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真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
真田家重臣・高梨内記についてまとめてみました。
それではいってみよう!
高梨内記
高梨内記(たかなしないき)。?~慶長20年(1615年)5月7日。実名不詳。官位は内記。
高梨政頼の子供か子孫としている説は、高梨政頼の娘(もしくは妹)が真田信綱に嫁いだことを縁に真田家へ仕えたとしているが、信憑性は薄い。
信繁(幸村)の傅役であった可能性が高く、娘は信繁(幸村)の側室になっている。
- 1585年(天正13年)、第一次上田合戦で武功をあげる。
- 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行した。
- 1614年(慶長19年)、昌幸死後も九度山に残り、大坂城に信繁(幸村)とともに入城。大坂冬の陣。
- 1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。
真田信繁(幸村)と徳川家康について記事投稿します。真田家と徳川家の関係は第一次上田合戦、上杉征伐、第二次上田合戦、大坂冬の陣、大坂夏の陣があります。第二次上田合戦では二代将軍徳川秀忠を関ヶ原の戦いに遅参させています。また大坂夏の陣では、徳川家康に二度も自害を決意させたと伝えられています。
大河ドラマ「真田丸」では中原丈雄が演じる

真田昌幸(草刈正雄)の重臣・高梨内記を中原丈雄が演じている。
ドラマでは謀(はかりごと)をするとき、いつも高梨内記(中原丈雄)がいる。側近中の側近である。
第十一話「祝言」では室賀正武(西村雅彦)殺害の名シーンを演じている。殺害現場に居合わせた娘・きり(長澤まさみ)を助けるべく、室賀(西村雅彦)を背中から一太刀の好演技が光る!
沼田領問題で追い詰められた徳川家は室賀正武をそそのかし、真田安房守を暗殺させようとする。源次郎信繁と梅の祝言は利用される。葛藤する室賀は昌幸殺害を決心する。徳川家と室賀の企みを知った真田家は室賀を返り討ちにする計画を進める。源次郎信繁は、その計画を知らない。めでたいはずの祝言は「血染めの祝言」になってしまう・・・。
「黙れ小童ぁ!」のセリフで注目されていたキャラクター・室賀正武。そして俳優の西村雅彦。「真田丸」第十一話「祝言」での西村雅彦演じる室賀正武の散り際は見事だった!それを引き出した真田昌幸を演じる草刈正雄も凄い。管理人は涙が止まらなかった。そして自分の中では「真田丸」第十一話「祝言」は神回になった・・・。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
高梨内記 – Wikipedia
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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事
1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事
まとめ
高梨内記は真田家にとっては忠義の人。そんな言葉がピッタリだと思います。
大河ドラマ「真田丸」で、どのように描かれるか楽しみですね。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。