尾高城。捕縛された山中鹿介幸盛が下痢と偽り脱出、米子市尾高

尾高城。捕縛された山中鹿之助幸盛が下痢と偽り脱出、米子市尾高,アイキャッチ画像
この記事の所要時間: 650(文字数:4,107文字)

尾高城。鳥取県米子市尾高にある中世の城(平山城跡)。城郭構造は連郭式平山城。泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。戦国時代は西伯耆の要衝であり、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となる。捕縛された山中鹿之助幸盛が下痢と偽り脱出した逸話も残る。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

山中鹿之助の逸話も残る鳥取県米子市尾高の「尾高城」について記事投稿してみたいと思います。

それではいってみよう!

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尾高城を訪ねて

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生まれも育ちも関東である管理人だが、米子市には少し関係がある。

近年は一年に一度は訪れる。

そんな管理人だが、初めて米子市尾高の「尾高城」に行ってみた。

「尾高」は「小鷹」「大高」と表記するときもあるようだ。

ちょっと紛らわしくて、わかりづらいと思うのだが・・・。

夏が終わり平日の朝ということもあり、除草作業の人が写真に写っていますが気にしないでください(笑)。

尾高城の概要

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尾高城(おだかじょう)は、鳥取県米子市尾高にある中世の城(平山城跡)。城郭構造は連郭式平山城。泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。

標高40mの河岸段丘上にあり、背後に大山、眼前に箕蚊屋(みのかや)平野が広がる。

戦国時代は西伯耆の要衝であり、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となる。

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米子勤労総合福祉センター「米子ハイツ」建設に先立ち、1974年から発掘調査が実施。出土遺物は13世紀から16世紀にかけての、輸入・国産陶磁器類、古銭、笄、刀子など。

戦国時代の西伯耆の中核的な城跡として、一部は保存整備され「米子市指定史跡」に指定。

遺構は

  • 土塁

再建造物は

  • 木橋
  • 土塁

尾高城の歴史

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尾高城の歴史を少し書く。

  • 1524年(大永4年)、大永の五月崩れにより落城、尼子氏の支配となる。城主・行松正盛(ゆきまつまさもり)は流浪し、尼子家臣・吉田光倫が城主となる。(伯耆民談記)
  • 1562年(永禄5年)、毛利氏の尼子氏攻略に伴い、行松正盛が再び城主。
  • 1564年(永禄7年)、行松正盛が病死。毛利家臣・杉原盛重が城主。
  • 1569年(永禄12年)、尼子氏再興の旗揚げをした山中幸盛らにより、一時城を奪われる。尾高城・末吉城(大山町)ほか15城。(陰徳太平記)
  • 1571年(元亀2年)、浄満原(じょうまんばら)の合戦。尼子勢が浄満原で杉原盛重らを夜襲するが敗退。(陰徳太平記)
  • 1571年(元亀2年)、吉川元春軍が末吉城(大山町)を攻略。山中幸盛を捕え、尾高城に送るが脱出。

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  • 1581年(天正9年)、杉原盛重が八橋城(やばせじょう・琴浦町)で病死。家督は嫡男・元盛。(伯耆民談記)
  • 1581年(天正9年)、羽柴軍と毛利氏和睦。
  • 1582年(天正10年)、伯耆国佐陀(現在の米子市淀江町佐陀)に在る杉原景盛が、尾高城二の丸で兄・元盛を謀殺。
  • 1582年(天正10年)、杉原景盛が毛利氏に攻められ戦死。吉田元重が尾高城に在番。
  • 1591年(天正19年)、吉川広家が月山富田城入城。米子城の築城開始。

※吉川広家は吉川元春の三男。関ヶ原の戦いでは、早くから徳川氏に内応しており、毛利秀元の「宰相殿の空弁当」に通ずる。

宰相殿の空弁当。毛利家は関ヶ原の戦いで、戦わず弁当とは?
関ヶ原の戦いでの西軍敗北の要因を考えた時、「小早川秀秋の裏切り」「宰相殿の空弁当」は大きな原因といえる。そのどちらにも毛利家一門が関わっているのが面白いといえば面白い。成り行き上、西軍に参加した長宗我部盛親は可哀想である・・・。

