真田信繁(幸村)の側室、堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅

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この記事の所要時間: 38(文字数:1,885文字)

真田信繁(幸村)の側室で堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅という名前で黒木華が演じていると言ったほうがわかるでしょう。残念なことに資料が、ほとんどありません。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうけています。のちに「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」を産む側室・堀田作兵衛興重の娘について記事投稿します。

それではいってみよう!

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堀田作兵衛興重の娘

真田信繁(幸村)の側室。真田家の家臣・堀田作兵衛興重の娘。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうける。

信繁(幸村)の最初の妻ではあるが、家柄により側室なんだと思います。この時代、妻の実家の身分や家柄は思っているよりも重要視されます。

のちに信繁(幸村)は大谷吉継の娘・竹林姫(竹林院)を正室に迎えますが、それまでは堀田作兵衛興重の娘が正室だったという見方もあるようですが・・・。

大河ドラマ「真田丸」では堀田作兵衛の妹で、信繁(幸村)と結婚はするが側室という設定です。

堀田作兵衛興重の娘に関する資料は、ほとんど無く、はっきりとしたことはわかっていないので、どのような最期なのかもわかりません。

関ヶ原の戦い後、信繁(幸村)は九度山に流されますが、堀田作兵衛興重の娘、「すへ/菊」は同行していません。上田に残ったのでしょう。

「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。

堀田興重

ここで堀田作兵衛興重について。

堀田興重(ほったおきしげ)。?~1615年(慶長20年)5月7日。真田家臣。通称は作兵衛。

第二次上田合戦後は真田昌幸・信繁(幸村)と九度山へは行かず、上田に残っている。

関ヶ原の戦いから大坂冬の陣の間に「すへ/菊」を養女とし、石合重定/道定に嫁がせている。

1615年(慶長20年)5月7日、大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

「真田丸」では梅という名前。女優・黒木華が演じる。

大河ドラマ「真田丸」では梅という名前で女優・黒木華が演じてます。

設定は堀田作兵衛の妹で、信繁(堺雅人)が恋した女性です。

第十一話「祝言」では、側室でありながら信繁(堺雅人)と祝言を挙げます。血染めの祝言になってしまうのですが・・・。

史実通り信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」を産みます。

大河ドラマ「真田丸」第十一話「祝言」感想。室賀正武どの散る
沼田領問題で追い詰められた徳川家は室賀正武をそそのかし、真田安房守を暗殺させようとする。源次郎信繁と梅の祝言は利用される。葛藤する室賀は昌幸殺害を決心する。徳川家と室賀の企みを知った真田家は室賀を返り討ちにする計画を進める。源次郎信繁は、その計画を知らない。めでたいはずの祝言は「血染めの祝言」になってしまう・・・。

「真田丸」での梅の最期

真田信繁(幸村)の側室、堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅,画像01

大河ドラマ「真田丸」での梅の最期は、第十三話「決戦」で死んでしまいます。

第一次上田合戦の戦いに巻き込まれるという設定です。

第十三話「決戦」は信繁青春編のクライマックスで、前半の山場です!

第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)、真田VS徳川
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

「真田丸」第十三話「決戦」の前に記事投稿しているので、第十三話「決戦」放送後に記事更新をしたいと思います。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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