阿茶局(雲光院)。家康の側室、大坂冬の陣の和議に尽力。一位局

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家康の側室である阿茶局(雲光院)。徳川家康との間に子はなさなかったが、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に尽力している。後水尾天皇より従一位を賜り、一位局・一位尼と称される。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

家康の側室で「阿茶局」は知っていましたが、詳細を調べてみました。

それではいってみよう!

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阿茶局

雲光院(うんこういん)。1555年(弘治元年)2月13日~1637年(寛永14年)1月22日。徳川家康の側室。父は甲斐武田氏の家臣・飯田直政(久左衛門・筑後守とも)。

名は須和。号は阿茶局、雲光院、一位局、一位尼。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。家康との間には子はいない。

今川氏の家臣・一条信龍に属した神尾忠重に嫁いだが、夫の死後は家康に召された。

家康との間には子はいないと書いているが、戦場においても幾度となく家康に供奉し、小牧・長久手の戦いの陣中で一度懐妊するも流産している。

才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。

一位局・一位尼

阿茶局(雲光院)。家康の側室、大坂冬の陣の和議に尽力。一位局,画像01

西郷局の没後は徳川秀忠、松平忠吉を養育。長男の神尾守世は秀忠に仕えている。

大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に貢献している。

家康没後に雲光院と号す。秀忠没後に正式に剃髪しており、家康の時には剃髪していない。

1620年(元和6年)、徳川和子入内の際に守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を賜る。これにより一位局・一位尼と称される。

1637年(寛永14年)、83歳で死去。雲光院(東京都江東区三好)に埋葬。戒名は雲光院殿正誉周栄大姉。

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大河ドラマ「真田丸」では斉藤由貴が演じる

徳川家康(内野聖陽)の側近くに仕えている阿茶局を斉藤由貴が演じる。

第十一話までは登場シーンが少ないので、なんとも言えませんが才知に長けた阿茶局のシーンがあればと思います。

これからに期待したいと思う!

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

雲光院 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

阿茶局は賢い人だったんですねー。徳川家康からも随分信用されていたようです。

晩年に後水尾天皇より従一位を賜ってるのはすごいです!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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