慶長10年)4月12日
- 徳川秀忠-1605年(慶長10年)4月16日~1606年(慶長11年)9月
織田信雄以外、極官は内大臣ではない。
内大臣に任官された関白相論に関連した公家
内大臣に任官された関白相論に関連した公家を記述。
- 二条昭実-1577年(天正5年)11月20日~1579年(天正7年)1月20日
- 今出川晴季-1579年(天正7年)1月27日~1580年(天正8年)2月21日
- 近衛信輔-1580年(天正8年)11月3日~1585年(天正13年)3月10日
関白相論の当事者である二条昭実・近衛信輔、そして関白相論に乗じて秀吉の関白就任の道を作る今出川晴季(菊亭晴季)だけを取り上げた。
関白相論については、記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
徳川将軍家と内大臣
1596年(慶長元年)5月8日、徳川家康が正二位・内大臣に昇叙転任。
前述のとおり、徳川秀忠も1605年(慶長10年)4月16日、源朝臣秀忠として正二位・内大臣に昇叙転任。
以降の徳川家光から徳川慶喜の歴代将軍は、すべて「武家官位」として内大臣に任官されている。
禁中並公家諸法度以降の内大臣
禁中並公家諸法度制定により内大臣は三公には含まれないものとされた。宮中座次も三公、宮家親王、三公経験者の下に置かれている。
摂関家の昇進が優先された結果、摂関家が大臣職を独占する時期が長期化した。これにより清華家といえども任官されることが困難となった。
以降、内大臣の政治的権威は降下。明治維新により廃止された。
徳川将軍家は左大臣兼右近衛大将(右大将)を嫌った
徳川将軍家は官職「左大臣兼右近衛大将(右大将)」を忌み嫌った。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
令外官
令外官(りょうげのかん)とは、律令の令制に規定のない新設の官職。
現実的な政治課題に対して、既存の律令制・官制にとらわれず、柔軟かつ即応的な対応を行うために置かれた。
中国ではじまり、8世紀前期~中期に令外官が多数新設。
日本では、8世紀末の桓武期の改革の際に多くの令外官が置かれ、その後も現実に対応するため、いくつかの令外官が設置された。
主な令外官としては、
- 摂政
- 関白
- 中納言
- 参議
- 蔵人(蔵人頭)
- 征夷大将軍
- 鎮守府将軍
- 勘解由使
- 検非違使
- 押領使
- 追捕使
などがある。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
管理人は無意識のうちに「内府」を「ないふ」と読んでいた。恥ずかしい話です・・・。
考えてみたら「内裏」を「ないり」とは読まないことに気づいた。やはり「だいり」と読む。
それにしても大河ドラマ「真田丸」はきめ細かい!制作スタッフ、時代考証の先生方には感謝です。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。