河原綱家といえば、犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折ることで有名である。綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。管理人も河原綱家に関する情報は、下駄しかなかったので調べてみた。
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下駄を投げつけられた河原綱家の記事投稿です。
歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。
それではいってみよう!
河原綱家
河原綱家(かわはらつないえ)。?~1634年(寛永11年)。父は河原隆正。
通称は右京介、右京助、又次郎。
兄弟は宮内助、新十郎。子は河原左京。
真田家の一門衆
河原隆正の四男(または三男)として誕生。
叔母・恭雲院が真田幸隆に嫁いだので、のちに真田家の一門衆となった。
河原氏は海野氏の家臣であったが、村上義清に攻められて居城を捨て逃走。
この時、真田氏は武田氏へ、河原氏は海野氏に従って上杉憲政のところへと逃走している。のち武田信玄に仕えると、縁戚・真田幸隆に仕えた。
- 1575年(天正3年)、長篠の戦い。兄たちが真田信綱・真田昌輝兄弟とともに戦死。家督相続。綱家の「綱」は信綱より賜ったといわれる。
- 1582年(天正10年)、織田信長による甲州征伐。新府城から岩櫃城へと逃れる山手殿らを警護。
- 1587年(天正15年)、上野国吾妻郡の代官。
関ヶ原合戦で大坂・真田屋敷にいた山手殿を救出。九度山に幽閉されている昌幸のもとへ品物を送る役目を務めたこともある。
昌幸の長男・真田信幸に仕え、長寿を全う。但し、信幸より24年早く亡くなっている。
犬伏の別れ
河原綱家といえば「犬伏の別れ」での下駄であろう。
1600年(慶長5年)7月21日、会津・上杉討伐に向かっていた真田昌幸、信幸、信繁父子は、下野国犬伏(現在の佐野市)に到着し陣を張った。そこへ石田三成から豊臣方に味方するよう旨の密書が届いた。
真田親子は極秘の会談をした。昌幸は家臣たちに「親子3人の会談ゆえ、誰も入るな。」と厳命していた。
会談は長時間に及んだ。綱家は内容が気になり、覗き見してしまった。
気づいた昌幸は激怒し、持っていた下駄を綱家目がけて投げた。綱家の前歯は折れてしまい、以降一生「すきっ歯」となってしまった。
このような話になっている。
大河ドラマ「真田丸」では大野泰広が演じる
大河ドラマ「真田丸」では河原綱家を大野泰広が演じる。
河原綱家を登場させるということは、下駄のエピソードも描きそうである。楽しみです!
この大野泰広さん、真田丸に出演するキッカケはカメラテストで真田信繁を演じていたからだそうです。
第35話「犬伏」
第35話「犬伏」で、河原綱家(大野泰広)に飛んできたのは下駄ではなかった。
投げつけたのは真田伊豆守信幸(大泉洋)。
はたして何が飛んできたのだろう?
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
大河ドラマ「真田丸」に河原綱家が登場している。
ということは安房守(草刈正雄)に下駄を投げつけられ、前歯を折るエピソードも描くのであろう。
今から楽しみだ!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。