石田堤歴史の広場。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。平成27年4月1日にオープン。当時の石田堤の深さまで掘り下げて再現されている。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
埼玉県行田市堤根にある「石田堤歴史の広場」について記事投稿してみたいと思います。
それではいってみよう!
目次
石田堤歴史の広場を訪ねて
管理人のカーナビでは、ダイレクトに「石田堤歴史の広場」を表示できない。オープンしたのが平成27年4月だからと自分に言い聞かせた(笑)。
今回の目的は、石田堤の写真はもちろん、石田堤碑・石田堤の看板の写真である。
石田堤に沿って歩いて忍川に架かる堀切橋を渡ると、見たことがある風景が目に飛び込んでくる!
なんと鴻巣市袋地区の「石田堤史跡公園」ではないか。
堀切橋を渡ると、そこは「石田堤史跡公園」だった・・・。
石田堤
石田堤(いしだつつみ)は、関白・豊臣秀吉による関東平定の一環として小田原方の成田氏長居城である武蔵国・忍城を石田三成らが攻めたとき(忍城の戦い)に、水攻めのために忍城の周囲を総延長28km(現・埼玉県行田市・鴻巣市内)に渡って築いた堤。
1590年(天正18年)、関東平定において、忍城城主・成田氏長は後北条氏の小田原城に籠城。残った士卒・兵・地元農民ら3000が忍城に立て籠った。
忍城の総大将に任じられた石田三成は力攻めを行った。しかし周囲は沼や深田という足場の悪さにも守られ、城攻めは遅々として進まなかった。
三成は忍城を一望できる丸墓山(現・丸墓山古墳)の頂きに本陣を構え、水攻めを発案。忍城周囲に総延長28kmにも及ぶ堤を築いた。
総延長28kmに及ぶ堤を、わずか1週間で作り上げたといわれる。実際には自然堤防や微高地を巧みに繋ぎ合わせたものと思われる。
利根川・荒川の水を引き入れたが、忍城にはあまり水が溜まらなかった。
のち増水したため、堤が決壊して石田方に多数の溺死者が出た。水攻めは失敗に終わる。
忍城の戦いは、「のぼうの城」で取り上げられ、大河ドラマ「真田丸」でも触れられている。
石田堤歴史の広場
画像に影が映ってしまいました(笑)。
石田堤歴史の広場は平成27年4月1日にオープン。
当時の石田堤の深さまで掘り下げて再現されている。写真右手が「石田堤歴史の広場」駐車場。この時、駐車場には車がそれなりに停めてあった。
しかし石田堤を見学しているのは管理人たちだけだった。近所の人たちが駐車していたのだろうか?(笑)。
石田堤と忍城水攻めの説明。
石田堤の説明。
石田堤の並木の説明。
このように「石田堤歴史の広場」駐車場には、石田堤に関しての説明があります。
「石田堤歴史の広場」駐車場から少し歩いてみます。これが現存する石田堤です。
そしてもう一枚。石田堤の並木が情緒がありますね。
これが「石田堤史跡公園」の石田堤。こちらのほうが、堤って感じがするでしょう!
見比べてみてください。
石田堤の看板。この写真が撮りたかった!鴻巣市袋地区の「石田堤史跡公園」標識もあります。
ついでに、もう一枚!
映画「のぼうの城」のエンディングに登場
これが「石田堤碑」。映画「のぼうの城」のエンディングに登場してます。
字がかすれていて何も見えません。字が見えても原文では、何が書いてあるかわからないのだが・・・(笑)。
石田堤の看板の裏側に忍城攻め年表とともに石田堤碑の原文がありました。
石田堤歴史の広場の所在地
石田堤歴史の広場の住所は「行田市堤根1251番地先」。
Googleマップにも登録されていません。もちろん管理人のカーナビにも登録されておらず・・・(笑)。
2016年10月現在で「石田堤」を検索すると、Googleマップ・カーナビともに丸墓山古墳の石田堤を表示してしまいます。
埼玉県鴻巣市の「石田堤史跡公園」は、忍川に架かる堀切橋を渡ってすぐですので、一緒に見ることをオススメします。
堀切橋
石田堤に沿って歩いていくと橋が見えてくる。
忍川に架かる「堀切橋」。
堀切橋(ほりきりはし)は、行田市と鴻巣市の境にある忍川にかかる橋梁。
高欄の三角形などの空間や、至る所に描かれた幾何学模様などの「野外アート風」のデザインが高く評価され、平成26年11月25日に「土木学会推奨土木遺産」に認定。
鴻巣市側から撮影した「堀切橋」。
橋の名前は石田三成が忍城を水攻めにした時、この付近で石田堤が破堤したことに由来するとされる。
逆光になってしまいましたが、行田市側から撮影した「堀切橋」。橋の向こう側に見えるのが、鴻巣市袋地区の「石田堤史跡公園」。
堀切橋の上から撮影した忍川。
石田堤史跡公園
堀切橋を渡ると鴻巣市袋地区の石田堤史跡公園がある。
管理人は知らなかったので別の日に行ったが、一緒に行くことをオススメする。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
忍城・丸墓山古墳
石田堤歴史の広場からは、「忍城」「丸墓山古墳」も近いので、一緒に行ってはいかがでしょうか。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
どう考えても「石田堤歴史の広場」「石田堤史跡公園」は同じ日に行ったほうがいいです。
何せ「堀切橋」で別れているだけなんですから・・・(笑)。
それから堀切橋自体の写真がないので、後日行ってきます。
どうしても城巡り・史跡巡りは、記事を書いていて写真が欲しくなります。つまり一発で決まりません。
あの写真が欲しい、この写真が欲しいとなってしまいます(笑)。
写真を撮ってきたら記事更新します!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。