矢沢頼綱というとドラマの影響からか、俳優・加藤嘉の顔が浮かんでしまう。矢沢頼綱は真田幸綱(幸隆)の弟であり、真田昌幸の叔父になる。特に沼田城代としての功績が大きい。北条氏の攻撃を何度も退けている。矢沢家は真田家臣団の最高位にあり、明治に至るまで筆頭家老であった。知行高は2,000石。
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真田家筆頭家老・矢沢家の祖である矢沢薩摩守頼綱の記事投稿です。
それではいってみよう!
矢沢頼綱
矢沢頼綱(やざわよりつな)。1518年(永正15年)~1597年(慶長2年)5月7日。真田頼昌の三男で真田幸綱(幸隆)の弟、真田昌幸の叔父。官位は薩摩守。
諏訪氏の一族として真田家とは敵対関係にあった矢沢家の養子になる。矢沢家は矢沢郷(現在の上田市殿城町矢沢)を支配する地侍で、矢沢郷は真田郷に隣接する地域。
頼綱が矢沢家の養子になる事で敵対は解消。
1541年(天文10年)5月の海野平の戦いで幸隆とともに惣領家の海野氏に与して敗北し、諏訪氏の斡旋を受けて武田信虎に従う。
1563年(永禄6年)9月、兄・幸綱(幸隆)、甥・信綱に従い、上野・岩櫃城攻略で功を立てた。一時期、岩櫃城代になる。
1575年(天正3年)5月の長篠の戦いで信綱が戦死すると、真田家を継いだ甥の真田昌幸に従った。頼綱は吾妻郡の経営や沼田領侵攻の指揮を執る。
沼田城代
1580年(天正8年)5月、真田家が沼田城攻略に成功する。その功績により沼田城代になる。この頃には「頼綱」と改名。
1582年(天正10年)3月、織田信長の武田家征伐(甲州征伐)により武田家滅亡。独立勢力となった真田家の重臣となる。
北条家との最前線で何度も撃退している。1585年(天正13年)閏8月、第一次上田合戦では徳川家康に呼応した北条氏直の叔父・氏邦の沼田侵攻を撃退。
1585年(天正13年)頃に、嫡子・矢沢頼康に家督を相続。
1597年(慶長2年)5月7日に死去。享年80。
矢沢家は真田家臣団の中で最高位であり、子孫も明治時代に至るまで藩の筆頭家老格。知行高は2,000石。
ドラマでの矢沢頼綱
1985年放送の「真田太平記」では、加藤嘉が演じている。シブいですねー、重厚さがあります!
2016年放送の大河ドラマ「真田丸」では、綾田俊樹が演じてます。劇団・東京乾電池の印象がありますねー(笑)。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
「真田丸」での矢沢薩摩守頼綱を綾田俊樹がどう演じるのか。またどのように描くのか。楽しみです!
1985年放送の「真田太平記」での矢沢頼綱を超えられるのか??
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます。。。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。