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  • 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦後、中村一忠が伯耆18万石領主となる。
  • 1601年(慶長6年)、伯耆国領主・中村一忠が一時尾高城に入る。米子城へ移り、尾高城は廃城。

※中村一忠は豊臣家三中老・中村一氏の嫡男。伯耆米子藩主。

山中鹿之助の逸話

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山中鹿之助幸盛は尼子家臣。「尼子十勇士」の筆頭。

尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。

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1571年(元亀2年)、幾度の戦後、尾高城の虜因となり、数十回の厠通いで城兵の油断を誘って汲み取り口から逃げ出したという逸話も残る。

尾高城の構造

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画像はパンフレット「尾高城縄張り図」を撮影しました。

1974年から79年にかけて実施された発掘調査では、土塁・堀のほか、井戸跡・建物跡などが確認された。

南大首(みなみおおくび)の郭内では空堀に面して配置された櫓跡と考えられる掘立柱建物跡が確認。

南大首の堀外からは、尾高城成立に関わる鎌倉時代の在地領主の館跡と推定される建物跡が確認されている。

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空堀と土塁によって、8つの郭(くるわ)を連ねる。

  • 本丸
  • 二の丸
  • 中ノ丸
  • 天神丸

  • 南大首郭
  • 越ノ前郭
  • Ⅳ郭
  • 方形館跡

本丸・二の丸は私有地のため立ち入ることができません。

現在の尾高城跡

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画像は天神丸。「シャトー・おだか」駐車場は天神丸あたり。

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画像は南大首郭(みなみおおくびくるわ)。

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画像は再建造物の木橋。

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復元された土塁。

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空堀に面した南大首郭(みなみおおくびくるわ)の建物跡。

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画像は方形館跡。

本丸・二の丸は私有地のため行けなかったのはしょうがないにしても、中の丸・Ⅳ郭は雑草がすごくて足を踏み入れる気になりませんでした。

パンフレットによると、中の丸には土塁があるようなので・・・。

それから鎌倉時代の建物跡にも行けませんでした。

残念です。何せ管理人の自宅から遠いので、いつ行けるかわかりません。

尾高城の所在地および交通アクセス

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現在、尾高城の天神丸には、「シャトー・おだか」がある。よって所在・マップは「シャトー・おだか」のものとする。

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所在地、交通アクセス等は、

  • 住所:鳥取県米子市尾高2377
  • TEL:0859-39-3701

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画像は「シャトー・おだか」の駐車場。車を駐車させてもらいました。

ロビーにて米子市教育委員会作成による「尾高城跡」のパンフレットを頂き、尾高城跡巡りの参考にさせて頂きました。

「シャトー・おだか」スッタフの皆様ありがとうございました!

尾高城パンフレットは以下のサイトから閲覧することができます。

尾高城パンフレット(PDF)

米子城

米子城。別名は久米城・湊山金城、江戸時代初期には米子騒動の舞台に,画像04

石垣が美しいといわれる米子城にも行っています。

米子城に関しては記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

米子城。別名は久米城・湊山金城、江戸時代初期には米子騒動の舞台に
米子城は、鳥取県米子市久米町にあった城。城郭構造は梯郭式平山城。別名は久米城・湊山金城。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁。のち鳥取藩の支城となった。城跡は国の史跡に指定されている。1603年(慶長8年)11月には米子城を舞台に「米子騒動」(横田騒動・中村騒動・米子城騒動とも言われる)が起きている。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

尾高城 – Wikipedia

関連記事

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羽柴(豊臣)家に関する記事

徳川家に関する記事

まとめ

本丸・二の丸が私有地のため入れなかったのが残念ですが、外から見る限り森のようになっていて人が住んでいるようには思えない。

自治体が買い上げ整備して、一般開放すれば人も来るとは思うんですが。

本丸と二の丸であり、歴史的背景もある城だけにもったいないです・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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